蒼空の果てに 目次へ

      保存掲示板〔33〕20-7-1⇔ 20-12-31

無題 投稿者:IFR 投稿日:2008/07/09(Wed) 02:58 No.670 
はじめまして。ブログ「老兵の繰り言」を拝見させていただきました。私、3年前に
自家用単発を取り現在もパイロット修行中の未熟者です。数年前に永末さんの
白菊特攻隊を読ませていただきました。特攻で検索していたところ、このブログに
たどり着きました。プロフィールの写真に見覚えがあったので、すぐ本棚にあった
「白菊特攻隊」を出して開いてみたらありました、大井空八洲隊時代の写真が。
特攻隊という特異な経験をされ、それを後世に伝えていこうとする永末さん、
本当にご苦労様です。散華された戦友の方たちのためにもとても大切な活動だと
思います。飛行機乗りの先輩でもあり同じ空の道を志しながらも生まれた時代が
悪かったばかりに辛く悲しい思いをされた日本の航空兵の方々には頭が下がる
ばかりです。中でも特攻隊関連の書籍を読むたびに今の日本について考えさせられ
ました。日本人の良い部分は随分と失われ、悪い体質は今なお色濃く残っている
現在の日本。派遣社員や契約社員、非常勤臨時職員、リストラ問題など・・・
使うだけ使って、いらなくなったらボロ雑巾のように捨てる、人を使い捨ての
消耗品として扱う体質、責任者の責任逃れ、ご都合主義・・・散華された方たちは
この現状を見てどう思われるのかと思います。
最近読んだ本で「特攻からの生還」「陸軍特攻 振武寮」「重爆特攻 さくら弾機」
「串良」がありますが、その中でも桑原敬一氏の「串良」は他の戦記とは違い、
武勇伝や強がりや見栄などはなく、特攻隊員であった筆者の人間らしさ、弱さ、
本音が書かれておりました。同期生や多くの予科練出身者から弱虫、予科練の面汚し、
ひきょう者などと批判を受けながらも、戦争の悲惨さ特攻隊の無念を伝えようと、
あえて弱さ、本音を隠さず公前で語り、批判も甘んじて受けてきた桑原氏。
「男なら弱音を吐くな」現在もなお日本男児として生まれけるは、この言葉を聞か
されてきていますが、特に弱さを見せることがタブーな軍隊という組織の中で生きて
きた人にとって、桑原氏の発言は納得いかないものなのでしょう。怖さ、寂しさ、
不安などの弱さを決して他人には見せまいと、自らの死が決定づけられているにも
関わらず、特攻隊員たちは常に人前では明るく振る舞っていたと聞きますが、しかし、
「にっこり笑って征きました」「仕方ないと潔くあきらめました」これだけでは今の
若者には戦争の辛さは伝わりません。「死ぬのが怖い」「悠久の大義では死ねない」
「なんとしてでも生きたい」と弱さを暴露してまでも、そして予科練出身者たちからは
侮辱されながらも特攻経験を伝えようとした筆者は本当に勇気のある人だと思いました。
しかし桑原氏のおかげで、当時の特攻隊の人たちも死を恐れない強靱な精神を持った
人間ではなく、我々若者と同じように弱さだってある若者たちであったとわかりました。
そんな弱さや苦悩を抱えながらも人前では明るく振る舞い、出撃のその日まで布団の中で
泣いて過ごして出撃し散華された悲惨さ無念が我々若者にも伝わるのだと思います。
氏が何としてでもリアルに特攻隊の実情を伝えようと書かれたこの本は、若輩者の自分に
はこれが一番ストレートに伝わる特攻の書籍でした。
これからも二度と戦争を起こさせないためにも散華された方たちのためにも戦争をリアル
に伝えていってください。応援しています。

蒼空 > 御提言ありがとうございます。今後しも宜しくお願い致します。 (7/9-06:05) No.671
空襲について 投稿者:Japan 投稿日:2008/08/10(Sun) 21:44 No.682 
母が夢の中で私が赤い布にベンジンをかけていたそうです、何をしているのだと
問いかけたら「空襲の時にすぐに焼け死ねるから」と話していたそうです。
このような事が現実にあったかどうか知らないでしょうか?
テレビ取材をうけました 投稿者:蒼空 投稿日:2008/08/12(Tue) 05:48 No.683 
昨日TNC(テレビ西日本)の取材をうけました。
終戦特集として、8月15日16:50、スーパーニュースの
時間帯に放送される予定です。ご覧ください。
小河原です 投稿者: 投稿日:2008/08/14(Thu) 23:18 No.684 
千里君、正澄です。息子からパソコンを買ってもらって孫の指導でインターネットを
練習しています。まだ何もできませんので、孫が代わりに打ってくれています。
8月15日の放送に出るそうですね。楽しみに待っています。近況:会社に行っても
相手にしてくれないので、インターネットの勉強をすることにしました。

