自衛隊こぼれ話

       老兵の繰り言

 以上のとおり、戦争中の17歳や大隊長時代の学生を思い出しながら、現在の17歳の 行状を検証してみた。いまさらながら今の若者の精神的荒廃には驚かされる。そして彼ら が親になった場合、次の世代をどのように育てるのであろうか。想像しただけでも慄然と する。  われわれが中学生の時代も、大隊長時代の学生も、いじめや暴力沙汰は日常的であった。 だが、当時は刃物を使って安易に人を傷つけるような事はなかった。ところが現在の若者 はゲーム感覚で簡単に人を殺傷する。昔に比べ質が悪くなったような気がする。  なぜこのような殺伐とした世の中になったのだろうか。戦後、日本の家族制度は崩壊し 戦前の道徳は否定された。それだけが原因だとは言わないが、このままの状態が続けば混 乱はますます酷くなり、平穏な社会生活など永遠に望めなくなるであろう。  しかしながら、これを正常化するのに特効薬は見当たらない。あるとすれば、回り道の ようだが、愛情に裏打ちされた親子の信頼関係を取り戻す以外に方法はないように思う。 子供の成長に最も影響を与えるのは親の愛情である。  だから、何事も無条件に受け入れる幼児期に、感情的にならず愛情をもって根気よくし つけることが、最も適切な手段だと確信する。  事件を起こした若者が、一緒に生活していた祖父母が亡くなったり、事情があって別居 してから性格が変わった。という事例が報道されていた。忙しくて構ってもらえない両親 より、自分と向き合ってくれる祖父母に信頼を寄せていたのであろう。  父親が存命中のことである。孫と戯れている姿を見ながら、自分の子供のころは小言ば かり言って、一緒に遊んで貰った記憶がなかったので、 「親父は子供よりも孫の方が可愛いいのかね」と尋ねたことがある。父親の答えは、 「子供も孫も可愛いさに変わりはない。ただ子供を育てる時期は仕事が忙しくて、子供と 遊んでいる暇なんかなかったんだ……」と、 なるほどそうだったのかと納得した。  最近若者の事件で報道されている学校の先生の話は、 「おとなしい生徒だった。普通の子供だった」などが決まり文句である。 ところが、同級生などの話では、 「すぐにキレル性格だった」「いつか事件を起こすだろうと思っていた」などと、先生と は違った見方をしている場合が多い。この例からみても世代を隔てている大きな壁がある ような気がする。  私の経験からも、学校の先生が生徒の心理を読み取れなかったとしても非難はできない。 なぜなら、子供もある年齢に達すると、表面を糊塗して本心を隠す術を心得ているからで ある。私の体験した教育部の教官は学校の先生であり、 大隊長は父親に相当した。  そんな立場にいながら、学生の心理には最後まで理解できない部分があった。だから若 者の心理は、それぞれ同じ世代の者にしか感じ取れない何かがあるような気がする。 今の若者は、事件を起こした者だけが例外的な存在ではないような気がする。だれでも 事件を起こす可能性を秘めているように思われる。そのうえ、周囲にいじめなどがあって も、お互いに知らぬ顔らしい。それがさらに、いじめや暴力沙汰を助長する原因になって いるように思われる。  戦後の子供は、 自己中心的で自分さえ良ければとの考え方で育てられ、友達がいじめら れても知らぬ顔らしい。昔の友人関係は、「信頼感」を基調にして、お互い無条件で助け 合っていた。また「正義感」や「義侠心」といった気風も生きていて、弱い者には積極的 に手を差し伸べていた。ところが今の若者は我関せずに徹している。   でもまだ救いはある。問題を起こしているのは若者全員ではないからである。大部分の 若者はまじめに育っている。要は、問題を起こしそうな若者に対する周囲の対応である。 現在は大人でも、「触らぬ神に祟りなし」で逃げている。これではいつまで経っても解決 の糸口は見出せない。  昔のように他人の子供でも、積極的に注意したり叱ったりして、皆が力を合わせて青少 年の育成に取り組む以外に解決の方法はないと思う。さらに若者自身も、いじめや暴力に 対しては傍観者であってはならない。是は是、非は非として積極的に介入して欲しい。 一番事情に通じているのは、外ならぬ若者自身だからである。                 *  私の17歳は、一人前の戦士として戦塵の渦中にあった。「特攻隊」にしても一部の者 の例外的な行為ではなく、だれでも機会さえあればその気になれる時代であった。当時は、 そのように教育されて育ったからである。それぞれの時代における教育や社会的風潮など、 同じ世代にしか理解できない、何かがあるような気がする。  「特攻隊員」の遺書を読んでも、書かれている文字以外に、行間に隠された彼らの心情 を読み取ることができるのは、「特攻隊」を体験した同じ世代の者だけであろう。  われわれの17歳時代には、愛情に裏打ちされた切っても切れない親子の絆があった。 だから、親のためには我が身を犠牲にすることも厭わず、「体当たり攻撃」を決意するこ とができたのである。親もまた、わが子の無事を願い「茶断ち」「塩断ち」など、自分の 命を縮めるような「願かけ」をも厭わなかったのである。  「犠牲的精神」の発露と激賞された「特攻隊」も、敗戦と同時に評価が一変した。その うえ、戦前の道徳は否定され、「犠牲的精神」なる言葉も死語となった。戦後50余年を 経過して、残念ながら「特攻精神」は風化した。戦後は家庭にしても学校にしても「犠牲 的精神」を涵養する土壌ではなくなった。  「特攻の英霊」が命を懸けて護ろうとした祖国の現状は目を覆うばかりである。乱開発 で国土は荒廃し、人心の混迷はその極に達している。今の社会に将来の希望は果たしてあ るのだろうか。  われわれがあの世に行って、「特攻の英霊」と再会したとき、彼らとどのような会話を すればよいのだろうか。 「お前ら、何のために便々と長生きしてきたんだ……」と、叱られそうである。                                   ー終りー
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