蒼空の果てに

運命の八月十五日  

その当時、空襲の被害を少なくするため、 兵舎をはじめ基地の施設は、飛行場から離れ た場所に分散されていた。金谷の町から南側へ坂道を登り、牧之原台地を飛行場へ向かう 道路の両側は一面の茶畑である。その西側の林の中に小さなバラック建ての病室が設けら れていた。ここには、三十名程度の外傷患者が収容されていた。 この患者の中に、飛行隊の搭乗員が二名含まれていた。過ぐる日、敵機動部隊の空襲の 際に交戦中負傷した者である。彼らを看護するために、同僚が交替で付き添いに行くこと になっていた。 看護と言っても別に仕事らしいものはない。空襲その他の非常に際して、彼らを安全な 場所へ退避させる手助けをするのが目的である。だから、航空食などを持ち込んで食べな がら、囲碁や将棋などで遊んでいればよかった。 八月十五日、その日私がその病室当番に当たっていた。朝食を終えて暑くならないうち にと思い早めに病室に行った。過日の空襲で負傷した関戸兵曹(乙飛十七期出身)と雑談 していると、《総員集合! 格納庫前》の指示が出たので、患者以外の者は飛行場へ行く ようにと、看護科の当直下士官からの伝達があった。 私は、せっかくの休養を兼ねた病室当番に当たっているのに、暑い最中を三十分もかけ て飛行場まで歩くのが厭なので、横着を決め込んで、空いたベッドに寝転んで雑誌を読ん でいた。 やがて、午後も遅くなって、看護科の兵隊が総員集合から帰ってきた。そして、何やら ヒソヒソと話し合っている。どうも、戦争が終わったなどと言っている。 「オイ! 総員集合で何があったんだ?」 「ハイ、天皇陛下がラジオで直接放送されました。雑音がひどくて、よく聞き取れません でしたが、分隊長の話では戦争は終わったらしいです!」 「エェッ! それ本当かっ?」 終戦の詔書  半信半疑である。一刻も早く事実を確かめたい。こんな所でぐずぐずしているわけには いかない。すぐに「湖畔の宿」に向かって急いだ。これが本当なら、もう死ななくてすむ んだ。今まで胸につかえていた重苦しいものが一遍に消し飛んで、浮き立つような気持ち で茶畑の中の小道を走った。  兵舎に帰ってみると、皆も興奮して今後のことについて議論を交わしている。やはり戦 争は終わったのだ。だが、戦争に負けたとは思いたくなかった。同僚の話では、一度《総 員集合》が伝達されたが、搭乗員は兵舎でラジオを聞けと指示され、総員集合には参加し なかったらしい。ならば私の不参加は当を得たものであった。 * 当夜予定されていた夜間飛行訓練は中止された。その夜は久し振りに酒盛りとなった。 取って置きの酒や缶詰などを持ち寄っての無礼講である。戦争に負けた悔しさと、死から 解放された嬉しさが同居した妙な雰囲気であった。 翌日から、先行き不透明で不安定な生活が始まった。目的を失いぼう然自失している時、 厚木航空隊から「銀河」が飛来して、《徹底抗戦》を訴える檄文を撒いて行った。これに 呼応する意見も出たが、賛同者は少なかった。      陸海軍健在ナリ      満ヲ持シテ醜敵ヲ待ツ 軍ヲ信頼シ我ニ続ケ      今起タザレバ 何時ノ日栄エン      死ヲ以テ 生ヲ求メヨ      敗惨国ノ惨サハ 牛馬ノ生活ニ似タリ      男子ハ奴隷 女子ハ悉ク娼婦タリ 之ヲ知レ      神洲不滅 最後ノ決戦アルノミ       厚木海軍航空隊 降伏文書調印式
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