グレンロイの迷走

−前線と本国との乖離−

23日午後

防空軽巡洋艦コヴェントリーと2隻のスループの護衛を受けた上陸作戦艦グレンロイ(艦長、サー・ジェームズ・パージェット大佐)は、陸戦の増援兵力としてクレタ南岸(恐らくスファキア)に投入される予定の歩兵1個大隊を乗船させ、アレクサンドリアを出港していた。

しかし目指すそのスファキア沖でケリーカシミールが立て続けに撃沈されたことは、クレタ沖における爆撃の激しさを何よりの形で証明して、カニンガムにグレンロイの派遣は今や自殺行為に等しいものであることを突きつけた。

カニンガムはこのエジプト・中東方面の陸軍最高司令官ウェーベル大将と直ちに協議した結果、午前中のうちにグレンロイに対して急ぎ反転離脱を指示した。この時点でドイツ軍による脅威が迫ってきているのは何もクレタだけではなく、キレナイカではロンメルの猛進撃によりトブルクが包囲され、英中東軍はこれへの対処の為にももはや一兵たりといえども無駄には出来ない事態に切迫していたからである。

カニンガムが帰投を命じたのはグレンロイだけではなかった。カニンガムはキングの指揮下にあるクレタ南方海上の主力部隊(A1、C、D部隊の残存艦艇)に燃料弾薬の補給の為にアレクサンドリアへ戻るよう指示し、午前4時30分(ケリーとカシミールが撃沈される前)、作戦行動中の全ての部隊に対してアレクサンドリアに帰還するように命令した。

しかしこれらの当意即妙の判断に対して、16時、ロンドンの海軍省はグレンロイに対して北へ再変針してクレタに向かうよう直接命令を下した。カニンガムがすんでの事でこの頭ごなしの介入を聞いて北上命令を取り消さなければ、この艦は兵員を上陸させるために午後遅くから夕方にかけてクレタに接近し、そして待ち構えていた無数のドイツ軍機によって袋叩きにされ間違いなく壊滅させられていたことであろう。

地上戦の天秤は今や明らかにドイツ軍側に傾き始めていた。マレメ飛行場に次々と着陸するJu52により増強され、山砲や迫撃砲などの(今までよりはマシな)重装備で武装されたドイツ軍降下部隊西部集団は東に前進を開始、23日夜にカニア西方で中部集団と連携した。これでドイツ降下部隊は各個に孤立するという危険な事態を一応解消することに成功し、リンゲル中将の到着と指揮系統の確立により次第にその攻撃は統制の取れたものとなっていった。

追い詰められた英連邦守備隊に対する補給は全力で続けられていた。大型輸送船による白昼輸送が最早実施不可能になった今、残された手段は夜間を利しての高速艦による強行輸送、一年半後、日本海軍がガダルカナル島で常套手段とするパターンのそれしかなかった。

この23日の夜から24日にかけて、駆逐艦ジャガーとディフェンダーの2隻が闇夜に紛れてスダ湾に飛び込み、軍需品と弾薬を陸揚げし、入れ替わって脱出を必要とする人間と、およそ60名と言われる負傷者を収容して離脱した。

次の夜、24日から25日にかけては快速自慢の敷設巡洋艦アブディールがやはりスダ湾に200名の兵員と80トンの軍需品を輸送し、およそ50名の負傷者と4名のギリシャ内閣閣を救助して無事に退避した。

英海軍将兵の気持ちを沈ませる出来事は続いた。あくる24日の早朝、長かったクレタ島沖の哨戒行動を終えたウォースパイト以下キング少将の残存艦隊が、アレクサンドリアにその傷だらけの姿を現した。埠頭についた損傷艦から負傷者が続々と陸上に運び上げられたが、その中には既に事切れている者も多かった。

翌25日、カニンガムは傷ついたウォースパイトに再び高々と将旗を掲げたが、その日行われたのは戦死した乗組員の追悼式だった。午後から始められた葬儀は「精一杯の儀式ばったやり方で」始められたが、急ごしらえの棺桶の隙間から血が滴り落ちてくる光景は悲惨なものだった。棺桶を担ぐ乗組員は作業服に改めて着替えていったが、その真新しい白い服にも点々と血痕が滲んでいくのを止めることはできなかった。

◇烈:
パウンドのい「おせっかい指揮」がここでも顔を出しちゃうわけだ。
◆飛:
「熱病的忙しさ」の中で頭に血が上ってる英海軍省、ちょっと正気を失ってるんじゃないかと思えますよねー
◇烈:
パウンドの口出しについては色々な本で言いわれてるけど、彼の弁護をするのなら、その指示の大半はチャーチルの意志に基づくものだということは既に明らかにされているよね。
◆飛:
けど、それをそのまま呑んで最前線部隊に「命令」として伝えちゃうのはどうかと思うのですよ。
◇烈:
ここらへんシビリアンコントロールというのか、難しいところだけどね(笑
◆飛:
この時期(対ビスマルク戦に際して)のパウンドと海軍省の「おせっかい指揮」の点については早川書房の「追跡」/「戦艦ビスマルクの最期」に言及されてます。
◇烈:
この件について更に知られたい方はそちらを参照してくださいませ。