蒼空 > TNC(テレビ西日本)のスーパーニュース(16:50〜)です。
パソコンも慣れれば簡単です。頑張ってください。 (8/15-05:44)
No.685
胸打たれます 投稿者:ならざき 投稿日:2008/08/15(Fri) 21:33 No.686 
テレビを拝見しました。
今日は終戦記念日、戦死なさった多くの方々に心からの慰霊を捧げます。
そして戦争を語り継ぐべく早朝からパソコンに向かわれる蒼空様のお姿に
胸打たれました。どうぞ、これからもお体を大切に頑張ってくださいますよう
お祈り申しあげます。

蒼空 > ありがとうございます。がんばります! (8/16-05:40) No.687
八月 投稿者:suzuran 投稿日:2008/08/16(Sat) 20:07 No.690 
残念ながら、間違って違う番組を録画していたようで、拝見する事が出来ません
でした。本当に残念でした。以前、出演された時のように、hpで拝見することが
できますように。。。 民族の誇りのため、アジアの独立のための戦いならば、
戦争も仕方のないこと。と、余りにも平和な現代人として考えておりましたが、
戦争の悲惨さを見るにつけ、それは間違いだともおもいます。しかし、そうなると、
特攻の方々の思いはどうなるんだ?あの方々は、家族、国を守らんがためいかれた。
その思いはどう受け取ればいいのか?戦死された方々を送ったご家族の皆様の心の
悲しみはまだつずいているのに。。。それでも国難のときは戦争もしかたないのか。。。 
ただ言えるのは、今の日本があるのは戦って下さった方々がいたからですね。
本当に感謝の気持ちを捧げます。

蒼空 > 新聞のテレビ番組表にも問題があります。2時間番組では何時頃を表示しないと
迷います。 (8/17-05:45)
No.691
今晩は 投稿者:小賀 投稿日:2008/08/21(Thu) 01:05 No.694 
初めまして。私の祖父も予科練にいました 
昭和18年4月三重入隊です。ですがそのとき管理人さんより2歳も年上でした
昭和17年10月の2次試験で落ちて受け直したのです。
祖父に飛行機話を聞くのが大好きでした
こちらのサイトを見つけたときは、驚きでした。
(ご自分でサイト運営されること)興味深い話ばかりです。これからも楽しみにしています。

蒼空 > われわれ甲飛12期は、土浦・三重・鹿児島に、4月・6月・8月に分かれて
入隊しました。予科練卒業きみな19年3月でした。 (8/21-05:54)
No.695
小賀 > こんばんは2ヶ月 (8/21-19:45) No.696
小賀 > 途中で書き込みしてしまいすみません。 2ヶ月違いでも同じ12期なのですね!
知りませんでした。
祖父は慰霊祭や8月15日の靖国神社お参りで管理人さんにお会いしているかもしれません。
(搭乗していたのは天山で終戦時には鈴鹿の第二飛行場にいました。) (8/21-20:00)
No.697
蒼空 > おそらく姫路航空隊で艦上攻撃機の操縦訓練を受けたと思います。
私も903空で天山を操縦していました。 (8/22-05:58)
No.698
お久しぶりです(^-^) 投稿者:みなみ 投稿日:2008/08/26(Tue) 02:46 No.699 
永末様、お久しぶりです。以前書き込みさせていただきました者です。
お言葉に甘えてまたお邪魔させていただきます。子供が体調を崩してしまい、
お邪魔させていただくのが遅くなってしまいました(>_<)
今年の夏ももう終わってしまいますね。伊勢は朝夕は肌寒いくらいです。
私は今年も、8月15日に伊勢神宮へ参拝してきました。毎年思うのですが、
やっぱりこの日は参拝客が多く、参道を歩いてご神殿へ着くまで苦労してしまいました。
戦争のせの字も知らず、何もできない私ですが戦争が二度とおこらないよう、
勇敢に戦って散華された方のほか戦争で命を落とされた方々に感謝と追悼の意を
捧げました。私は終戦記念日が誕生日なので、戦争は経験していなくても戦争への
思いは一生忘れずにお祈りします。できるなら靖国神社へお参りしたいのですが…(>_<)
近いうちに必ず行きます!永末様のHPに出会えたおかげで人間が大きくなった気が
します。ありがとうございます! TV出演されたのですね!もっと前にここを
拝見していたら…(T_T)見逃したのがくやしくてたまりません…
永末様素晴らしいです!現代のいろんなメディアで戦争の真実を語られていて…
本当に尊敬します。でもその陰では並ならぬ努力をされてるのでしょうね。
元特攻隊の方ゆえの強さ?精神を感じます!私なんかが歳をとっても及ぶもの
では到底ないです。今回も長々しくなってしまいました(T_T)いつも読んでいた
だき、お返事までありがとうございます!! 
ブログも拝見させていただいてます。
ずっと応援していますので永末様、お体に気をつけて頑張ってください。

蒼空 > ご激励ありがとうございます。今後とも宜しくお願い致します。 (8/26-05:31) No.700
無題 投稿者:筒井昭一 投稿日:2008/09/09(Tue) 10:17 No.706 
先輩が背振基地に勤務されていた時の思い出を拝見して、私の過去から現在を
振り返るとき色々こみ上げて来るものがあり,なっかしく拝見しています。

