蒼空の果てに

     特攻隊の編成

 昭和20年2月、海軍は基地航空戦力を強化するため、航空部隊の編制替えを行いました。 南西諸島(沖縄)方面に備えるため、新たに第5航空艦隊を編制して九州方面に展開しまし た。また、今まで練習航空隊であった、第11、12、13の各聯合航空隊で、第10航空 艦隊を編制し、第5航空艦隊の予備兵力として実戦に使用することにしたのです。                そんな事とはつゆ知らず、3月下旬、私は903航空隊から新編制の第10航空艦隊隷下 の大井航空隊に、教員のつもりで赴任したのです。ところが、同時に転属を発令された者は、 すべて操縦員に限られていました。だから、誰からともなく特攻要員ではないかと囁かれて いました。  アメリカ軍の沖縄侵攻が開始され、3月26日に「天1号作戦」が発動されました。その 時期、われわれ新たに転属した者は機種転換により「白菊」の操縦訓練を実施していました。  ある日のこと「飛行隊の搭乗員は、総員直ちに映写講堂に集合せよ!」と伝達されました。 何事だろう。搭乗員だけに特別な映画でも見せるというのだろうかと思いながら、映写講堂 へ急ぎました。   飛行隊長をはじめとし、各分隊長や士官連中が緊張した顔で集まっていました。何となく 重苦しい雰囲気です。飛行隊関係者総員が集合したところで、大井航空隊司令奈良大佐が、 参謀を示す金色の飾緒(しょくちょ)を付けた中佐を伴って壇上に上がりました。そして、 今度新たに編成された、第10航空艦隊の参謀であることを紹介しました。続いて、   「今から聞く話は、軍の重大な機密である。だから、決して口外してはならない、また、 お互い隊員の間でも話題にしてはいけない!」と、念を押しました。かたずを飲んで聞き入 る搭乗員の顔面に緊張感がみなぎりました。  航空艦隊司令部から派遣された参謀の話を要約すれば、次のとおりです。  諸君もうすうす承知していると思うが、現在戦闘に参加できる航空母艦は、もう1隻も 残っていない。赤城・加賀・蒼龍・飛龍はミッドウェー海戦で沈没した。マリアナ沖海戦 では、大鳳・翔鶴・飛鷹が沈み、3百機以上の飛行機と多数の搭乗員を失った。  次に、レイテ沖海戦では、残りの航空母艦と飛行機を全部集めて、全力出撃した第3艦 隊は、航空母艦も飛行機も全滅してしまった。また、『武蔵』以下の戦艦や巡洋艦なども ほとんどが沈没した。  更に、フィリピン方面での戦況は、既に末期的な状況となっている。アメリカ軍が次に 侵攻してくるのは台湾か、それとも直接本土に上陸するかも知れない。この難局に際して 残された手段は、諸君ら搭乗員が1機で1艦を沈める『体当たり攻撃』以外に方法はない。 よって、第10航空艦隊は全保有機をもって『神風特別攻撃隊』を編成し『体当たり攻撃』 を実施する。 *  南方戦線における海戦や航空戦での我が方の損害は、断片的なうわさ話によってうすう すは承知していました。また、フィリピン方面における「神風特別攻撃隊」の活躍やその 戦果は、 大々的に発表されていました。しかし、それは一部の志願者による特別な行為で あって他人事としか考えていなかったのです。 だから、自分自身が「体当たり攻撃」を 実施する立場にたたされるとは夢にも思っていませんでした。  ところが、航空艦隊参謀の説明によれば、全保有機で「特別攻撃隊」を編成するという のです。これは志願者を募るのではなくて、飛行隊をそのまま「特攻隊」に編成替えして 「体当たり攻撃」を実施するということです。それなら、もう逃げも隠れもできない瀬戸 際にたたされたことになります。        航空艦隊参謀から、「諸君が1機で1艦を沈める体当たり攻撃以外に方法がない」と、 言われると、「よーし、やるぞー」と、いう気持ちになります。しかしその反面、「まだ 死にたくない、他にも何らかの方法があるのではないのか……」との思いが交差します。 このように、精神的な動揺をどうすることもできませんでした。  日ごろ、最も危険とされていた飛行機搭乗員の配置にありながら、われわれは自分の死 についてあまり深く考えたことはありませんでした。それは、出撃しても自分だけは無事 に生還できると信じることで、この生死の問題から故意に逃げていたにすぎません。だが、 普通の爆撃や雷撃に出撃しても、 無事に帰還できるという保証は誰にもなかったのです。  そのうえ、われわれ搭乗員の思惑とは関係なく「神風特別攻撃隊」の編成は、計画的に 進められていたのです。大井航空隊は本来、偵察専修の搭乗員を養成するのを任務とする 練習航空隊です。ところがこの時期、飛行学生や練習生に対する教務飛行は既に中止され、 練習航空隊は編制改正により、実施部隊に生まれ変わっていたのです。     艦上攻撃機・艦上爆撃機・戦闘機それに陸上攻撃機など、 操縦員を養成していた練習航 空隊は、第11、第12聯合航空隊に、また偵察員を養成していた練習航空隊は、第13 聯合航空隊に編成替えされました。 そして、 これを統括するのが第10航空艦隊です。 その第10航空艦隊が、 全保有機で「神風特別攻撃隊」を編成するというのです。   当時の特攻隊員は、志願によるものではありません。今まで教務飛行を担当していた、 飛行隊を「特別攻撃隊」に切り替えるというのです。ここに至って、初めて死を自分自身 のものとして考えざるを得なくなったのです。いくら危険の比率が高くても、普通の出撃 であれば万が一にも生還の可能性が残されています。だから、「俺は生還できる」「俺に 弾は当たらない」と信じることで、不安を克服することができたのです。  ところが、必死の「体当たり攻撃」ではこの考え方は通用しません。今まで心の片隅で 恐れていながら、極力考えないようにしていた「死」を現実のものとして解決する必要に 迫られたのです。
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