♪如何に強風♪

蒼空の果てに

    特攻からの生還 

                         長濱 敏行(宮崎県延岡市)  きょうもうっとうしい空模様で、朝から小雨が降っている。思えば沖縄周辺の米軍艦船群に 「神雷特別攻撃隊員」として出撃したあの日もきょうと同じような梅雨空で暗雲が垂れ込めて いた。  あれは昭和二十年六月二十二日のことだった。「出撃搭乗員は指揮所前に整列」・・・・。 当直士官が横穴壕宿舎の中を告げて回る。  ここは、今や日本の最前線の要衝となった鹿児島県鹿屋海軍航空基地である。外はまだ薄暗 い。時計は午前四時。飛行場からはすでに試運転に入ったエンジンの音が轟々と伝わってくる。 前回の出撃(五月二十五日)では、沖縄周辺が梅雨による豪雨で、悪天候に阻まれ攻撃を断念。 引き返して命拾いしたが今度は生きて帰れないだろう。遺書を残そうと思って万年筆を手にし たが、いろいろ思いあぐねて筆が進まず昨夜はとうとう一睡もできなかった。  この世に生を受けて十八歳の今日まで過ごして来た日々は、ただ、きょう敵艦に体当たりす るためのものだったのか・・・・。出撃までの一刻、さまざまな思い出が次から次へと浮かん では消えていった。  限りなく広がる大空にあこがれ、中学四年の時に両親に無断で、海軍甲種飛行予科練習生を 受験したのだったが、合格通知が来てそのことが分かったとき、「男は自分が決めた道を進む のが一番」と言って励ましてくれた父。  「これを持っていれば必ず生きて帰れるから」と言って、お守り袋にナタマメを添えてくれ た母。笑顔で送ってくれた妹たち。  「何も書き残せなかった私をを許してください。皆と過ごした素晴らしい思い出をいっぱい ありがとう」と心に念じていた。  軍人を志した以上、戦って戦って戦い抜いて死ぬのは本懐だが、最初から死を前提とした必 死必中の特攻作戦が展開されよぅとは、そしてその自分がその隊員になろうとは夢にも思わぬ ことだっただけに、特攻隊志願の呼び掛けには言葉で言い表せぬ衝撃を受けた。  優秀な米軍の反攻を受けて、戦勢日々傾く状況の下では、とてもこの戦争に勝てるとは思え なかったが、美しい郷土の山河を、優しい父母の住む町を、むざむざ敵に蹂躙させてたまるか。  国家危急存亡のとき、若者が奮い立たなかったら、大和民族の歴史に拭いきれない汚点を残 すであろう。悩み苦しみ抜いた挙げ句、だれもがそんな気持ちで特攻隊を志願したものだった。   「お前たちだけを死なせはしない。俺も必ず後から行く・・・・」。 航空隊司令の別離の 言葉を背に、幕僚が見守る中滑走路につく。オーバーブーストにセットし、スロットルレバー を徐々に開く。さあ再び帰ることのない離陸だ。  「帽振れ!!」で見送る整備員の油にまみれた顔が次々に後ろに流れ去ってゆく。滑走路を いっぱいに使って離陸したが、「桜花」を抱いた愛機(一式陸上攻撃機)は重く、エンジンは あえぐように唸(うな)っている。  やがて右前方に開聞岳が迫ってきた。これで祖国ともおさらばだ。食い入るように山の姿を 見つめる。飛行機がもっと遅ければいい。一刻一秒の時間があれほど惜しく感じられたことは なかった。この日も「雲量九」視界が悪かった。  出撃した「神風特別攻撃隊第十次神雷桜花攻撃隊」九機のうち、エンジン不調で引き返した 佐藤千年君(鹿屋市在住)の乗機と、奄美大島西方の洋上で敵戦闘機の迎撃を受け、辛うじて それを振り切り、喜界ヶ島にたどり着いて不時着した私の乗機を除く他の七機は、無線で「ヒ 連送」(ヒの信号を連送し、「我れ敵機と交戦中」の意味)、「ト連送」(我れ今より突入す) を打電し、沖縄の海に空に壮烈な最後を遂げた。 