蒼空 > 14日の慰霊祭で会いましょう。 (9/10-17:51) No.708
祖父の弟の情報求む 投稿者: 投稿日:2008/09/15(Mon) 10:29 No.714 
蒼空様、
祖父の末弟が、海軍航空隊で戦死しております。
ホームページの内容には、切実な想いを感じます。
蒼空様とは、年代が異なりますが、何か情報があれば
教えてください。
海軍航空二等兵曹
岸 長久 大正11年3月25日生まれ
昭和15年6月 呉海兵団に入団
昭和18年4月12日 ポートモレスビーに於いて戦死
残された写真には通信学校時代のもの
練習用複葉機の前で飛行服を着たものがあります。
最後、家を出るととき
「必ず敵の船を沈めてやる、そのために敵船の煙突に突っ込むんだ」といって
いたそうです。しかし、出征するときは何度も家を振り返りながら出て行ったそうです。
戦死日時から い号作戦 Y攻撃ではないかと思われますが、
岸 長久に関して何か情報があれば、ご教授下されば幸いです。
本人も、喜ぶと思います。

蒼空 > 主に同期生の活躍を収集したので、昭和18年以前の戦績については
調査しておりません。ごめんなさい。 (9/15-12:34)
No.715
御協力お願い致します。 投稿者:春日原球場 投稿日:2008/09/13(Sat) 20:53 No.711 
はじめまして
私は福岡県は春日市に在住している者ですが
インターネットで色々と検索している時にこちらのサイトを
発見した次第です。
私は春日市の郷土史を個人で研究しているのですが
もし、下記の件で、ご存知の事がありましたら教えて頂けないでしょうか?
その当時、春日原には「春日原海軍飛行場」があったと聞いています。
海軍春日原航空特別攻撃基地は一般には秘密の飛行場でした。
秘匿航空基地「牧場」として佐世保鎮守府内に11箇所新設されたものの
ひとつだそうです。その場所は西鉄電車の春日原駅の西側に位置し、
広い運動公園を利用し運動場の400mトラックと隣の野球場の一部を
つぶして作られました。現在は痕跡も残っていません。場所は龍神池
(埋め立て前はもっと大きかった)の東側と西鉄春日原駅の間になります。
地番は 春日市春日原北町から 春日原東町にかけての住宅街です。
九三式中間練習機や 二式中練 に150kg爆弾を、 機上作業練習機「白菊」
には250Kg爆弾をつけて体当たりをするための特攻基地との事です。
私はその滑走路がどこに位置していたのかを知りたくて色々と調査しているの
ですが全く判明していないのが実情です。もしご存知であれば、是非、
教えて頂きたく思っております。宜しくお願い致します。

基地の概要について
所管:佐世保鎮守府
所在地:春日村
基地名:春日原
牧場名:春日野
建設年月:昭和20年7月
主要機体:小型機
主任務:発進:掩体:分散:その他:離着陸1方向
引用:春日市史

蒼空 > 九州飛行機で製造した飛行機は、西戸崎の飛行場から送られていましたので、
近くに飛行場建設を計画したそうですが、完成をみずに終戦になったそうです。
(9/15-12:37)
No.716
無題 投稿者:高橋 投稿日:2008/09/20(Sat) 14:13 No.720 
はじめまして、私は谷田部航空隊のありました、茨城県つくば市谷田部に住んでいる者です。
当時小学生だった父などは、飛行場から飛来する零戦や雷電などを見たり、
米軍機に繰り返し機銃掃射される様子などが恐怖とともに記憶に残ってるそうです。
私の大叔父も操練35期出身の艦攻乗りで、日米開戦時には翔鶴の艦攻隊に所属してお
りました(ただ、真珠湾攻撃には血圧が高くて飛行止めになり、出撃できなかったそうです。)
南太平洋海戦の後、艦隊勤務を離れ三重空などで飛行教員、教官勤務をし、終戦は長崎
の大村航空隊で迎えたそうです。
戦後は蒼空様と同じ様に、航空自衛隊に勤務し、三等空佐で退職いたしました。
大叔父的には、まさか戦争になるとは思わず、飛行兵になって大型の飛行艇でも
のんびり操縦できたらいいな程度で、海軍に入隊したそうです。
20代のほとんどを戦争で費やした大叔父ですが、今も91歳で元気に過ごしております。
蒼空様もお体に気をつけて、日々お過ごしください。

蒼空 > つばさ会(空自OB会)の名簿を調べましたが、入会されていないょうですね。
「自衛隊こぼれ話」をご一読ください。
 http://www.warbirds.jp/senri/jasdf/ (9/20-20:15)
No.722
鹿児島海軍航空隊格納庫解体 投稿者:ぶにせ 投稿日:2008/09/17(Wed) 13:06 No.718 
はじめまして、鹿児島市内のものですがどなたも投稿していないので投稿します。

