蒼空の果てに 目次へ

      保存掲示板〔31〕19-10-1⇔ 19-12-31

無題 投稿者:紗知 投稿日:2007/12/26(Wed) 23:19 No.475 
その後のご報告を致します。
本が出版されてから明日でちょうど5ヶ月、一仕事やり終えた安堵感で次に進めないで
いたところ、下記の書き込みを読みました。そして今日、3年間ずっと探していた大木を
直接知る方とお電話でお話しすることが出来ました。
その方は大木と同期生の乙17期、北海道にお住まいの方です。雄飛会の会報で私の
本を知り早速購読。その後新潮社にお葉書を下さったのです。
予科練時代大木と同班で、ペアになりいつも一緒に行動をされていた方でした。電話で
はあっという間に時間が過ぎてしまいました。何年も会っていなかった同期生と話して
いる様に?話は芋蔓式に長くなる一方でしたので、近々北海道に行こうと思っています。
更に驚いたことに、お風呂に入りながらラジオを聞いていると、沖縄の話でもなかなか
話題に上らない伊平屋島が取り上げられていてビックリ。
5ヶ月も休んでいるんじゃないっ!と、背中を押されたのだと思いました(笑)
蒼空様、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

蒼空 > 今日一人の旧友の告別式に参列しました。散る桜残る桜も散る桜。 (12/27-21:53) No.476
はじめまして 投稿者: 投稿日:2007/12/20(Thu) 23:20 No.468 
いつも興味深く拝見させていただいています。
前から戦史に興味があり、周囲に詳しい人がいないためここのHPを見ている
だけで、話に参加をしている気分になれました。
半年前から祖父の弟で戦死している大叔父の戦歴を調べています。
特攻隊ではないのですが、ここのサイトで情報や調査方法などにとても
助けられています。管理人さん本当にありがとうございます。
これから質問することもあるかと思いますが宜しくお願い致します。

吉田沙知様

この場で突然失礼しますが、著書を読ませていただきました。
とりで行動を起こし、お調べになったことにはただただ驚愕です。
私はまだまだ調べ始めですが、沙知さんの著書はとても参考になり、
また励みになります。そして何よりも同じ年で同じ女性の方が同じ
ような戦史に興味を持っていたことがとてもうれしかったです。
これからもがんばってください。

(もし個人向けのメッセージを禁止していましたら削除をお願い致します。)


蒼空 > コメントありがとうございます。頑張ってください。 (12/21-06:06) No.469
紗知 > 佐々木様、初めまして。大変嬉しい書き込みありがとうございました。
今日、久しぶりに訪問しましたら私に対するこのような書き込みがあり驚きました。
蒼空様のHPや掲示板は私をいつもハッとさせてくれます。
ひとつひとつの出会いに感謝したくなってしまう掲示板です。
佐々木様、少しずつでも地道に60余年前を残していけるよう
お互いにがんばりましょ!ありがとうございました。 (12/26-00:45)
No.472
蒼空 > 佐々木様よかったですね。
特攻の事跡を後世に伝えたい私の気持ちが伝わることを願っています。 (12/26-17:00)
No.473
初めまして! 投稿者:hide 投稿日:2007/12/16(Sun) 20:45 No.465 
このHPを訪問したとき、自分の住んでいる所が如何に戦争当時凄いところだった
事が解りました。 今の日本の平和は、多くの英霊の方々の元に築かれた物であり、
私自身の祖父が同じく海軍ではなく陸軍で戦死しました。 尊い犠牲の元に平和が
有ることを感謝していかなければならないと感じました。
私の家は、阿見町 予科練の有った場所まで3キロ程です。
私の家は、今は亡き祖母 祖父から聞いた、話しでは、裏側約2キロ程の所に
中島飛行機製作所があり私の部落でも本土空襲時に爆撃に有った様です。 
今もたまに、近くの予科練記念館に行きます。 
あそこには、予科練の像が建っておりますね。
それを見る度 今は、どんな世の中なんだろうと思います。 
殺人 偽装 会社の利潤主義 多くの英霊達が悲しんでいると思います。
日本の未来 繁栄を願って行った方々に私自身は、申し訳の無いことをしていると
思っています。貴方が若き日に見た筑波山は、今も霞ヶ浦から綺麗に見えます。
又今度陸上自衛隊霞ヶ浦駐屯地を訪ねた時には、香を捧げて来ようと思っています。
ここは、多くの海軍パイロット達を育てた地でも有りますし、私自身誇りに思っております。
お体に気をつけ頑張ってください。 有り難うございました。