そして無念にもその翌日、六月二十三日に 沖縄守備軍組織的抗戦は終わった。  神風特攻隊の仲間には立派な遺書を残した人も多かったが、大多数の人は何も書き残すこと なく敢然と散っていった。長所も、そして欠点も多い生き生きとした若者ばかりで、いわゆる 軍人精神の権化のような人は率直に言って居なかったと思っている。  基地の近くの野里横穴壕宿舎で、出撃待機中に集まっては、たわいない世間話に興じたもの だった。甲子園出場をかけた地区予選決勝で敗れたことをいまだに悔しがっていた隊員。うど んの賭け食いで料金をただにした自慢話。  彼女からの手紙の束を見つけられ、一部始終を無理やり告白させられた隊員。果ては遊郭で の武勇伝まで飛び出し笑いが絶えなかんった。  今考えると、それは何げない平和な暮らしへの限りない思慕であり、あこがれだったのでは ないだろうか。死を目前にして、だれよりも平和の到来を待ち望んでいたのは、特攻隊員だっ たと、しみじみ思うのである。  あの日の航空弁当は、主計科心尽くしの五目寿司におはぎだった。それに桜島のビワの実が 添えてあった。ビワの実を見るたびに私は思う。あいつらと過ごしたあの鮮烈な青春の日々を 片時も忘れはしない・・・と。そして平和な日本の暮らし何が何でも守り抜かねばならないと。 ★ 昭和20年6月22日 第十神風桜花特別攻撃隊 神雷部隊桜花隊 戦死者名簿 聯合艦隊告示240号 (桜花) 中尉  藤崎 俊英   (千葉・予備学13期) 上飛曹 堀江  眞   (秋田・甲飛10期) 上飛曹 山崎 三夫   (福岡・乙飛17期) 一飛曹 片桐 清美   (福岡・丙飛15期) (一式陸攻) 中尉  伊藤 正一   (宮城・海兵73期) 中尉  稲ヶ瀬 隆治  (和歌山・予備学13期) 中尉  根本 次男   (福島・予備学13期) 中尉  三浦 北太郎  (岩手・予備学13期) 上飛曹 千葉 芳雄   (宮城・丙飛10期) 上飛曹 岡本  繁   (石川・甲飛11期) 上飛曹 樫原 一一   (香川・甲飛11期) 上飛曹 立川 徳治   (大阪・甲飛11期) 上飛曹 山下 幸信   (香川・乙飛17期) 上飛曹 鳥居 義男   (愛媛・乙飛17期) 上飛曹 南  藤憲   (宮崎・乙飛17期) 一飛曹 佐藤 貞志   (福島・甲飛12期) 一飛曹 飛鷹 義夫   (熊本・甲飛12期) 一飛曹 樋口 武夫   (佐賀・乙飛18期) 一飛曹 土井 惟三   (広島・乙飛18期) 一飛曹 木村  茂   (愛媛・丙飛15期) 一飛曹 三木 淑男   (和歌山・丙飛16期) 一飛曹 武田 廣吉   (岩手・丙飛16期) 一整曹 中島 佐吉   (群馬・整練68期) 一整曹 村山 省策   (北海道・整練96期) 二飛曹 藤木 政戸   (群馬・電練66期) 二飛曹 杉田 龍馬   (香川・電練66期) 二飛曹 牛濱 重則   (鹿児島・電練66期) 飛長  但木  正   (宮城・乙飛特2期) 飛長  明神 福徳   (高知・乙飛特3期) 飛長  大熊  賢   (岡山・乙飛特4期) 飛長  北村 義明   (神奈川・乙飛特4期) 飛長  坂本 吉一   (東京・乙飛特4期)

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