南日本新聞(http://373news.com)
『旧海軍格納庫、撤去始まる/鹿児島市真砂本町 戦争遺跡また姿消す
(2008 09/12 07:18)解体作業が始まった旧鹿児島海軍航空基地格納庫=11日午後5時、鹿児島市真砂本町 南国交通(鹿児島市中央町)がバス車庫として使っていた同市真砂
本町の旧鹿児島海軍航空基地格納庫の解体、撤去工事が始まった。1941(昭和16)年
に建てられた基地跡を示す唯一の建物で、鹿児島市内の戦争遺跡がまた一つ姿を消す。
工事は9日に始まった。旧格納庫は広さ約2600平方メートル、高さは4階建てビルに相当する。近隣住民から景観、騒音などの苦情が寄せられており、同社は同市小野町へ車庫移転を計画。
老朽化が進む格納庫修復には数千万円かかるため、取り壊すことにした。
旧鹿児島海軍航空基地格納庫の内部 内部の木造部分から着手し、その後、約2週間かけて格納庫本体を解体、撤去する。敷地全体の工事は10月中旬までかかる予定。
跡地の売却計画はなく、高速、空港バス約20台はこれまで通り駐車する』
жホームページには写真も掲載。
なお、荒田に航空隊兵舎を移設して使用している鹿児島市交通局市電事務所も移転が決定していますのでいつなくなるか分かりません。

蒼空 > 私は昭和18年8月から19年3月まで、鹿児島海軍航空隊に在籍していました。
飛行場では第1航空艦隊第261航空隊(通称虎部隊)が訓練を行っていました。
懐かしいと同時にこれらの施設がなくなるの寂しいかぎりです。 (9/17-17:41)
No.719
ぶにせ > 南日本新聞の詳しい情報が抜けていました。申し訳ありません。http://373news.com/modules/pickup/index.php?storyid=12693 (9/22-08:13) No.727
ぶにせ > 南日本新聞の詳しい情報が抜けていました。申し訳ありません。http://373news.com/modules/pickup/index.php?storyid=12693 で直接記事に飛べます。
なお数ヶ月で古い記事は削除されるようです。 (9/22-08:15)
No.728
ぶにせ > またまた誠に申し訳ありません。投稿に不慣れで二重になりました。 (9/22-08:44) No.729
無題 投稿者: 投稿日:2008/09/21(Sun) 15:07 No.723 
はじめまして。まいと申します。18才、高校3年生です。
お尋ねです。「762航空隊 偵察 一飛曹」の本仮屋孝夫さんは
どのような方だったのですか?
どなたか、ちょっとした情報でもいいので教えてください。
「本仮屋」という苗字は自分の親戚しかいません。
同じ「本仮屋」として知っておきたいです。
知っている方がいさっしゃいましたら
メールください。よろしくおねがいします。

蒼空 > 鹿児島の方ですね。予科練雄飛会の鹿児島支部に連絡してみてください。支部は「予科練資料館」 http://www.yokaren.net/modules/tinyd0/ にお尋ねください。 (9/21-15:34) No.724
ぶにせ > 『梓特別攻撃隊』(光人社単行本・2000年)110頁・152〜156頁・197頁・204頁・254〜256頁に記事や写真があります(文庫版とページが同じかは分かりません)。要約しますと「梓特別攻撃隊第1中隊隊第2小隊5区隊一番機偵察員で03月11日鹿屋基地出撃。エンジン故障で南大東島不時着大破するも全員無事。03月18日未明、沖縄攻略の支援のため九州・四国の基地攻撃のため四国沖に米第58機動部隊が接近。18日0628時、これに突入すべく築地基地より爆装銀河六機出撃。内一機はグラマンと交戦後帰還、他は未帰還。五機中三機が敵艦隊まで到達。のち「菊水部隊銀河隊」と命名される。遺書と家族との別れ」 (9/22-11:14) No.730
ぶにせ > 遺書と家族との別れの話(154〜158頁)も載っています。なお本籍地は旧霧島町です。 (9/22-11:21) No.731
蒼空 > 当HP「特攻隊戦死者名簿」の「実施部隊関係」収録しています。鹿児島在住の同期生に連絡しています。 (9/22-13:22) No.732
ありがとうございます。 投稿者: 投稿日:2008/09/22(Mon) 18:15 No.733 
蒼空さん、ぷにせさん。
本当にありがとうございます。

すごく助かりました。
私は「特攻隊」などについて全く知識がないので
この機会で勉強しようと思います。
燃料 投稿者: 投稿日:2008/09/22(Mon) 01:05 No.725 
はじめまして。戦後生まれの新人類と呼ばれた、今は40半ばの世代です。
特攻隊が何故か人事とは思えず見識を広げている最中で、お教え願いたくメール致しました。
時折、「片道分の燃料で出撃した特攻機」と見聞きするのですが、
何かの資料に、攻撃効果を高めるために燃料は満タンにしたとありました。「片道燃料の特攻機」とは、戦艦大和が沖縄に水上特攻した際、片道分の燃料で出撃した話と混同しているのではと思うのですが、実際はどうだったのでしょうか?