蒼空 > ご来訪ありがとうございます。
今後とも宜しくお願いいたします。 (12/16-21:29)
No.467
無題 投稿者:雷電飛曹長 投稿日:2007/12/12(Wed) 14:29 No.463 
先日、上海陸戦隊本部跡に行ってまいりました。
建物は、以前のまま残ってました。
現在、上を建て増し、銀行や公安本部が使用してます。


蒼空 > またお会いしましょう。 (12/14-06:18) No.464
小山耕三少尉では 投稿者: 投稿日:2007/12/11(Tue) 10:38 No.461 
最近(毎日新聞社員から海軍報道班員となった時期があった)93歳の父が亡くなり
遺品を整理しておりましたところ、昭和20年4月16日早朝鹿屋から発進する天山と
思われる雷撃機を写した35mmの連続写真のコンタクトプリントと京都出身の小山
耕三少尉の遺書を写し書いた取材ノートが出てきました。
そこで疑問が生じたのですが、実施部隊特攻戦死者名簿701飛行隊神風特別攻撃隊 
菊水部隊天桜隊串良基地発 沖縄周辺艦船攻撃の4月16日に、天山操縦の小山耕二
少尉とある方は耕三の誤りではないでしょうか。
小山耕三少尉のことご存知の方あればお教えください。

蒼空 > ご指摘ありがとうございました。早速訂正致しました。今後とも宜しくお願い致します。 (12/11-15:41) No.462
神風。。 投稿者: 投稿日:2007/12/02(Sun) 20:56 No.459 
心から感謝しています!!こんな掲示板があるなんて!!まだ20代の若僧ですが
書き込みさせていただきます!今現在正直なお話、神風特攻隊?て何??なんて
言われてしまう時代!!辛いです!自分自身、小学生の時、初めて特攻!!
していく方たちのビデオをみて大和魂をみがえる!!とでもいいますか笑そんなのを
覚えています!みなが忘れかけた時代にさ迷う魂!今の僕らをどう見ているか?
なんて考えたりもします!

蒼空 > ご来訪ありがとうございます。今後のご活躍をお祈りいたします。 (12/3-05:53) No.460
蒼空さまへ 投稿者:さつき 投稿日:2007/11/19(Mon) 15:14 No.449 
蒼空さま、こんにちは。
日が浅く朝夕は寒く感じる季節になりましたがお元気でお過ごしでしょうか。

大伯父の事績を調べはじめ一段落つきましたのでお世話になりました蒼空さまへ
ご報告させて頂きたくて‥

大伯父は三重空甲飛11期予科練を卒業後に出水空から大村空を経て実践部隊へ
配属され横須賀空へ行き岩国空では零観部隊、州之崎空、茂原空を経て館山空で
252航空隊に所属しフィリピンへ旅立ち、フィリピンから台湾へ引き上げ台湾所在の
戦闘機部隊205、317戦闘機隊へ編成され20年3月9日に神風特別攻撃隊大義隊
の辞令がおり最期は台中にて敵の空襲を邀撃に出撃し敵戦闘部隊と空戦戦闘中
(グラマンF6F)に被弾して散華したそうです。

蒼空さまm(__)mありがとうございました。
季節柄 体調崩されませんようにご自愛ください。

蒼空 > さつき様 大伯父様の消息を解明できてよかったですね。
今後とも宜しくお願いいたします。 (11/19-22:05)
No.451
紗知 > さつき様お久しぶりです。詳細がわかってよかったですね!とても一生懸命
お調べになっておられたことが伝わってきました。これから先、大伯父様のことが後世に
伝えられますように。 (11/24-03:28)
No.454
靖国にて 投稿者:和田 章浩 投稿日:2007/11/19(Mon) 22:01 No.450 
本日、初めて参拝して参りました。
大層な愛国心ではなく、ただゝ英霊に首を垂れて いまの我々がある事を、生きて
いる事を感謝してきました。「祈り」は、このような形でも いいんですよね?
蒼空様 因みに、私の曽祖父も祖父も、此処には祀れていません。祖父は終戦時、
大森で高射砲部隊にいたそうです。

