蒼空の果てに 目次へ


保存 ご意見箱  15−09−01⇒16−01−31
[1] ご挨拶 投稿者:蒼空 投稿日:2003/09/06(Sat) 11:56
大東亜戦争が終結してすでに半世紀以上が経過しました。そして
戦争は忘却の彼方へ消え去らんとしています。これは時代の流れ
であり、止むを得ないことと思います。
ただ困ったことに、後世に残る書籍や映画に、史実に反するもの
が数多く見うけられることです。事実を知る世代が残っている今
こそ、これらの間違いを是正する最後の機会だと思います。
心ある皆様方の忌憚のないご意見を頂戴するため「ご意見箱」を
設置致しました。ご利用頂ければ幸いです。


[2] 予科練の先輩 投稿者:花咲13 投稿日:2003/09/09(Tue) 16:05
映画でも著書でもありませんが、私の首を突っ込んでいるメーリングリストは、
かなり気になる所があります。

田英夫氏が予科練だったとか、軍隊は国民を守らない等々、きりがありません。
最近の若い人は歪曲された歴史を学んでいるように思われます。

http://www8.ocn.ne.jp/~k-kuri/


[3] 時代考証? 投稿者:海鳥 投稿日:2003/09/11(Thu) 13:26
NHKの終戦企画で昔の映画が放映されていました。
時代考証がでたらめですね。時代劇ならチョンマゲ、旧軍隊を
かくなら丸坊主が常識と思います。またラバウル当時の戦闘で、
零戦が電話で基地や僚機と交信していました。あれだけ電話が
使えたなら、ま少しマシな戦闘ができたと思います。


[4] 揚げ足取り 投稿者:花咲13 投稿日:2003/09/21(Sun) 01:16
重箱の隅をつつくようで気が引けますが
http://www.tiny.jp/~kazenoushiro/diary/diary19.htm
にある元長門乗り組みの通信兵の話です。

お話の内容から通信兵ではなく信号兵と思われます。
また、戦闘中艦長が怖がって出ないので、航海長が操艦した話は
長門じゃなく空母じゃないでしょうか。

http://www8.ocn.ne.jp/~k-kuri/


[6] NHKの朝ドラ 投稿者:老兵 投稿日:2003/09/30(Tue) 20:14
NHKの新しい朝ドラが始まりました。陸軍軍人がすべて長髪は
頂けません。丸坊主にすべきです。


[5] 作り話と思います。 投稿者:蒼空 投稿日:2003/09/21(Sun) 14:55
早速読んでみました。いいかげんな話ですね。何を言いたかった
のでしょう。長門の航海長はどうしてたのでしょう。まさか艦長
と一緒に逃げたわけではないでしょう。
お互い、真実を伝えるように心掛けましょう。


[6] NHKの朝ドラ 投稿者:老兵 投稿日:2003/09/30(Tue) 20:14
NHKの新しい朝ドラが始まりました。陸軍軍人がすべて長髪は
頂けません。丸坊主にすべきです。


[7] 記事は正確に。 投稿者:蒼空 投稿日:2003/12/06(Sat) 06:52
先日西日本新聞に "「真珠湾」平和の砦に" と題する記事が
掲載されました。しかし、主人公である「赤松勇二」の名前
は、真珠湾攻撃の編成表には見当たりません。
「加賀」の1中隊3番機の、山口勇二氏が改姓されたものと
推定されます。
しかし、山口氏は紹介されているようなパイロット(操縦員)
ではなく偵察員です。旧海軍の搭乗員はまだ多数生存してい
ます。「赤松勇二」なんて操縦員は居なかったぞ! 
では困ります。記事には旧姓を挿入するなど、正確を期して
ほしいと思います。


[8] 魚雷を抱いての着艦について< /font> 投稿者:川崎まなぶ 投稿日:2003/12/06(Sat) 17:03
揚げ足を取るようですが、少し気になりまして、書き込み致します。

