自衛隊こぼれ話

空曹昇任試験

 航空自衛隊では、空士を空曹に昇任させる場合は昇任試験で選抜する。試験はまず筆記試験 を行いその合格者に対して面接試験を実施する。2等空士で入隊した隊員が、1等空士を経て、 空士長に進級するには、一定の期間を経過して勤務上特に問題がなければ無試験で進級できる。 特に試験による選考の制度はない。ところが、空士長から3等空曹へ昇任するのは難関である。  その原因は、昇任有資格者に対して定員の枠があまりにも少ないからである。自衛隊では空 曹や空士の定員は、それぞれ編制部隊ごとに決められている。自衛隊の創設当初は、毎年のよ うに定員が増加していたので、昇任にも余裕があった。                     だが、態勢が整備され編制定員が固定化するにしたがって、昇任は狭き門となる。部隊の定 員に変更がない場合、現在の空曹が幹部に昇任するか、停年などで退職する以外に空曹の欠員 は生じない。その限られた枠を獲得できなければ、自分が退職する以外に道はない。  空士は空曹に昇任すると非任期制の隊員に任用され、停年まで勤務することができる。とこ ろが、空士のままだと任用期限が決められていて、任期満了で退職しなければならない。任用 期限は、航空自衛隊では最初が3年である。それ以降は2年毎に継続任用の手続きが必要であ る。しかし、継続任用にも限度がある。 *  第12飛行教育団に在任中、毎年2回実施される空曹昇任試験の試験官を命じられていた。 団司令部人事班長藤本3佐、整備補給群整備主任三原3佐、それに基地業務群では会計隊長が なぜか試験官の指定席になっていた。  昇任有資格者はまず筆記試験を受ける。自衛隊関係法令と一般社会常識である。これに合格 した者が面接試験に臨む。面接試験の当日、受験者は控室に隔離される。試験官の質問内容が 他の受験者に漏れないための処置である。そして、面接が終わった者から各自の職場に帰る。  担当の人事係空曹が受験者を一人ずつ面接試験場に呼び入れる。 「〇〇士長入ります!」 元気よく名乗って試験場に入り、指定された席に着く。ここまでの要領は、それぞれの職場で 先輩から教わっているので特に問題はない。  次に、われわれ3名の試験官が順次に質問を開始する。ここからそろそろ地金が出はじめる。 まず最初は、人事班長藤本3佐が質問する。 「自衛隊に入隊するまでの経歴を説明しなさい」 「家族の状況を説明しなさい」 などと、経歴や身上を確認するための質問から始まる。これは本来プライバシーに属する部分 があるので避けるべきだが、人事班長は恒例的に質問していた。  そして、これは毎回同じ質問だから先輩の話を聞いて腹案を持って臨んでいるはずである。 ところが、緊張のあまりトチル者が出てくる。 「……母親と女の妹が1名おります……」 などと、ご丁寧な回答も返ってくる。
 これに続いて各試験官が、社会問題や新聞で報道された最新の事件などに対する所見などを 求める。受験者はそれぞれ質問を予想して、回答の腹案を準備しているのである。その予想が 当たるとまだ質問が終わらないうちに、慌てて答え始める者もいる。質問を聞き終わってから 一呼吸おいて答えればよいのだが、この間の取り方は難しい。  また質問の趣旨を理解せずに、自分勝手な回答をする者など千差万別である。質問の意味が 理解できなければ、 「それは、……の意味ですか?」 と、聞き返せばよいのだが、それでは失礼になるとでも思っているのか、 問い直す者は少ない。 そして、的外れな回答を始める始末である。  試験官はあらかじめ準備した採点票の評価値の欄に点数を記入する。採点票には服装容儀や 言語態度その他数項目について判定するようになっている。当時の試験官は藤本3佐、三原3 佐それに私を含めて部内幹部候補生出身者であった。  だから、自らも昇任に関する苦労や悲哀をそれぞれ体験している。できれば全員合格させて やりたいのだ。とは言っても、昇任の枠は限られていて、われわれの力ではどうにもできない のだ。だから、試験官も大変である。  試験官の採点は似通ったもので、あまり差はなかった。まず文句なく合格点を付けられるの が2割程度で、後は大同小異でる。運良く初めての受験で合格する者もいれば、2度〜3度と 試験官と顔なじみになる者もいる。  以前第3術科学校の教官時代に、3等空尉昇任予定者の特技別選考の面接試験を受け持つた ことがある。この受験者は長い間空曹としての実務を経験している。だから、特技に関しては 最高の知識と経験を持っている。そのうえ、年齢もすでに40歳前後であり面接に際して緊張 する必要は全くないのである。ところが、彼らは例外なく過度に緊張し、あたかも真剣勝負に でも臨むような感じであった。  それに比べて、空曹受験者にはそれほどの緊張感は見受けられない。これは年代の相違なの か、それとも昇任に対する期待の大小に起因するのかいずれかであろう。  ある日、幹部会の宴会の流れであるスナックに立ち寄った。見ると顔に見覚えのある先客が いる。私服を着ているけれど確かに整備隊の隊員である。誘われるままに同席した。しばらく 雑談を交わしていると中の一人が私に問いかけてきた。 「隊長、今年も昇任試験の試験官をされるんですか?」 「さー、多分俺に当たるだろうなあ……」 「それなら、質問もこの前と同じですか?」 「そういえば、君はこの前も受けたなあ……」 確かに試験場で見かけた顔である。    「もう3回目ですよ!」  整備の職域には比較的優秀な者が揃っていた。ということはそれだけ競争が激しく、昇任に は不利ということになる。 「俺の質問は毎回変わらんよ……」 と、言った。すると、 「隊長は、どうして毎年同じ質問をするんですか?」 なかなか熱心である。 君は、毎回違う質問の方が良いのかネ?」 「いやー、同じの方がいいですよ……」 「そうだろう、だから俺も変えないんだ」 私の質問は毎回同じであった。 「自衛官の心がまえについて説明しなさい」 これ一つだけである。毎回同じ質問をする理由は、回を重ねた者が少しでも有利になるように と願ってのことである。初めて受験する者よりも、一度でもお茶を挽いた者から先に昇任させ てやりたいのが私の願いであった。 それにしても、昇任試験の時期になるといつも憂鬱な気分になるのが常であった。それは、 空曹と空士では身分の取り扱いに歴然とした差があるため、競争は常に熾烈だったからである。 そのうえ、せっかく一定の成績を認められても定員という壁に遮られ昇任できない者がいるか らであった。
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