蒼空 > お説のとおりと思います。参考までに次の頁をご覧ください。 http://www.warbirds.jp/senri/08tubasa/14kusira/index.html (9/22-06:29) No.726
> ありがとうございました。また、関連のエピソードもたいへん参考になりました。今後とも、よろしくお願い致します。 (9/23-00:14) No.734
ご存知ありませんか? 投稿者: 投稿日:2008/09/23(Tue) 17:40 No.735 
初めまして、ここへはたびたびお邪魔しております、私のおじ様のことを少しでも知りたくて。
私の伯父は、多分乙飛12期だと思うのですが母も良く解らない様で戦死の日時が解るくらいで、母の兄弟でもほとんど知りません。
私の解るのは、20年5月25.6日沖縄方面で戦死した事と
鹿児島基地に所属したことくらいです。
階級は、飛曹長で先任飛行長をしていたようです。
曽我辰巳をご存知ありませんか、まったく勝手なお願いですがよろしくお願いします。
伯父の長兄二人も戦死しており、経歴も何も解りません、今の私の歳の半分にも満たない歳で終わった伯父の生き様を少しでも知りたくてメールしました。  よろしくお願いします。

蒼空 > 762航空隊で鹿屋基地から沖縄爆撃に出撃されたものと思います。詳しくは防衛研究所(旧防衛庁戦史室)で調査してください。 (9/24-06:57) No.737
> 早速のご返信ありがとうございました。 (9/25-19:28) No.740
名前 返信 文字色 削除キー

アクセス件数急増 投稿者:ブンゾウ 投稿日:2008/09/24(Wed) 01:21 No.736 
永末さま、お世話になります。私なりの推測ですが、20日は東京の放送局が知覧特攻隊を題材にした「なでしこ隊」の物語を放送したため、視聴者で特攻に関心を持った方々がインターネットを利用したのではないでしょうか。
なでしこ隊は知覧の女学生で、特攻兵の身の回りの世話をしたとのことですが、同じような事例は海軍の特攻基地でもあったのでしょうか。あるいは、知覧が例外的なのでしょうか。

蒼空 > お説のとおりと思います。「男たちの大和」もTV放送されました。主にヤフーの検索「特攻隊」からでした。それにしても、特攻隊に関心のある方が大勢いて心強いです。 (9/24-07:01) No.738
ブンゾウ > おこたえありがとうございます。「特攻隊」は、つい64年前のことです。忘れてはならない、考え続けなければならない史実だと思います。そのためにも、どうか我々知らない世代にご教示をよろしくお願い致します。 (9/24-23:38) No.739
国を思う心よ永遠なれ 投稿者:台湾に行ってみたい男 投稿日:2008/10/08(Wed) 15:35 No.753 
突然の質問にて御無礼お許し下さい。
私の父親(後藤好也:大正12年6月生まれ、平成18年9月没 享年84歳 海軍入隊昭和17年5月、終戦時上等整備兵曹)は、仙台の工業学校におりましたが、大空への夢を抱き、仙台にあった航空機乗員養成所(陸軍系)に入所、95中練、99高練などの操縦訓練を積んでいました。しかし、戦局の進展とともに、在所訓練生は全員が陸軍への入隊が決まりそうになったそうです。父は「どうしても陸軍にいきたくない。」との思いから、とりあえず受験できる海軍整備兵の募集に応じ、入隊しました。横須賀海兵団に入ったそうですが、一週間後に上官から呼び出され、「お前は乗員養成所にいたそうじゃないか、搭乗員が足りないんだからすぐ異動だ。」と申し渡され、神奈川県相模野、青森県の三沢航空隊での零戦の操縦訓練を経て、呉から航空母艦「龍鳳」に乗り組んで台湾の基隆で下ろされ、台南航空隊への勤務を命じられました。その頃は昭和18年頃ということです。その後もずっと零戦に乗り、終戦まで飛んでいて昭和19年10月の台湾沖航空戦の際は、上がっては落とされを繰り返し、3度撃墜されてしまったそうです。また、戦局悪化に伴い、台湾からフィリピンに輸送船で向かう途中、潜水艦に撃沈され、8時間位漂流したとのことです。その他、台湾にいた頃は零戦のほか「彩雲」の操縦もさせられたことや、戦後は昭和21年3月に復員するまで、チョウ(漢字不明)大佐率いる中国軍が進駐してきて銃剣術の試合をさせられたことなどを話していました。
 ところで、父は私に嘘をつく必要がないとは思いますが「台湾ではずっと虎尾という基地にいた。」と話しておりました。他のお話の中で『虎尾は解隊された。』とのことですが、予科練の皆さんや予備学生の皆さんが訓練された虎尾航空隊と敷地を同じくして台湾防空に従事した小規模の基地航空隊があったようなことを話していたのでした。父は飛行時間がある程度に達していたことや、戦闘や強行偵察で辛くも生還する機会が多いため、特攻隊の護衛・戦果確認(実際にはそのような余裕はなかったようです。)をしていたとのことで、私が興味を持ってしつこく聞いてもなかなか教えてくれませんでした。
 そのようなわけで、台湾の写真もなければ、名簿らしいものもありません。写真は3枚あり、海軍に入ったばかりの時のもの(2種軍装・一等整備兵・普通科卒業マーク)、江ノ島で撮ったというもの(同様ですが、袖に何かを掛け合わせたような袖章)、台湾にいる時、強行偵察に行く前日「帰れないから」ということで急遽写したもの(略帽に宣1本、マフラーに飛行服)しかありません。
 エピソードとして、零戦で一番長く乗ったのは52型で主翼は20ミリから13だか14ミリに換装していた(兵器レンというところに頼んだ)と話していました。また、戦局がひどくなる以前には、台湾から零戦で単機によりシンガポール経由のスラバヤまで暗号表(帳?)を運んだことがある。とか、地上銃撃で撃墜されたグラマンパイロットの処遇を巡り、指揮所で士官がコーヒーを出したことが陸軍の憲兵隊に知れ、基地の士官が同行を求められた際、搭乗員らがトラックで憲兵隊に乗り込んで士官を奪還したなどということもあったということでした。
 長文となり大変申し訳ありません。
 いずれ、父本人は決して自分からこの話をしてはくれませんで、すべて私が聞き出したものです。
 父は他界しましたが、暮らしの中に良い意味での海軍精神を活かし続けたと思います。もちろん、私にもそれは伝わっていると感じております。
 特攻隊の方々の出撃シーンがテレビ等で放映されると、いつもこっそり涙を拭いている姿がいまも思い出されます。
 まとまりがなくなり申し訳ありませんが、虎尾航空隊とは別個に、台南航空隊虎尾基地が存在したものと思われますが、いかがなものでありましょうか。お伺いいたします。
 時代がめまぐるしく移り変わる中で、命を国に捧げた英霊の皆さんに応えるられるような国になるよう努力していきたいと考えております。
 失礼いたします。

