蒼空の果てに 目次へ

保存掲示板〔26〕18-9-1⇔ 18-10-31

[60] 御返事2年ぶり 投稿者:樹林 投稿日:2006/09/06(Wed) 21:23
以お前、上野海軍航空基地の件でいろいろ教えをいただいたものですが、その後、
すぐに津市の方から、『三重の戦争遺跡』のご紹介をいただきながら、御礼もせずに、
ここまで来てしまい、失礼をいたしました。あの頃は絶版で古書店でも入手困難でし
たが、この8月に『三重の戦争遺跡(増補改訂版)』つむぎ出版 三重県歴史教育者
協議会編集として新たに出版され、感激しておりましたところ、 上野のことが思い
起こされ、改めてここに皆様方に感謝申し上げる次第であります。


[61] Re[56]: URL変更につきまして 投稿者:そら 投稿日:2006/09/06(Wed) 22:55
蒼空様
遅くなりまして申し訳ございませんでした。「真実を語り継ぐために」のURLですが
変更させていただきました。これからも宜しく
お願い致します!
http://tropicaltrip.babyblue.jp

[62] Re[60]: 御返事2年ぶり 投稿者:蒼空 投稿日:2006/09/07(Thu) 06:34
樹林様
お久しぶりです。今後とも宜しくお願い致します。


[63] Re[61]: Re[56]: URL変更につきまして 投稿者:蒼空 投稿日:2006/09/07(Thu) 10:19
そら様
私と今井雅之氏との関係は理解して頂けたと思います。
今後とも宜しくお願い致します。

http://www.warbirds.jp/senri/23ura/43/sinzitu.html


[64] 無題 投稿者:列火 投稿日:2006/09/08(Fri) 22:04
最近私も戦争で亡くなった方、特に特攻でなくなった方のことを考えると、
涙が溢れてきます。亡くなった方々は現在の日本の礎を築いてくださった
と思っています。しかし、戦争が1ヶ月、1年早く終わったら・・・戦死する方も
少なかったのでは・・・ まして特攻で亡くなった方は、日本の勝利を信じて・・・
しかし8月15日以後は「ギブミー チョコレート」となってしまったのです、
その落差は??敗戦宣言の数日前に特攻に出撃された方がいられたなら、
その無念は・・ こんなこと言うのは不謹慎なのでしょうか???


[65] Re[64]: 無題 投稿者:蒼空 投稿日:2006/09/09(Sat) 06:48
列火様
ご来訪ありがとうございます。
終戦の当日にも特攻出撃が行われています。ご遺族の無念は想像に絶します。
終戦の遅れた原因については、10−3特攻の原点をご一読ください。

http://www.warbirds.jp/senri/23ura/23.html


[66] 始めまして 投稿者:右近 投稿日:2006/09/17(Sun) 13:33
始めまして、右近と申します。先日偶然このサイトを見つけて、たびたび拝見させて
いただいておりました。私は大学生で、祖父の兄が「回天」の特攻隊員として訓練
していた話を聞いておりましたので、大変興味深かったです。
特に何が言いたいというわけではないのですが、一言感謝というのもおかしいかも
しれませんが、貴重な体験を聞かせていただけたことにお礼を申し上げたくて書き
込ませていただきました。


[67] Re[66]: 始めまして 投稿者:蒼空 投稿日:2006/09/17(Sun) 16:15
当時、予科練には競って志願したものでした。
当時の事績を後世に語り継ぎたいと思って、HPを開設致しました。
今後とも宜しくお願い致します。


[68] はじめまして 投稿者: 投稿日:2006/09/25(Mon) 22:21
はじめまして。
私は、桜花隊で4月1日に戦死した麓岩雄(乙17期広島)の親族です。
いろいろ調べておりまして、このサイトに辿り着きました。
もしも、何かご存知でしたら教えてください。


[69] Re[68]: はじめまして 投稿者:蒼空 投稿日:2006/09/26(Tue) 07:06
風様
9−9「神雷部隊奮戦記」をご一読ください。
当時の隊長、八木田大尉は一昨年逝去されました。
もう少し早ければ情報が得られたと思います。
同じ708飛行隊にいた、長浜君には連絡がつきます。


