自衛隊こぼれ話

        リュウキューニアン

 嘉手納基地の士官食堂でアメリカ軍と一緒に食事をした。見回すとコックもウエイトレスも 皆日本人である。 「ここのメスルームは、すべて日本人で運営しているのか?」 と、 話しかけた。ところが、 「ここに、日本人はいない」 との返事である。 「だって、あそこにいるじゃないの?」 「ノウ、ゼェィアー リュウキュウーニアン」 「リュウキュウーニアン?」 何か説明を続けているが私の語学力では理解できない。   その夜、アメリカ軍主催の歓迎パーティーが催された。アメリカ合衆国の高等弁務官を始め、 琉球政府の松岡首席も出席されて盛大に行われた。すると昼間のキャプテンが、今度は通訳を 呼んできて説明をはじめた。 「1853年、ペリー提督は大西洋から印度洋に抜け、まず琉球に着いた。ここで琉球王朝と の間に友好条約を締結した。次に、小笠原を経て浦賀に到着した。ところが、徳川幕府は条約 を結ばなかった。翌年再び来航してきた。そして初めて、米日和親条約が締結された。  その後、明治政府になって、日本は琉球を併合した。 その琉球を今度の太平洋戦争でアメリカ軍が解放したのである。だから、ここは琉球であって、 日本領土ではない。故に、彼らは琉球人であって、日本人ではない」  日本側の沖縄復帰要求を意識してのことか、考えさせられる発言である。沖縄現地の人々も 本土復帰を願って私たちに好意を示しながらも、一部では「ヤマトンチュー」と呼んで区別し ていることを考えると、一概にこの説明に反論できないことを認識させられた。
 
            *  嘉手納基地では、F105(サンダーチーフ)装備の飛行隊を見学した。アメリカ軍は前年 の2月に北ベトナムへの爆撃を開始し、戦争は泥沼化しつつあった。この飛行隊は直接ベトナ ムに飛んで戦闘に参加することはないにしても、臨戦準備は完了しているとの感じを受けた。 パイロットも整備員も真剣にその任務を遂行している。  F105は戦闘爆撃機である。しかし、近くでみると爆撃機そのものである。普通、戦闘爆 撃機と呼ばれる機種は戦闘機に爆弾を装着して爆撃機能を持たせたものである。ところがこの 機体は、旧日本海軍の艦上爆撃機のように、爆撃機に空戦能力を持たせた感じである。   胴体内に大きな爆弾倉があり、戦術核を積むことも可能ではないかと思われた。どう見ても 戦闘機というより爆撃機に近い。武装としては20ミリバルカン砲一門だけである。ハンガー 内で整備のためカバーを外した機体を見ていると、機体の前部に大きなドラム缶大の物が装着 されている。  説明を求めると、バルカン砲の弾倉とのことである。主として対地攻撃に使用するらしく、 自衛隊のF104Jに比較して、桁違いに多量の弾薬が収納できる太さであった。 ところが、 「何発積めるのか?」 との質問に答えはなかった。おそらくベトナム戦の戦訓により改造されたものと思われた。
                       *  見学が一段落したところで、基地内のBXで買物をした。皆スコッチやバーボンを買い込ん でいる。もちろんノータックスである。私は迷わず40年もののブランディー「ナポレオン」 を買った。内地での価値を知っていたからである。  脊振山サイトに勤務していた頃、アメリカ軍の人員が減少したので、将校クラブを閉鎖する ことになった。そこで、残っている洋酒類を自衛隊で引き取ってほしいと打診があった。ウイ スキーやブランデー以外に、ドライジンやアブサンなどカクテル用の材料まで各種揃っていた。  さっそく幹部宿舎で皆に相談したところ、スコッチやバーボンウイスキーなど1、2本程度 希望するだけで、全部を引き取るには少々無理があった。 数日後、雑飼隈のスナックで飲みな がらこの話をすると、知り合いのマスターが目の色を変えた。 「ノータックスで買えるなら、お金は幾らでも用意するから、全部引き取りたい」 と、申し出た。当時の相場ではスコッチなら2倍以上、本場のブランデーなら3倍以上の値段 で取引されると教えられた。翌日出勤して様子を聞くと、将校クラブはすでに閉鎖されていた。  残った洋酒類などは、春日原ベースに全部引き取ってもらったとのことであった。せっかく の儲け話も夢と消え去ったのである。しかし、この時の教訓が沖縄出張で生かされたのである。 とはいえ、 一人僅か3本しか購入できないので、お土産と自家用で終わり、儲けなど思いもよ らなかった。
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