へラクリオン撤退戦

−from Heraklion−

28日夕〜29日深夜

クレタ北岸東部、へラクリオンからの撤収は、全般の状況から複数回に分けての実施を許すような環境にはなく、このため同時に出発したスファキア向けのものより大きな部隊によって、一気に完了されるものとされた。

すなわち、22日の戦闘でウォースパイトに座乗していたローリングス少将が、今度は軽巡オライオンに将旗を掲げて、エイジャックス、ダイドー、駆逐艦デコイ、ジャッカル、インペリアル、ホットスパー、キンバリー、ヘリワードの9隻を率いてヘラクリオンへと派遣されたのである。※1

へラクリオンへの派遣が危険を極めるのは、それが往路と復路の両方で、独伊軍機の航空基地があるカルパソス島40マイル以内にあるカソス海峡を通過しなければいけない点である。高速の航空機にとって40マイルとはまさに目と鼻の先に過ぎないといってよい。

クレタ戦開始後この島の基地には、ギリシャ本土からクレタ西部地区を掃討し終えた急降下爆撃機の部隊が続々と移動してきており、アレクサンドリアからクレタに向かう船舶の航行にとって重大な障害となっていた。21日にジュノーを木っ端微塵に粉砕して撃沈したのも、エイジャックスを傷つけたのも、このカルパソス島から発進した独伊軍機だった。26日にこの島を空母フォーミダブルが爆撃しようとして、背後から奇襲されたのはまだ記憶に新しい。

そして28日、へラクリオン撤収部隊も案の定ここでドイツ・イタリア軍機の猛迎撃に出くわしたのである。

天候はあまり良くなく、激しい波を乗り切りながら艦隊は前進した。艦隊が空襲圏内に侵入した17時から、航空機の活動に必要な明るみが完全に消えうせる21時まで、各艦の対空砲要員は自艦の艦首が跳ね上げる波しぶきを浴びながら、いつものようにイタリア軍機の高高度水平爆撃を皮切りにして押し寄せる緩降下爆撃、急降下爆撃、雷撃などのあらゆる攻撃を撃退していった。

この往路だけでも航空攻撃の回数は10回にも及び、投下された爆弾や魚雷は各艦が激しく回避行動を展開することで際どくかわしていったが、それでも艦の傍に多数の至近弾を蒙ることだけは免れなかった。

19時14分、I/StG2から至近弾の1発がエイジャックスに損傷を与え、※2、この被害のためにエイジャックスは途中からアレクサンドリアに引き返さざるをえなかった。そしてもう1発、別の至近弾がインペリアルの艦尾を掠めるように落下した。水柱が収まった後、インペリアルは何事も無かったように走り続けていて、別段被害のようなものを認めることは出来なかった。しかしこの時、インペリアルの内部に生じたある異変に殆どの者は気付かなかったのである。

21時を過ぎて暗闇が辺りを覆い隠し、独伊軍機の攻撃も流石に終息したが、疲れきった乗組員に休息する時間は無かった。いやむしろ、へラクリオン撤収部隊が本当の困難に直面するのはこの後の事だったといってよい。

23時30分、ローリングスの部隊は目的地に到着した。港の沖にオライオンとダイドーは碇泊し、煤煙で黒ずんだ駆逐艦は兵員を収容する為に微速で桟橋に近づいていった。そこには自分達がさんざんに打ち負かした相手から退却することに腹を立てて憤慨している第14歩兵旅団の兵士達が待っていた。

撤退の決定から実施まであまりに時間が無く、事前の準備に万全を欠いたこともあって、全員が乗船を完了したのは予定を1時間以上もオーバーした3時20分になっての事だった。各駆逐艦におよそ800名ずつが乗り込み、港を離れて沖合にいる巡洋艦にそれぞれ500名が移乗した。3時30分になって艦隊は錨を揚げてカソス海峡に舳先を向けた。これからあと2時間半の暗闇の間に最も危険なこの海峡を抜けてしまえるか、それがこの部隊の命運を分ける分水線となりそうだった。