[70] ありがとうございます 投稿者: 投稿日:2006/09/26(Tue) 21:15
蒼空様 早速のご返事ありがとうございます。
早速ご紹介のありました書籍を求めてみます。
自分なりにももう少し調べてみようと思いが、又、何かわかればお教え下さい。


[71] 追伸 投稿者: 投稿日:2006/09/26(Tue) 21:19
蒼空様、9−9「神雷部隊奮戦記」は書籍ではなかったのですね。
只今閲覧させていただきました。
失礼いたしました。


[72] 寒くなりました 投稿者:鈴木(chobimame) 投稿日:2006/09/26(Tue) 22:26
毎日ブログの方を拝見しています。
とても悲しいやるせない話ですね。
あの時代のことを絶対に忘れてはいけないと、
いつも教えてくれるこのHPとブログは、
私の宝物でもあります。

蒼空さん、季節の変わり目で、急に寒くなったりしますが、
くれぐれもご自愛されて下さいね。


[73] Re[72]: 寒くなりました 投稿者:蒼空 投稿日:2006/09/27(Wed) 06:28
鈴木様
ご来訪ありがとうございます。
ブログよりこちらが読みやすいと思います。
今後とも宜しくお願い致します。


[1] 掲示板更新 投稿者:蒼空 投稿日:2006/10/03(Tue) 19:53
度重なる妨害を受けましたので「掲示板」を更新しました。
皆様! 真面目な投稿をお願い致します。
過去の投稿は「保存掲示板」に収録しています。
今後とも宜しくお願い致します。


[2] 無題 投稿者:くろひつじ 投稿日:2006/10/04(Wed) 05:16
ときどき、寄らせていただいき、勉強させていただいております。それにしても、
妨害とはとんだことをする連中がいるものですね。でも、このホームページや
ブログのご盛況ぶりからして、蒼空さんのご活動は多くの人に多大な影響を
与えていると感じております。 そんな妨害などに負けないで、どうぞ、もっと
たくさんのことを教えてくださいね。また遊びに参ります。


[3] Re[2]: 無題 投稿者:蒼空 投稿日:2006/10/04(Wed) 06:39
ご激励ありがとうございます。
実は今月一日、西日本新聞社から「金婚式」の御祝いを戴きました。
今後とも頑張りますから宜しくお願い致します。


[4] 知覧のホタルです 投稿者:知覧のホタル 投稿日:2006/10/04(Wed) 22:01
蒼空様、こんばんは!それから金婚式おめでとうございます!
いきなり今井さんとのツーショットとは・・羨ましい!テレビ出演のビデオを
いくつか拝見いたしました。(涙)戦争を知らない世代ですが、これからも
勉強はしていきます。今後ともよろしくお願いいたします。
今、出口のない海の文庫本を読んでいます。もう少しで読み終えます。
この作品が出るまで海の特攻隊の存在は全く知りませんでした・・・


[5] Re[4]: 知覧のホタルです 投稿者:蒼空 投稿日:2006/10/05(Thu) 09:10
知覧のホタル様
ご来訪ありがとうございます。
この写真は「THE WINDS OF GOD」の特別番組作成に協力のため
知覧に行った際に写したものです。
この番組はフジテレビ系の局から放送されています。
DVD を貰っていますので、お近くならお見せできるのですが・・・
「近況紹介」の頁で当時の状況の一部を紹介しています。


[6] 八洲隊について 投稿者:のぶさん 投稿日:2006/10/10(Tue) 13:40
 私は四国愛媛県松山市在住の者です。以前より戦時下の愛媛について
調べています。その中で、旧温泉郡拝志村にあった竹ノ下飛行場に大井空
から白菊隊が来ていたことが分かりました。
  昭和20年7月下旬に整備員や主計科員などの基地隊員、8月1日に搭乗員
約70名が白菊三十数機で到着しています。
  これらの事実は防衛庁の資料や元隊員の方々が書かれた「八洲を翔ぶ 
牧ノ原から拝志へ」を参考にしました。
  拝志に行った隊は「八洲隊第二中隊」とか「第二八洲隊」とか記されて
いますが、正しくはどうだったのでしょうか。また、前記の冊子以外に資料は
ないのでしょうか。例えば、拝志で飛行訓練が行われたかなど知りたいこと
があります。 ご教示下さい。