蒼空 > 私の同期生の手記をご一読ください。 http://www.warbirds.jp/senri/10kaiko/07kawaguti/index.html (10/8-17:06) No.754
モリン > お父上、戦友会には入ってられなかったのでしょうか?(投稿No744ご参照ください) (10/26-20:23) No.758
名前 返信 文字色 削除キー

なでしこ隊 投稿者:suzuran 投稿日:2008/10/04(Sat) 22:35 No.749 
なでしこ隊のことは、先日の番組で初めて知りました。
初めて聴く隊員も方の声に、胸がしめつけられる思いでした。
敵の攻撃の中、見事な操縦で体当たりされた映像は、映画の世界としか思えませんでした。空の青さが本当に切なくて涙がでました。
 私は、愛国精神に満ちあふれた特攻の方々を心から誇りに思います。あの方々の思いを少しでも感じ取れるよう自分の人生を生きたいと思います。
 現代を生きる私達は祝福されていると感じました。
 蒼空様 またよらせていただきます。お元気のこととおもいます。

蒼空 > ご来訪ありがとうございます。今後とも宜しくお願いいたします。 (10/5-05:55) No.750
虎尾航空隊戦死者の甥ですが 投稿者: 投稿日:2008/09/29(Mon) 13:14 No.744 
蒼空様、
父(陸軍・ビルマ歴戦・生還・平成18年没)の兄(自分にとって叔父)が、海軍航空隊で戦死しております。

蒼空様とは、年代一緒でしょうか?
何か情報があれば教えてください。

海軍航空少尉
森 弘 13期海軍飛行予備学生(雲流るる果てにの書籍の巻末に名簿掲載)
昭和20年2月、虎尾海軍航空隊 解隊.

日本に向かう南京丸乗船.
 
昭和20年3月17日台湾沖海峡で、敵潜水艦の雷爆で沈没 戦死

父の遺品整理しておりましたら13期飛行予備学生の虎尾航空隊在籍者資料綴(岩井幸司氏 平成12年)がみつかりました。

昭和20年2月ころは台湾から内地へは郵便、送ることは
不可能であったのでしょうか?愚問よろしくお願いいたします。

蒼空 > 同期生川口君の「台湾の思い出」をご一読ください。 http://www.warbirds.jp/senri/10kaiko/07kawaguti/index.html (9/29-15:45) No.745
モリン > 早速のご返信、有難うございます。 (10/26-20:47) No.759
はじめまして 投稿者:中村 投稿日:2008/10/27(Mon) 14:05 No.760 
蒼空様

はじめまして。
大変立派なサイトで、興味深く拝見いたしました。

蒼空様のサイトへは、グーグルで「予科練甲飛12期」検索して参りました。
私の父は、三重甲飛12期、攻撃第704飛行隊員でした。




蒼空 > ご来訪ありがとうございます。お父上へ宜しく伝えてください。 (10/27-21:36) No.762
中村 > ご返信ありがとうございます。 (10/28-11:18) No.763
中村 > すみません途中で送信してしまいました。蒼空様の文章は押し付けるようなところがなく、淡々としていて、丁寧で読みやすく、お人柄がしのばれます。私の父は12年前に亡くなりました。息子(高校1年生)が、祖父が海軍パイロットであったことを誇りに思い、私に色々と質問しますが、わからないことが多く、こうしてインターネットで、少しづつ検索し、調べております。これから自衛隊についてのページも拝見しようと思います。蒼空様はいつまでもお元気でいらしゃいますように、お祈り申し上げます。長々と失礼いたしました。御免下さいませ。 (10/28-11:45) No.764
無題 投稿者:予科練跡地に我あり 投稿日:2008/09/27(Sat) 04:47 No.741 
初めまして。
このたびは、予科練5期の大多和達也について
知りたいです。