※1
28日のヘラクリオン撤収部隊であるが、軽巡3隻全てと駆逐艦ヘリワード、キンバリーは21〜22日にかけてD部隊を構成していた艦である。このことから、28日のへラクリオン撤収部隊は実質的に22日の戦闘でB、C部隊が大きな損害を出した中、比較的損害軽微なまま切り抜けたD部隊を根幹としていたことが判る。その指揮官がグレニーではなく、22日にはA1部隊指揮官としてウォースパイトに座乗していたローリングスがわざわざ移乗しているのは奇異の観を与えるが、これがつまり21〜22日の夜戦におけるグレニーの態度に対する、英海軍上層部の評価の表れるといえるのだろう。
※2
この時のエイジャックスが蒙った被害については至近弾と直撃弾の2つの説がある。直撃弾説はミッチャムの「ドイツ空軍戦記」で、それによると同艦は「28日の命中弾1発により小破」したとある。
一方、このヘラクリオンからの撤収について詳細な記述のあるマッキンタイアの『海戦』には、若干曖昧な書き方ではあるものの、文章の流れの上から至近弾と読める記述がある。他にもジョン・ウィールの『北アフリカと地中海戦線のJu87シュトゥーカ』に「どの艦も直撃弾を受けることはなかったが、至近弾によって巡洋艦1隻と駆逐艦1隻が損傷した。」という記述がある。この損傷艦の具体的な艦名は同書中には挙げられていないのだが、巡洋艦がアレクサンドリアに反転を命じられた旨記述があることから、この損傷巡洋艦はエイジャックスであると断定して間違いない。
因みに「World War 2 Cruiser Operations」には逆に21日に命中弾を蒙ったとあり、28日の件については触れられていない(21日の損傷は『ドイツ空軍戦記』並びに『海戦』によると至近弾、『北アフリカと地中海戦線のJu87シュトゥーカ』には記載なし)、要するにクレタ戦期間中のエイジャックスについては、21日と28日の両件について命中弾と至近弾の区別判定が海外でも不明であり、この件については慎重な確認を要するということである。
若干の不確定要素を含むが、私はこの28日の被害も至近弾による損傷と判断する。エイジャックスは既に21日に至近弾による損傷を受けており、応急処置だけを済ませた状態で再び至近弾を浴びれば、至近弾といえども浸水や衝撃による故障など、以後の作戦続行を断念させるに足るだけの損傷を与え得ると考えるからである。現に22日のナイアドやフィジーの被害のケースなどその典型と言えるだろう。
◆飛:
宣言から一日遅れなのです(怒
◇烈:
すいませんごめんなさい(平謝
◆飛:
酒かっ喰らって爆睡していたらしいですね?
◇烈:
いやぁ、レポート5本上げきったもんでつい…
◆飛:
笑って誤魔化さない!それで、今日のポイントは?!
◇烈:
(おぉ怖ぇ)、取り合えず、クレタ北岸に残された最後の拠点、へラクリオンからの撤退戦です。
◆飛:
最後の拠点?確かレティモがまだ抵抗していたはずよ?
◇烈:
キャンベル大佐の豪2個大隊が必至に防戦してしましたが、こちらに対しては撤収部隊が差し向けられた様子はありません。
◆飛:
撤収の検討も?
◇烈:
そこまではなんともね…。実際、このへラクリオン撤収部隊も大分苦しい状況から出してきた訳で。
◆飛:
そういえばずーっと前、去年の分の連載で「英第14歩兵旅団8024名」ってへラクリオン守備隊を説明してたよね?全部撤退できたの?
◇烈:
そこがミステリーな部分で、埠頭でこのヘラクリオン撤収部隊が積み込んだのが約4000名とみられています。
◆飛:
つまり、約半分積み残した、と?
◇烈:
それが不思議な話で、へラクリオンの兵員のほぼ全てを収容することができた、という書き方に私が参照したものにはなっとるんですわな。
◆飛:
この時点で既に半数が戦死、行方不明、捕虜にされていた?
◇烈:
あるいは別途陸路で南岸に脱出したものが居たのか、そこら辺は陸上戦の専門家にお任せしたところっすねー。