『私論 旧陸海軍の軍用機』


Ju87氏の『私論 旧陸海軍の軍用機』についての意見を述べさせていただきま
す。

 結論からいいますと、「陸海軍で兵器を共有し、開発および生産を図るべきで
はなかったのか?」というのは全くの正論で、その通りとしかいいようがありま
せん。豊富な資源、開発および生産の両面に優れた底知れぬ工業力を持ち、有力
な航空機メーカーが多数存在するアメリカならともかく、機体設計など一部の技
術に優れた少数の技術者がいるに過ぎない日本では、同種兵器の並行開発など身
の程知らずとしか言いようがありません。今日、客観的に見ると、戦中の軍用機
開発システムは非合理の極みと言えます。
 では、なぜそんなことになったのでしょう?

 Kinop氏が取り上げていた「陸海軍で別規格の13ミリ機銃」はもちろん、陸海
軍対立によって生じた笑えない話は山のようにあります。有名なのがドイツのダ
イムラーベンツの液冷エンジンのライセンス生産です。このエンジンを使った機
体は、陸軍では飛燕、海軍は彗星であり、共に開発、生産、運用に苦労した機体
と言えます。しかし驚くべきは、エンジンのライセンス権を、陸海軍が別々に取
得したという事実です。大日本帝国として取得すれば一括できるものを、陸軍と
海軍はそれぞれ別々にライセンス料を支払っているのです。あのヒトラーとゲー
リングに「日本の陸海軍は敵同士か」と嘲笑されたという話もあり、事実、日本
の陸海軍は合理的、効率的という言葉とは程遠い存在だと思わざるを得ません。
軍用機以外に目を移せば、陸軍は何と空母(もどき)や潜水艦(らしきもの)の
開発まで行っているのです。陸上基地でしか離発着できない海軍専用機というの
も、あまり誉められたものではないでしょう。(聞くところによると、三八式歩
兵銃は共用されていたらしいですが……)
 しかも陸海軍の対立意識は、単に軍用機開発上の非合理にとどまらず、大日本
帝国の国策の誤りにさえも大きく影響しています。互いへの対抗心から徒に戦火
を拡大し、少ない資源の分捕り合いに時間を浪費し、端から見ていれば正気とは
思えません。

 さて、陸海軍の対立は太平洋戦争に始まるものではなく、明治以来のものです
(すでに日露戦争において、その害毒が現れています)。極言すればこういう意
識は、集団への帰属意識が強く、同時に排他性の強い日本人の国民性に根差して
いるものだとも言えます。大日本帝国初期は、変革期を生きた有能な指導者が政
軍両面に多くいたことと、組織そのものができたばかりで柔軟性を持っていたこ
となどにより、その性分が何とか押さえられていたに過ぎません。明治の元勲は
消え、組織が整備されて「出世コース」「学歴エリート」などが形成される過程
で、自分の属する集団を越えた視点を持つ人間は極めて少数になっていきます。
わかりやすく言えば、ドラマやマンガに出てくるパロディ化された「エリート」
のように、受験なり一流企業なり、自分のいる社会とその価値観こそが世界の全
てだと信じているような、視野の狭い人間が主流派になっていったのです。当
然、陸海軍もその典型で、「陸軍」あるいは「海軍」という意識こそが何より優
先され、「日本」や「世界」あるいは「現実」は、全てその意識を通してみるこ
としかできなくなっていったわけです。こうした人々が主流だからこそ、「同種
別規格機銃」「二重ライセンスエンジン」「陸軍空母」など冗談のようなものま
で現実になったわけです。

 つまらない結論ですが、これが敗者の姿なのでしょう。陸海軍で兵器を共用
し、合理化を図れるだけの現実主義と視野の広さがあれば、そもそも国力を越え
た世界大戦に突入するような愚は犯さなかったかもしれません。日本にしてもド
イツにしてもイタリアにしても、無謀な戦争を始めるような根本的な欠陥があ
り、そして国家なり軍隊なりがその欠陥の上に乗っている以上、応用段階での合
理性も望むべくはなかったということなのでしょう。

 少々軍用機から話題が離れすぎてしまいましたが、「日本軍の小失敗」につい
て考えると、結局根っこの「大日本帝国の欠陥」にたどり着いてしまいます。一
応史学科出身なので、そういう発想法が身に付いているのかもしれませんね。
 長文になってしまい、申し訳ありません。でも同好の士と論議するのは楽しい
ものですね。
 それでは、また。

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ハンドルネーム:HK






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