ドイツ軍降下開始

−波乱の幕開け−

20日朝〜21日午前

午前8時、一瞬の爆撃の止み間に空を見上げた英軍将兵の目に、煙とほこりで渦巻く雲を通して落下傘とグライダーが地上に降下していくのが見られた。

しかし、事前の銃爆撃にも関わらず地上で待ち構えていた守備隊の抵抗は熾烈だった。空挺降下の手際そのものは悪くなかったが、飛び降りた降下猟兵は着陸前に、あるいは着陸直後で落下傘を外そうともがいている無防備なその瞬間に敵歩兵の攻撃で次々と戦死した。落下傘を外したところで、守備隊の激しい射撃に身を伏せるのに必至で、輸送機から投下された重火器コンテナに接近できないまま、手持ちの僅かな軽装備−ライフル、サブマシンガン、軽機関銃、それに手榴弾−だけで周囲の守備隊兵士と渡り合っていた。

蹉跌は既に北方の海上を飛行していたときから始まっていた。カニアとスダ攻略を担当する中部降下集団主力[第3降下兵連隊、第100山岳歩兵連隊(第5山岳猟兵師団所属・目標確保後投輸送予定)、一部欠のグライダー空挺大隊、降下兵機関銃中隊、降下兵工兵大隊、それに軽火砲、対戦車砲中隊などの分遣隊]を指揮する第7航空師団長シュスマン少将が事故で戦死した。彼はグライダーに搭乗していたが、その至近距離を1機のHe111が追い抜き、その後方乱気流に巻き込まれたDFS230グライダーは激しく振動して安定を失い、母機のJu52との曳航索が切れてエーゲ海に墜落したのである。

ハイドリヒ大佐の第3降下兵連隊がなんとかカニア南西に着地したものの、そこは旅団規模のオーストラリア軍の真只中であり、四方八方から集中砲火を浴びて大損害を蒙った。ハイドリヒ大佐は無事な兵士を巧みに指揮して損害の増加を食い止めようとしたが、今やカニアとスダへの進撃は問題外の状況だった。同部隊はスダ湾を速やかに占領してそこに海路増援の第100山岳歩兵連隊を迎える手筈であったが、その目論見は早速狂い始めていた。

更に西のマレメ飛行場を目標に降下した西部降下集団[グライダー空挺連隊、3個降下兵大隊、混成強襲大隊、降下兵機関銃中隊]でも、指揮官のマインドル少将が展開していたニュージーランド兵の機関銃掃射によって重傷を負い、指揮を取れなくなった。

午前中降下の両方の指揮官が戦死するか負傷したため、降下部隊は統制が取れないまま戦う羽目になった。散開して降下した兵は守備隊からの激しい射撃によって集合することも出来ず、個々の兵士は所属などお構い無しに傍にいた将校や下士官の下で戦った。将校は本来自分の指揮下にある部隊の位置も状況も把握できず、逆に兵士には自分達の所属分隊の指揮官も、同僚や部下の生死も知る術のないまま、小規模兵力による戦闘が相互に関連なく点々と広がる状況となっていた。

仮にも奇襲効果のあった午前ですらこの有様なのだから、午後になっての降下を余儀なくされたレティモとへラクリオンの状況は更に難渋を極めた。

中部降下集団支隊[第2降下兵連隊(一個大隊欠)、軽火砲、対戦車砲中隊の一部]は島の中央部にあるレティモ付近に降下したが、そこに待っていたI・R・キャンベル大佐のオーストラリア軍2個大隊とは、30日までの10日間に渡って延々戦い続ける結果となってしまった。

へラクリオン攻略を目的に降下した東部降下集団[第1降下兵連隊(補強済)、第86山岳歩兵連隊(第5山岳猟兵師団所属・目標確保後輸送予定)、第31機甲連隊第II大隊(第5機甲師団所属・目標確保後輸送予定)、軽対空砲大隊]の状況は全ての降下地点の中でも最悪で、旅団規模の守備隊の固い防御に遭遇して大量の死傷者を出し、しかも飛行場には全く近づくことすら出来なかった。

東部集団降下部隊の指揮をとるブラウアー大佐は現位置で踏みとどまって、海路から投入されてくる増援部隊を待とうとしたが、状況はそれすら容易ではなさそうだった。※1

降下一日目の戦闘はドイツ軍の当初の計画通りに進まず、夜になってもマレメ、レティモ、へラクリオンの三箇所の飛行場も、カニア/スダ地区のいずれの目標もドイツ軍の手に落ちてはいなかった。ドイツ軍は用いることの出来る最後の降下部隊を投入してしまっており、それも固い防御に食い止められていた。前線から断片的に入ってくる情報に拠れば、状況はまったく絶望的で、どう考えてもこのままでは成功の見込みは極めて薄いように思えた。