蒼空 > 靖国神社には先輩や同期生それに長兄も祀られています。
ことある毎に参拝しています。今後とも宜しくお願いいたします。 (11/19-22:09)
No.452
はじめまして 投稿者:Jackie 投稿日:2007/11/14(Wed) 11:12 No.446  HomePage
はじめまして。
仕事仲間に特攻隊員だった伯父を持たれる人が居ます。
先日その方から話して頂いた話をブログに書かせて頂こうと思い
特攻隊に付いてもう少し知りたいと思い検索をした所
こちらにたどり着きました。
仕事仲間に話してもらいブログに書かせて貰おうと思った話が
こちらに書かれている「第一部 かえらざる翼」の
「1−6 古里の空へ」と同じ隊員のお話しかも知れません。
仕事中簡単に聞かせて頂いたお話しでしたが
色々考えさせらるお話しで少しでも多くの方に知って欲しくて
書かせて下さいとお願いしました。

私はアメリカに長年住んでいて日系2世の方の
特攻隊員の方も居たとこちらで読ませて頂き驚きました。
アメリカ軍に入り両親の祖国と戦うこちらの日系兵の心中も
貴重なお話を沢山読ませて頂きました。
ありがとうございました。
日々寒くなりますががどうぞお体を大事にして下さい。

蒼空 > ご来訪ありがとうございます。今後とも宜しくお願い致します。 (11/14-18:43) No.447
知覧の少年飛行兵について 投稿者:れいこ 投稿日:2007/11/05(Mon) 23:56 No.435 
はじめまして。私の伯父は、戦死しました。今年叔母が九州旅行の際、偶然にも
知覧の記念館で戦死した伯父の写真を見つけ、知覧にいたことがわかりました。
伯父は北海道滝川市の出身です。峰田考悦といいます。知覧分教所の少飛10期
卒業とのことです。「第1区隊5組」の写真に5名で写っていました。
戦争関係の特攻隊の名簿などを捜しましたが、戦士した(出陣した)方たちの中に
は乗っていませんでした。10期卒業者は78名いたとのことですが、その方たちの
名前も見かけませんでした。知覧の分教所にいてもほかのところから飛び立つ
こともあるのでしょうか?特攻隊の仕組みもよくわからないため、調べようがあり
ません。どこからとびたったのか、知るてがかりなど、どなたか教えてください。

蒼空 > Ans,Q の投稿も読みました。先ず本籍地の役場で戸籍抹消の記録を確認して
ください。死亡日時や場所が分かります。次にその資料をもって北海道出身なら道庁に
行って照合すれば状況は解明されると思います。軍人の記録は海軍は厚生省に、陸軍の
聯隊区司令部の資料は各都道府県庁に保管されています。 (11/6-06:30)
No.436
おひさしぶりです。 投稿者:雷電飛曹長 投稿日:2007/10/30(Tue) 03:48 No.410 
先日、同じ研究仲間の一人からの間接的な質問で恐縮ですが、 
三宅さんとおしゃる方で、その友人談によると
出水-12空コタバル.ツドモゥ-シンガポール-アィルタール
-高雄.岡山.新竹.765空
備考欄14/9-12/2(←意味不明)上飛曹(最終階級と思われます)
↑ここまで個人欄↓教育分隊(鹿児島空甲飛12期)
第12分隊 第2班 先任教員上曹 吉田兼雄 
総員28名 戦死殉職10名 戦後死亡8名 健在10名(資料作成時)
予科練習生期間-18年4/1〜19年2/28 
同日出水航空隊飛行練習生に入隊
延長教育期間-19年5/25〜19年8/31-9/30
集合写真より ツドモゥにて 12空37期艦攻延長教育を受けたと判明 
桜飛会が纏めた資料につきましては、三宅氏に関する部分のみ
コピーさせていただき、手元にあります。原本は三宅氏所蔵
現地で話した通り、自宅(理容業)の客として、その時の話から
諸々の話を聞かしていただきました。
戦後は空自に所属、芦屋基地等を歴任、最終任地は築城基地
築城基地の話から推測するに警務関係の佐官と思われます。
とのことですが、ご存知でいらっしゃいますか?

