自衛隊こぼれ話

  米 留 談 義

 武者隊長はなぜか小部屋が嫌いであった。サイト施設の移管を受けてアメリカ軍地区の建物 に引越しした際、アメリカ軍コマンダーが使っていた部屋をそのまま隊長室として準備した。 もちろん個室である。  ところが、これが気に入らない。本部要員が勤務する広い事務室の片隅に自分の机を運ばせ た。そして、個室の方は衛生係の部屋に変更してしまった。少しでも隊長の目の届かない所を と願っていた、本部勤務の連中の気持ちは通じなかったのである。  宿舎の方も同じである。アメリカ軍のBOQ(幹部宿舎)に一人部屋を準備した。ところが、 そこには入らず、日勤幹部が宿泊している大部屋にベッドを運ばせた。ボクシングが好きで、 テレビ中継が始まるとチャンネルは一人占めである。皆に解説しながら画面に向かって盛んに 声援を送る。本人は面白いのだろうが、ボクシングに興味のない者は迷惑である。残業と称し て、就寝時間ギリギリまで職場で暇を潰す幹部が増えてきた。
 宿舎には、一升瓶入りの清酒と袋入りの「つまみ」を置いていた。それぞれ好きな時に帳面 に記入して飲むのである。少なくなると厚生係が補充する。時には(毎晩のように)、隊長の 指示でささやかなパーティーが開かれる。簡単な盛鉢などを準備するのは、NCOクラブを管 理する私の役目であった。  だから、今夜あたりパーティーがありそうだと感じると、事前に肴の準備をさせていた。 「オーィ、一杯やるかー」 と、声がかかれば、間髪をいれず盛鉢を運ぶ。時には当てが外れることもある。そんな場合は 注文した肴を理由に誰かを誘って、NCOクラブに足を運ぶことになる。  たまには隊長が不在の時がある。すると幹部宿舎は急に賑やかになる。 「米留談議」が始ま るのだ。当時のコントローラーは、牛島3佐を筆頭にほとんどがアメリカの空軍基地に留学し て訓練を受けていた。だから、アメリカ留学時代の話題を皆に披露するのである。    「米留談議」とは、アメリカ軍から受けた訓練の話ではない。時間とお小遣いをやり繰りし て、メキシコとの国境の町エルパソや、さらに国境を越えてメキシコ領のファレスの町などに 遠征したときの自慢話である。もちろん猥談である。これで、皆が浮世を離れた山篭りの退屈 をまぎらわしていたのである。      *         半週制の当直勤務も一般基地とは雰囲気が違う。平日は、当直といっても隊長自身が泊まり 込んでいるので突発事故があっても直ちに対応できる。各種の訓練が実施されるので煩わしい けれど、気分的には楽である。  ところが、土曜・日曜は隊長が不在のため責任重大となる。突発事故などで非常呼集をかけ ても、隊長を始め関係幹部が山頂まで到着するには優に2時間近くを要する。また上山の途中 では電話連絡も不可能となる。 だから隊長自身も留守の間が心配である。そのため、自分に代 わって的確な対応処置ができる者を充てることになる。  通信班長の吉田2尉は陸軍幼年学校に学び、自衛隊では、第4期の部内幹部候補生の出身で 部隊経験も豊富である。おまけに武者隊長の信任も厚い。だから土曜・日曜に亙る当直勤務は 彼に割り当てられることが多かった。見込まれて迷惑な話である。
格闘技が好きだった、武者隊長が停年退職後に出版されました。
目次へ戻る 次頁へ
[AOZORANOHATENI]