グラマンF6F ヘルキャット

グラマンF6F ヘルキャット 1943

太平洋戦線で、戦争後半の主力戦闘機として戦い抜いたのが本機です。 F4Fの後継機として1941年から開発されたが、進展しないうちに開戦を迎える。 日本海軍航空戦力の猛威にさらされた米軍は、2000馬力級の大出力エンジンを唯一の よりどころとし、零戦になんとか対抗できうる戦闘機を早期に育成する目的で 開戦後 急きょ開発を促進された経緯がありました。

大戦後半で日本軍機を圧倒したことから、本機の性能も優れていたような印象を もたれているが、実際は大馬力の割には重量過大で むしろ低性能といえます。 反面 なによりも実働率が高く丈夫な機体と、耐弾性に富んで生還率が高い事、 (具体的なデータとして 撃墜/損失比は19.1/1を記録している)が勝因でした。

それと1934年秋から戦時急造空母がぞくぞく竣工し、機動部隊兵力が増強された 時期と同じく、大戦後期だけの生産ながら12、000機という この絶対的数量が 戦局を一変させた理由ではないでしょうか。 いずれにしろ本機にあたえられがちな質的評価は、誇大では と思われます。

後期型では 日本の重爆にも匹敵する爆弾やロケット弾搭載能力を備え、これが 島づたいの侵攻作戦に威力を発揮し、運用面でも機上操作で翼を自動折たたみ 展張できる事も、空母の搭載能力を増すことに貢献していました。




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