蒼空 > 鹿児島空の12期は、前期(4月)後期(8月)に分かれて入隊しています。
第12分隊は前期で直接の面識はありません。 (10/30-06:29)
No.411
蒼空 > 三宅さんて、大分県下毛郡出身の、三宅正利さんのことですか?
(10/30-14:44)
No.413
雷電飛曹長 > はい、その通りです。やはり、先生の知人の方でしたでしょうか? (11/1-00:28) No.417
蒼空 > 耶馬溪出身の同期生を通じて一度逢った記憶があります。 (11/1-11:16) No.418
雷電飛曹長 > 松竹映画「母べえ」の予告編が、HPで公開されてます。私が、最初の出ています。一度ごらんください。 (11/1-12:37) No.419
雷電飛曹長 > 憲兵役です。 (11/1-12:39) No.420
知覧特攻隊 投稿者: 投稿日:2007/10/29(Mon) 23:29 No.409  HomePage
以前から特攻隊に興味があり実際知覧にもいきました。
でも最初に特攻にいかされたのは中国や朝鮮の国籍の人だと聞きましたが
本当のことなんですか??
もしそうなら日本はちゃんと授業で教えるべきだと思います。

蒼空 > 海軍に中国籍や朝鮮籍の搭乗員はいません。 (10/30-06:31) No.412
無題 投稿者:亜紀 投稿日:2007/10/17(Wed) 17:52 No.389 
蒼空様

ありがとうございます。やはり戦史が事実なのでしょうか。
私も何度か敷島隊の映像を見たことがあるのですが、一機だけ体当たりをしないで
島に不時着したとしたらこの映像でもはっきりわかるのではないかと思いました。
戦果をどうやって関大尉は知ることができたのか私も疑問に思いました。
もし関大尉が生きていたらそれでもマニラの攻防戦にも参加できないで終わったの
ではないか。宮本さんの話が本当ならもしかしたら関大尉は日本ではないどこかで
生きてたのではないかと想像が膨らんでしまいました。
疑問がたくさんあり、この場をお借りいたしました。

蒼空 > 先ずフイリピンの地図を見てください。敷島隊の攻撃目標はレイテ島沖の小島
スルアン島の沖30海里の機動部隊です。ここから敵地の中を泳いだり歩いたりでマニラ
まで帰れるとは思われません。更に新聞もないラジオも聞けない状態の逃避です。
また憲兵への通報を恐れるなら自分から身分を明かすとは到底考えられません。
海軍兵学校で正規の軍人教育を受けた海軍士官の行動とは到底考えられません。
(10/19-06:51)
No.391
亜紀 > 蒼空様 ありがとうございました。ようやく理解いたしました。地図でも
不可能だと思いました。いろいろな本がありますが、時々内容が違うので何も
知識のない私は混乱することがあります。こうして蒼空様に教えていただけた
ことに感謝いたします。 (10/20-13:22)
No.392
蒼空 > ご一読ください。「真実を語り継ぐために」  http://www.warbirds.jp/senri/23ura/43/sinzitu.html  (10/20-15:45) No.393
関さんについて 投稿者:亜紀 投稿日:2007/10/16(Tue) 16:14 No.385 
2回目の投稿になります。とても気になることがありこちらのほうに書かせて
いただきました。実は宮本郷三さんの「隼のつばさ」という書籍の中で「軍神は
生きていた」という項目で詳しく書かれてるところがあるのですが、その中でこの
宮本さんが昭和20年の1月11日以降の話ということでマニラ市内で関行男さん
ご本人に会って話をされたと書いてあるんです。どの書籍をみても関さんはその
前の年に敷島隊として成果をあげていて亡くなってる方だと思っていたのでこの
宮本郷三さんの書籍の内容が理解できないままでいます。