・偵察員の萩原大尉が操縦して〜の件
戦時中まとめられた戦訓「珊瑚海海戦」にも、平時であれば考えられ
ないことが起こったとして、操縦員機上戦死したのち夜間飛行の経験
のない偵察員が操縦し飛行を続けた、との記事があります。また、
飛行隊戦闘行動調書の該当欄に操縦員が機上戦死、偵察員と電信員
が自爆戦死とわざわざ書かれていて、おやと思った記憶があります。
ただ、本来の萩原大尉機の操縦員(第1次攻撃の疲れで仮眠を取って
いて取り残された)はそのような電報を伝え聞き、後日飛行甲板の飛行
機で自分が試してみたが駄目だった、と書き残されております。

・魚雷を抱いて着艦〜の件
魚雷を抱えて着艦、との記述は私が捜した範囲で確認は出来ません
でした。ただ、手元にある「瑞鶴」の戦闘詳報には第1次攻撃隊の艦攻
11機の消耗兵器に魚雷がありません。第2次攻撃時には魚雷(投棄)
との記述があります。


[9] Re[8]: 魚雷を抱いての着艦について 投稿者:蒼空 投稿日:2003/12/08(Mon) 07:03
川崎様 ご意見拝見しました。

> ・偵察員の萩原大尉が操縦して〜の件

海軍の偵察員は飛行練習生時代にも夜間航法訓練を行います。
艦隊搭乗員で夜間飛行の経験のない搭乗員はいません。
この記事は海軍を知らない方の創作と思います。九七艦攻で
偵察席での操縦は不可能です。

> ・魚雷を抱いて着艦〜の件

着艦の際魚雷を投棄するのは鉄則です。消耗兵器に記載が
ないから、艦攻11機が魚雷を抱いたまま着艦したと想定
するには無理があります。陸上基地なら可能でも、着艦は
性能的に無理です。


[10] 無題 投稿者:川崎まなぶ 投稿日:2003/12/09(Tue) 22:05
蒼空様、お返事ありがとうございます。

>艦隊搭乗員で夜間飛行の経験のない搭乗員はいません。

これは私の書き間違い(原本を見て書いているわけでないので)で、
萩原大尉が夜間の操縦したことがない、という意味です。

あと、本来の萩原大尉機の操縦員(既に故人とのこと)が書き残さ
れたものは、部隊史にであり戦訓ではありませんので念のため書き
加えておきます。


[11] Re[10]: 無題 投稿者:蒼空 投稿日:2003/12/10(Wed) 08:51
飛行機はタブを調整することで、一定時間水平飛行を続けることが
できます。萩原機の操縦員は、母艦に向けて定針し、タブを調整し
たあとに息が絶えたと推察します。この場合でも通信は可能です。
「操縦員機上戦死、ワレイマ帰投中、帰着予定時刻、一八三〇」と
の発信があったとします。これを受信した母艦の通信員は、受信紙
を艦橋の通信長に渡します。通信長がこの電文を読み上げた場合、
操縦員が戦死したのだから、萩原大尉が操縦しているのだと誤解し
た者がいたとしても不思議ではありません。
タブの調整は通常やや下げ舵にします。間違っても上げ舵にはしま
せん。上げ舵だと、だんだん機首が上がって失速します。萩原機の
場合は高度が足りず、途中で着水したものと思います。


[12] はじめまして 投稿者:信二 投稿日:2004/01/07(Wed) 22:50
戦時中の兵隊さんの生活を調べるためにネットサーフしているうちに
このHPにたどり着きました。管理人さま(蒼空さま)の真摯な態度と、
真実を追究する姿勢に心打たれました。また、当時のさまざまな訓練
の様子、生活の実態などが記載されていて大変すばらしいページだと
思います。これから、じっくりと全ての情報をよまさせていただきます。


[13] 信二さんへ 投稿者:蒼空 投稿日:2004/01/08(Thu) 07:10
戦記の中にも誇張や伝聞があり、必ずしも真実のみとは限りま
せん。映画に至っては殆どが創作されたものです。
「取捨選択」する姿勢を忘れないでください。


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