[7] Re[6]: 八洲隊について 投稿者:蒼空 投稿日:2006/10/10(Tue) 18:26
のぶさん様
先ずHP「8−5 再び大井空へ」をご一読ください。
また拙著「白菊特攻隊」にも記述しています。
「搭乗員挽歌」という本が光人社から出ています。
著者の小沢孝公氏は私と同じ部隊で、彼は2中隊所属で石手基地
(当時はこう呼んでいました)に派遣されています。当時の状況が
克明に記されています。
宿舎は後ろに小高い雑木林があり前は田圃のお寺だったそうです。
訓練はなく、毎日が待機だったと言っています。
断片的な資料で申し訳ありません。当時生存者がいると思います
ので連絡してみます。


[8] ありがとうございます 投稿者:のぶさん 投稿日:2006/10/11(Wed) 09:08
ご返事ありがとうございます。永末様の本や「搭乗員挽歌」は貴重な
資料として拝見させていただきました。
ただ、搭乗員挽歌に記されている「石手基地」というのは部隊の中で
そのように呼ばれていたのでしょうか。
大変お手数をおかけしますが、宜しくお願いします。地元で調べられる
ことは尽くしたという感がします。
後は旧部隊関係ですが、非常に難しいです。


[9] もう一つ質問です 投稿者:のぶさん 投稿日:2006/10/11(Wed) 17:04
 大井空は最終的に第三航空艦隊第一三航空戦隊の所属ですが、
愛媛に行った第二八洲隊の所属は三航艦のままだったのでしょうか。
五航艦の指揮下に入ったのではないでしょうか。ご教示下さい。


[10] Re[9]: もう一つ質問です 投稿者:蒼空 投稿日:2006/10/11(Wed) 19:56
下っ端の下士官搭乗員には詳しいことは分りません。
下記サイトをご覧ください。   

boat_sparrowhawk/AF1.htm

[11] Re[9]: もう一つ質問です 投稿者:蒼空 投稿日:2006/10/12(Thu) 13:23
昭和20年3月17日に発令された、聯合艦隊電令作第564A号に、
「第七基地航空部隊[三航艦]第八基地航空部隊[十航艦]ハ可動全力
(実用機)ノ本土西方転進ヲ準備ス、右転進ハ本職[聯合艦隊長官]之ヲ特令シ、
転進後ハ令ナクシテ第一機動基地航空部隊[五航艦]ノ作戦指揮下ニ入ル」
とあります。そこで3航艦や10航艦の部隊が、5航艦の戦域に展開した時点で、
5航艦の指揮下に入ることになると思います。


[12] ありがとうございました 投稿者:のぶさん 投稿日:2006/10/19(Thu) 17:23
 最も貴重な資料は隊史なのですが、これはほとんど入手が困難なので、
調査も難しいです。ありがとうございました。


[13] 教育テレビから 投稿者:鈴木(chobimame) 投稿日:2006/10/22(Sun) 20:16
土曜に教育テレビの特集で、特攻隊員の収容所があった話を放映していました。
これは、陸軍の特攻隊員の話ですが、知覧や福岡などから出撃し、機体の故障
などさまざまな理由で生きて帰還した人を「振武寮」というところへ収容したそう
です。そこに収容され屈辱的な毎日を送ったそうです。
食事の度に「死に損ない」「人間のクズ」と上官から罵倒され、早く死にたい
(突撃したい)と思う日々だったそうです。
その振武寮というのは、1ヶ月半で閉鎖され、80人の生き残りが収容されて
いたそうですが、軍の記録からは抹消されているそうです。
当時の陸軍の特攻隊員の方からの証言でわかったそうです。
本当にツライ時代でしたね。


目次へ

[AOZORANOHATENI]