蒼空 > 私はその本を読んでいませんが、その本でそれ以降の関大尉を
どのように説明していますか? (10/16-22:03)
No.386
こんにちは。 投稿者:紗知 投稿日:2007/08/17(Fri) 22:30 No.267 
毎日、息苦しいほど暑い日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。

HPでの宣伝など、ほんとうにありがとうございます!
本日、お陰さまで3刷が決定いたしました。
15日は、靖国神社に行って参りました。
本の完成を報告するとともに、これまで見えない糸でさまざまな方との
出会いを導いて下さったみたまの方々にお礼をしたことで、ようやく
区切りがついたように思えました。

今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

蒼空 > 3刷! 本当によかったですね。一流作家にも劣らぬ内容です。
今後のご活躍を期待しています。 (8/18-11:21)
No.268
さおり > 紗知さん、初めまして。私は先日、日比谷公会堂で催された「あの戦場体験を・・」
を聞きにいき、その時に紗知さんの本を買わせてもらったものです。「若い方に読んで頂き
たかったので、嬉しいです」とお言葉をかけていただき嬉かったです^^帰りの電車の中で、
一気に読んでしまい大変感動しました。まさかご本人だとは知らず・・ 知っていれば本に
サインをしてもらえば良かった・・と、後悔しつつ家路につきました^^;とても興味深く最後
まで読みました。紗知さんの心の動きが手に取るようにわかり、一喜一憂してしまいました。
私もとても特攻に興味があり、何より彼らの写真を見るたびに胸が熱くなるんです。
あの凛とした顔、そして真っ直ぐな目。近いうちに私も知覧へ行って来たいと思っています。
これからも素敵なご縁めぐまれますように・・。応援しています。長文ですみません^^;
(9/23-00:03)
No.321
紗知 > さおりさん、こんにちは。読んで頂きまして本当にありがとうございました。
お返事遅くなりまして申し訳ありません。私は3年前からこのHPに大変お世話になって
おります。九州には陸軍の知覧や鹿屋意外にもたくさんの陸海軍の特攻基地があり、
(10/13-22:47)
No.383
紗知 > (投稿に失敗しました続きを書きます)・・・ゆっくり廻ってみたいと思っている
ところです。まだまだ勉強不足ですが、応援本当にありがとうございます!*鹿屋の
前に「海軍の」 (10/13-22:53)
No.384
亜紀さんへ 投稿者:蒼空 投稿日:2007/10/17(Wed) 16:15 No.388 
敷島隊の件私の資料によれば、爆装機5機、直衛兼戦果確認機
4機の編成で、10:45に体当り攻撃を敢行しています。
直衛機の西沢飛曹長は、歴戦のベテランパイロットです。夜間
ならともかく、昼間の攻撃で見間違いはないと思います。
宮本さんは不審な人物を発見しながら、何故憲兵隊へ通報しな
かったのでしょう。またいまさら原隊にかえれない人が街の中
を歩いていたのも不思議です。またそのような逃避のなかで、
戦果がデカデカと発表されたのをどうして知ったのでしょう。
疑問は増すばかりです。真偽を確かめるには時間がかかりそう
ですね。
無題 投稿者:亜紀 投稿日:2007/10/17(Wed) 08:49 No.387 
蒼空様、突然変なことを書いて申し訳ありません。
こちらのほうから本に書かれている内容を記載させていただきます。