現在私の父は、茨城県稲敷郡美浦村(予科練跡地)で飛行機クラブの会長をしております。
前任の会長は約10年ほど前に他界してしまいましたが、予科練5期の大多和達也さん(著書:予科練一代)です。

大多和さんは、真珠湾攻撃(空母赤城)、ミッドウェー(蒼龍)に九七艦攻で参加、その後はテストパイロット、また教官をしていたそうです。

先日、飛行機の格納庫にいったら、片隅に大多和さんが置いていたと思われる神社のお札がありました。

そのお札には、神風特別攻撃隊敷島隊 とかかれておりました!

そこで、
大多和さんは教官でしたので、もしかすると
敷島隊の教官は大多和さんだったのではないかと思い、
メールさせていただきました。
今となっては知るすべもございません。

何かご存じの方がいらっしゃいましたら、教えていただけましたと思っております。

よろしくお願い致します。



予科練跡地に我あり > ご回答ありがとうございます。「予科練一代」読みましたし、父からも艦攻の操縦員であることは聞いておりました。しかし、敷島隊のお札があlっつあのは偶然ではないと思いご質問させていただいていた次第でございます。改めて、ありがとうございました。 (10/3-23:37) No.747
ブンゾウ > このお話に関心を持ちましたので、失礼ながら、「予科練一代」を読んでの推測を述べさせていただきます。予科練時代、大多和さんが操縦適正検定飛行を受けたときの担当教員は艦攻の二空曹だったと書かれていますので、後年、同じように大多和さんが教員として赴任し、やがて敷島隊の一員となる練習生を指導した、ということは考えられないでしょうか。全くの推測に過ぎませんので現実離れしているかも知れませんが…。 (11/30-16:01) No.771
蒼空 > 甲飛10期生(飛練32期)は18年5月から、千歳基地と三沢基地で中練教程を行っています。大多和氏との接点はありません。また戦闘機の実用機教程に艦攻操縦員が教員となることはありません。このお札は別の意味があると思います。 (11/30-16:52) No.772
ブンゾウ > 拙い推測へのお答えありがとうございます。お札の意味を考えると色々興味が湧きましたので、ついでながら、もうひとつの推測を述べさせていただきます。昭和17年暮れから大多和さんが赴任した横須賀海軍航空隊では反跳爆撃の実験を行ったと書かれています。その時の隊長は高橋定少佐だったとありますが、別書「神風特別攻撃隊」に寄れば、比島で特攻隊が編成される前セブ島で反跳爆撃訓練が行われ横須賀から高橋少佐(前書では大尉)が数日間指導に出向いたとありました。その時大多和さんが同行したと都合よく推測すれば、話はつながるのですが…。敷島隊が突入を果たす出撃の前日に急遽編入された大黒繁男上飛(丙17)は反跳爆撃実施のため比島に赴任となったそうですから、高橋少佐との接点はあったと考えられます。直接の関わりでなくとも、大多和さんは高橋少佐からお話など聞いていたのではないでしょうか。 (12/3-00:39) No.774
蒼空 > 反跳爆撃は雷撃の照準要領と似ているので、大多和氏が指導したとは十分考えられます。 (12/3-10:17) No.776
ブンゾウ > ありがとうございました。敷島隊、大多和さん、そして大多和さんが残されたお札…、不思議な縁を感じるお話です。 (12/7-23:06) No.778
開戦記念日 投稿者:suzuran 投稿日:2008/12/09(Tue) 00:08 No.779 
昨日になりましたが、日本が真珠湾攻撃をした日です。
「十二月八日 高村光太郎」の詩を、今はじめてよみました。
御存じない方は、ぜひお読みになってみて下さい。
無題 投稿者:串良 投稿日:2008/12/16(Tue) 13:26 No.783 
不躾な質問をして大変申し訳ございませんが、甲飛13期のことについて、ご教示頂くことはできるのでしょうか?
宜しく願いします。