レール上級大将により作戦司令部に止め置かれていたシュトゥデントは※2、査問会議にかけられるために自分を生き永らえさせているのではないかと思わず疑ったほどだった。幸いにも早朝の事前爆撃が功を奏して、この初日に作戦行動を行った493機のJu52の損失は僅か7機に押さえられていた。しかし、残されていた第5山岳猟兵師団の兵士には降下資格も経験もなく、不時着覚悟でも彼等を送り込むためには平滑地が絶対に必要であった。

降下部隊が成功を収めたところといえば唯一つ、マレメ飛行場を一望の下に収める107高地を奪取したことである。グライダー空挺連隊の二つの小グループが、それぞれピストルと手榴弾だけを持つ中尉と連隊付軍医に率いられて高地を確保していた、このグループは重火器を何も持たず、携帯火器の弾薬も尽きかけであったが、それでもマオリ族を主力とするニュージーランド軍の反撃を撃退することに成功した。

後日の視点から言えばここがクレタ戦の天王山となった。高地確保の知らせを受けたシュトゥデントは、それまでの総当り式の作戦を展観して攻撃目標をマレメ一本に変更し、Ju52に第5山岳猟兵師団の兵員を載せて、あくる21日の朝にマレメの西方の海岸に強行着陸する指示を発した。

増援部隊と輸送機自体に大きなリスクを負う作戦だが、これがタイミング良く成功した。不整地に対する乱暴な滑り込みにも拘らず、山岳猟兵の兵士は擱坐した輸送機から飛び出すとマレメ飛行場に向け前進を開始した。

この時ニュージーランド軍は107高地に立てこもる降下部隊を攻撃中であったが、シュトゥデントの要請により派遣されたリヒトホーフェンの急降下爆撃機の猛烈な銃爆撃により地上で釘付けにされ、ラムケ大佐(降下直後に負傷したマインドルから指揮権を継承していた)のドイツ軍部隊にマレメの滑走路を押さえられるのを許してしまった。ニュージーランド軍はこちらにも直ちに反撃し、いまや赤土のマレメ飛行場は砲撃と機銃掃射の坩堝と化していた。

※1
東部降下集団の指揮を取るのは第5山岳師団長のリンゲル中将だが、中将には降下兵資格がなく、降下部隊の指揮は第1降下兵連隊長のブラウアー大佐に任せて、飛行場制圧後に輸送機で現地に進出し、その後から直接指揮を取るものと計画されていた。マインドルとシュスマンには降下資格と降下経験があったため部隊の先頭に立ったが、お陰で酷い目に遭ってしまった(前述)。
(S・W・ミッチャム『ドイツ空軍戦記』)
※2
前40年5月の低地地帯(ベルギー、オランダ)侵攻戦で、当時第7航空師団長だったシュトゥデントはオランダに架かるヴィレム橋付近まで進出して指揮を執っていたときに、流れ弾を頭部に受け瀕死の重傷を負ったのである。
空挺軍団航空部隊指揮官プッツィガー少将が第7航空師団の指揮を継承したが、そのプッツィガー少将の任務を引き継いだのがシュスマン少将であった。
(S・W・ミッチャム『ドイツ空軍戦記』)
◇烈:
ドイツ降下猟兵、神話風に言うなら「緑の悪魔」の降臨だ。
◆飛:
降下部隊の手違いってなんだったの?
◇烈:
この時期の地中海沿岸は甚だしく乾燥する。特に未舗装のギリシャ急造滑走路はなおさらだ
◆飛:
未舗装?乾燥?まさか…
◇烈:
そう、輸送機が1機離陸するたびに砂塵が舞い上がって次の機体の離陸を妨げたんだ
◆飛:
視界不良では離陸できない。兵員を満載しているなら尚更…
◇烈:
まるでラバウルの日本軍だ。砂塵が降りるまで離陸ができない、離陸時間はずれ込み始め、それが徐々に拡大してゆき
◆飛:
本来急降下爆撃機の攻撃の直後、間髪入れずに開始されたはずの空挺降下との間にズレが生じた‥と。
◇烈:
この作戦でドイツ降下部隊が大損害を出した理由はそれだけじゃないけど、そのひとつとしては確かだと思う
◆飛:
そして、この序盤のつまずきは独英両軍にさまざまな波紋をもたらすのよね?
◇烈:
そう、それがむしろ英海軍の困難を大きくするのに響くんだから、戦争ってのは判らんもんだね。