マニラで宮本さん達のいるほうに海軍の飛行服を着用し、飛行帽までかぶった人が歩
みよってきて、その方は階級章もなければ軍刀も持っていなかったと書いてあります。

そして、宮本さん達に向って「オレは関だよ」と言ったみたいなんです。
宮本さんは驚いて「関大尉殿ですか?あの神風特攻隊の・・」彼は一瞬嬉しそうな
顔をして「そうだ」と答えたのである。
関大尉が「オレは確かに攻撃目標を発見して、急降下した。そして、無意識のうちに
(爆弾の)投下ボタンを押した。その後は目標すれすれに離脱したが、機関をやられ
ていたので、近くの島に不時着した」
その後に彼は、こうも言ったのである。
「そのうちに戦果がデカデカと発表になるし、いまさら原隊(二○一空)にかえるわけ
にもいかないし・・・いまのオレは所属部隊もないし、階級もない。いうなれば幽霊だ
よな・・・」そしてハハハ・・・と淋しそうに笑うのであった。
宮本さんは本物の関大尉に間違いないと確信したと書いてあります。
中略しますが、さらに「陸軍の佐々木伍長も生きてるよ」とつけたしているようです。
宮本さんが最後に思い切ってこの先どうしようと考えてるのか聞いてみたら関大尉は
「そうさなぁ。まさかこのままで生きてるわけにもいくまいし・・・そのうちどこか死に場所
を求めて、そこで死ぬよ」と言ったみたいです。
宮本さんの推測ですが彼は多分、マニラ攻防戦を死に場所に選んだのではないか・・
と宮本さんの本の内容を記載させていただきました。
宮本さんもその後の関大尉のことを知りたいものだと書いています。
私もこれが本当なら知りたいです。
関さんについて 投稿者:亜紀 投稿日:2007/10/16(Tue) 16:14 No.385 
2回目の投稿になります。とても気になることがありこちらのほうに書かせていただき
ました。実は宮本郷三さんの「隼のつばさ」という書籍の中で「軍神は生きていた」と
いう項目で詳しく書かれてるところがあるのですが、その中でこの宮本さんが昭和20年
の1月11日以降の話ということでマニラ市内で関行男さんご本人に会って話をされたと
書いてあるんです。どの書籍をみても関さんはその前の年に敷島隊として成果をあげて
いて亡くなってる方だと思っていたのでこの宮本郷三さんの書籍の内容が理解できない
ままでいます。

蒼空 > 私はその本を読んでいませんが、その本でそれ以降の関大尉をどのように
説明していますか? (10/16-22:03)
No.386

こんにちは。 投稿者:紗知 投稿日:2007/08/17(Fri) 22:30 No.267 
毎日、息苦しいほど暑い日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。

HPでの宣伝など、ほんとうにありがとうございます!
本日、お陰さまで3刷が決定いたしました。
皆々様のお力添えのお陰だと思っております。

15日は、靖国神社に行って参りました。
本の完成を報告するとともに、これまで見えない糸でさまざまな方との出会いを導いて
下さったみたまの方々にお礼をしたことで、ようやく区切りがついたように思えました。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

蒼空 > 3刷! 本当によかったですね。一流作家にも劣らぬ内容です。
今後のご活躍を期待しています。 (8/18-11:21)
No.268
さおり > 紗知さん、初めまして。私は先日、日比谷公会堂で催された「あの戦場体験を・・」
を聞きにいき、その時に紗知さんの本を買わせてもらったものです。「若い方に読んで頂きた
かったので、嬉しいです」とお言葉をかけていただき嬉かったです^^帰りの電車の中で、
一気に読んでしまい大変感動しました。まさかご本人だとは知らず・・知っていれば本に
サインをしてもらえば良かった・・と、後悔しつつ家路につきました^^;とても興味深く最後
まで読みました。紗知さんの心の動きが手に取るようにわかり、一喜一憂してしまいました。
私もとても特攻に興味があり、何より彼らの写真を見るたびに胸が熱くなるんです。
あの凛とした顔、そして真っ直ぐな目。近いうちに私も知覧へ行って来たいと思っています。
これからも素敵なご縁めぐまれますように・・。応援しています。長文ですみません^^;
(9/23-00:03)
No.321
紗知 > さおりさん、こんにちは。読んで頂きまして本当にありがとうございました。
お返事遅くなりまして申し訳ありません。私は3年前からこのHPに大変お世話になって
おります。九州には陸軍の知覧や鹿屋意外にもたくさんの陸海軍の特攻基地があり、
(10/13-22:47)
No.383
紗知 > (投稿に失敗しました続きを書きます)・・・ゆっくり廻ってみたいと思っている
ところです。まだまだ勉強不足ですが、応援本当にありがとうございます! (10/13-22:53)
No.384
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