蒼空 > 甲飛13期は3万人近く入隊しています。どのようなことが知りたいのでしょうか? (12/16-18:59) No.784
串良 > 私には、来年1月で80歳を迎える父がおります。 (12/18-17:49) No.785
串良 > これまでほとんど戦争中の話をしたことはありませんでしたが、70歳を過ぎた頃から、少しずつ戦争の話をし始め、その中で次のように断片的ではありますが予科練の話をするようになりました。「熊本の中学から予科練に行った。」、「中学の先生に志願することを申し出ると、先生が大変喜ばれ、わざわざ駅まで見送りに来て下さり、見送りの人達から離れたホームの隅で一人見送ってくれ感動した。                  しかし、いま考えてみると、先生は喜ばれていたが、内心は複雑な心境でいらしたのではないかと思う。」、「両親には無断で受験し、合格して初めて両親に話した。        父は何も言わなかったが、母は人前では気丈に振舞っていたが、実妹の嫁ぎ先に行き、台所で『自分から志願するなんてあの子は馬鹿だ』と言って泣いていた事を戦後、親戚の人から聞かされた。」、「家を出る当日、近所の人達が見送りに来てくれたが、恥ずかしくなって途中で家の中に逃げ戻った。」、「甲種」、「13期(?)」、「長崎の大村(辺り?)に居た。」、「カッター訓練で、背が低かったため足が届かず、船と岸壁の間から海に落ちた。」、「洗濯(清掃?)の時間に鼻歌を歌っていたら『いま歌っていたのは誰だと』といって上官(?)に殴られた。」、「解散になった日は、一晩中仲間と『これからどうしたらいいのか』と話し合った。」、「(解散になった)翌朝、建物(?)の周りに有刺鉄線(?)が張られていた。」、「10年後に、また会おうと言って仲間と別れた。(10年後に、また戦争が起こると思っていたらしいのです・・・)」、「門を出るとき、衛兵(?)が立っていなくて妙な感じがした。」、「飛行気乗りは殺されるというウワサを信じて、長崎から船で熊本に渡らず、佐賀を通って周囲を気にしながら、陸路熊本に帰った。」、「まっすぐに家へ帰る気になれず、宇土市(?)の仲間の家に一晩宿泊させてもらい、翌朝家に帰った。」、             本人は、「家に帰ってすぐに軍隊関係のものは処分した。」と話していましたが、先日法事の際に親戚の方から「記念として飛行メガネをもらった。」との話を聞き、また、私たち家族にはあまり見せたがりませんが、七つボタンで映った写真を今でも大切に持っているようです。(葬式用に撮った写真で、家に帰ったとき仏壇に飾ってあったそうですが・・・)              現在、父は、日本のことを憂う話しばかりをして日々を過ごしておりますが、もし、叶うことなら、父が元気なうちに当時の仲間の方々に会わせて上げたいと思い、後先考えずに掲示板に書き込みました。                          しかし、何分父には内緒でやっているため、正直なところ余計なことをしているのではないかと私自身が躊躇しております。                         ただ、父が喜んでくれたらと思う一心です。                    身勝手なことばかりを申して誠に恐縮ではありますが、私のやっていることは間違っているのか、そっとしておいた方が良いのか、・・・もし再会を実現させるためには、どのような方法があるのかなど、アドバイス頂けましたら幸いに存じます。 (12/18-18:04) No.787
蒼空 > 熊本ご出身なら前期は鹿児島空後期は松山空に入隊したはずです。予科練の生活はこのホームページを読んで頂ければ大同小異です。飛行練習生の中練教程は出水空か築城空と思います。大村空は実用機教程ですが、13期は燃料不足等で飛行訓練を中断、陸上機操縦員は実施部隊に出ませんでした。福岡県では「福岡県甲飛会」を組織して、毎年一回集まっています。鹿児島在住の方ですか? 「鹿児島県甲飛会」に連絡されることをお勧めします。 (12/19-10:51) No.789
串良 > ご返信ありがとうございました。父からは「鹿児島空」と聞いたような気がします。現在は福岡県在住です。私自身、もう少しよく考えてみようと思います。お手数をお掛けいたしましたことをお詫びすると共に心から御礼申し上げます。 (12/19-13:47) No.790
蒼空 > 福岡県在住なら「福岡県甲飛会」の名簿を持っています。同期生にも知り合いがいます。 (12/19-19:29) No.791
岩手県山田海軍基地について 投稿者: 投稿日:2008/12/23(Tue) 02:01 No.794 
青空様 はじめまして ご質問させてください。
私は海軍戦死者の祖父、陸軍航空隊飛龍特攻隊(待機中に終戦)の叔父を持つものです。最近祖父の写真が発見されたのを期に今になり祖父の最後を調べているのです。
祖父の書かれた手紙から推測すると岩手県山田の基地で過ごしていたようなのですが(S20年4月10日金華山沖にて戦死)、山田の海軍基地を調べても資料がなかなか出てこないのです。
青空様の在籍されました903航空隊は山田基地が有ったようですが、もし軍艦の山田基地について何かご存知でしたら教えていただけないでしょうか。それを基にまた調査したいと思います。今年100歳になりました祖母は、最近ボケ状態になり、お父さんが戦地から帰って来るといって玄関を行ったり来たりしている次第です、3月には伊勢神宮の慰霊祭がありますので、参列する予定です。すみませんが、ご存知でしたら教えてください。宜しくお願い致します。祖父の写真は開戦前の物しか無く、当時戦艦長門と駆逐艦に乗っていたようです。

蒼空 > 903空の山田派遣隊は、水上偵察機を装備していました。だから艦載機からの転属者もいました。 (12/23-05:47) No.795
> ご回答ありがとうございました。教えていただきました所を手がかりにまた調べていこうと思います。 (12/25-01:38) No.796
目次へ [AOZORANOHATENI]