♪楠公父子♪

蒼空の果てに

白菊特攻隊

 還らざる若鷲たちへの鎮魂譜
              株式会社 光人社 平成14年11月発行               東京都千代田区九段北1−9−11             電 話 03(3265)1864 

 大東亜戦争が終結して既に半世紀が経過した。長い歳月の流れにかかわらず、若くして
大空の彼方に消え去った同期生の面影が今も眼前に彷彿とする。彼ら戦没者のご遺族に対
する戦死公報は画一的なものが多い。そのうえ遺骨さえ還らない現実に、無情を感じられ
ているご遺族が大勢おられる。
 
 慰霊祭などに参加されたご遺族のお話しを伺うと、いつどこの基地からどんな飛行機に
乗って出撃したのか? そして、いつどのような状況で戦死したのか? また生前どこの
基地でどんな生活をし、どんな訓練を受けていたのか。などなど、入隊以降の情報はほと
んど承知していないご様子が、言葉の端々からも感じ取ることができる。

 しかし、搭乗員の宿命として死亡時刻や場所など確認できる状態ではなかった。出撃し
て予定時刻になっても帰投しなければ戦死と認定される。また、特攻隊員には初めから帰
還の予定時刻などない。出撃すなわち戦死である。最後の状況など誰も見届けていないの
が通例である。たとえ見ていた者が居たとしても、その者も後に続くのである。

 とはいえ、ご遺族としては戦死の状況や生前の生活など詳しく知りたいのは人情であろ
う。当時の状況を回想すると、一枚のハガキを書くにも検閲を意識して事実を書くことは
はばかられた。

 また特攻隊が編成されても、その事実を知らせることさえ禁止されていた。さらに遺書
を書くにしても、確実に父母の許に届く保証はなかった。そのうえ他人の目に触れること
を考えれば、通り一遍の文章しか書けず、本心をそのまま伝えることなど不可能であった。

 彼らと同じ体験をした私は、残された数少ない遺書の行間に隠された文字を読み取り、
その苦衷を察することができるだけに、涙なくして読むことができない。電話の発達した
現在では想像もできないことだが、親や兄弟に伝えたいことが山ほどありながら、当時の
われわれはその手段を持たなかったのである。

 大多数の者は一枚の遺書を書く機会さえ与えられず、言いたいことも言えず、ただ黙っ
て大空の彼方へ消え去ったのである。しかし、今なら真実を話すことができる。その彼ら
の心情を推し量り、真の姿を少しでもご遺族に伝えることができればとの一念でまとめた
のが「白菊特攻隊」である。

 昨今、ご遺族の高齢化が進み、昨年私が戦没者の遺書や遺稿をまとめて開設したHP
「蒼空の果てに」 http://www.warbirds.jp/senri/  を閲覧し、メールを寄せられるのは
若い世代が主流である。時代の流れをひしひしと感じている。

 このたび、NF文庫出版にあたり、願わくば若い世代の方にも、是非読んで戴きたいと
念願するものである。    

    二〇〇二年十月                       永末千里
白菊特攻隊 あとがきより
     寺田様からお手紙をいただきました。
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