蒼空の果てに

無駄な犠牲者

八月十日前後の出来事であった。大井航空隊に最後まで残って「特攻待機」を命じられ ていた、 われわれ第三八洲隊(第三中隊をこう呼んでいた)は、引き続き、夜間飛行訓練 を実施していた。その夜、私は前段での夜間接敵訓練を終了して、指揮所の近くで休憩し ていた。すでに夜半も過ぎて、後段で出発した飛行機が次々に帰投し始めていた。 その時、突然《空襲警報》が発令された。B29による夜間爆撃である。 上空まで帰って いた飛行機を急いで着陸させて、「夜設」が消された。整備員は、着陸した飛行機を地上 滑走ではなく手で押して、飛行場の周辺に設けられている掩体壕に搬入した。ところが、 「搭乗割」の黒板を見ると、まだ一機帰投していない飛行機がある。 B29の編隊は東の方向から御前崎の上空まで来て、ここで南に変針して飛び去って行く。 静岡方面を空襲しての帰りであろう。高度は夜間空襲のためか、五千メートル〜六千メー トル程度で、昼間の空襲に比較してやや低い。コースは飛行場の南東方向で、十分見通し のきく距離である。 十機前後の敵編隊は、一定の間隔を置いて、次々に上空を通過する。地上では、タバコ も吸えない厳重な灯火管制を実施し、息をひそめてこれを見詰めている。その時、B29と は別の爆音が近づいてきた。御前崎よりやや東側、大井川の河口方向から飛行場の南側を 通過しながら、味方識別のために舷灯をつけた。そして、 「― ― - ― ― - (リギン帰投しました、着陸準備されたし)」 との合図を発光信号で送ってき。間違いなく味方の「白菊」である。 「リギン、帰投しまーす!」 見張員が弾んだ声で叫んだ。 指揮所をみると、飛行隊長と分隊長が何かヒソヒソと打ち合わせをしている様子である。 夜設係はいつでも「夜設」に点火できる準備をして、指示の出のるを待っている。ところ が、「夜設点灯」の指示がなかなか出されない。 帰投した飛行機は、そのまま飛行場上空を通り過ぎてしまった。しばらくすると、また 爆音が近づいた。「リギン」が引き返してきたのである。盛んに発光信号を送ってくるが、 応答の指示が出ない。そのまま御前崎の方向へ飛び去った。 機上では恐らくB29の上空通過を知って、その対応策を練っているのだろう。それとも 帰投したのが飛行場の上空ではなく、機位を失した(自分の飛行機の現在位置が分からな くなること)と思い、御前崎の上空まで引き返えして、位置の再確認をしているのかも知 れない。 後席の偵察員は一人で航法と通信を担当することになっている。だが、夜間は航法に重 点をおくため、電信機を積んでいない飛行機もあった。例え積んでいたとしても、 すぐに 使用できる状態にあるとは限らない。 いずれにしても、オルジスによる発光信号が唯一の連絡手段である。ところが、指揮所 から飛行機を目標に発光信号を送れば、上空を通過しているB29にも見られることになる。 だから、指揮官は発信をためらっている様子である。 要は御前崎など、 自分の位置が確認できる場所の上空で旋回しながら待機して、《空襲 警報》の解除を待つ以外に、適当な方法はなさそうである。例え飛行場を探し当てたとし ても、「夜設」なしでの着陸は危険を伴う。 次に問題になるのが燃料である。満タンでも、四百八十リットルしか積めない「白菊」 では、朝まで飛び続ける量はもう残っていないはずである。既に、二百浬以上を飛んでい るのだ。だから、あと一時間半が限度であろう。夜明けまでには、まだ三時間以上もある。 「B29は爆撃を終わって帰る途中だから、夜設をつけても、 もう引き返してくるもんか」 「引き返してきたって、もう爆弾なんか持っていないさ!」 「B29の編隊は間隔が相当開いているから、その間にうまく着陸させればよいのに……」 「あの野郎、何を恐れているんだ、なんで夜設を点けさせんのだ! 毎晩飛んでいる俺た ちの身にもなってみろ、夜設なしで降りろと言うのか!」 「そーだよ、自分たちは飛ばないもんだから、いい気なもんだ……」 「もーう止めた、こんな調子なら明日は上がっても予定コースを飛ばずに、エンジン故障 と言ってすぐに降りてやるから……」 「自分たちの安全ばかり考えやがって、俺たちは消耗品扱いだ!」 と、声を潜めていろいろと囁かれていたが、指揮官は何を恐れているのか、「夜設点灯」 の指示はついに出なかった。 その後も一度、「白菊」の爆音を聞いたが、ついに消息を絶ってしまった。いくら消耗 品と呼ばれた搭乗員の命であっても、これではあまりにもひど過ぎる。まさに犬死である。 当時の戦況から、空襲は予測できることであり、事前に対策を講じて置くべきであった。 飛行場の場所は、昼間何度も空襲を受けているので、敵も十分承知しているはずである。 だから、いまさら隠す必要などないのである。 また、夜間訓練の実施を秘匿したいのであれば、飛行場から離れた茶畑の中か、大井川 の河原にでもバッテリーやオルジスなどの機材を運んで、飛行機と交信させる手段もある。 夜明けが近づいたので、飛行訓練は中止された。そして、後味の悪い思いで飛行場を後に した。どこかで不時着していれば、生死にかかわらず、何らかの連絡が入るはずである。 ところが、その後どこからも情報は入らなかった。 百里原航空隊での空中衝突事故もそうであったように、訓練計画の不備などによる事故 があまりにも多すぎた。指揮官の無為無策のために喪失した人命や機材は、相当な数にの ぼると推察される。運が悪かったと言えばそれまでだが、人知れずこの世を去った彼らの 胸中は、察するに余りある痛恨事であった。
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[AOZORANOHATENI]