PART5 後退翼機編


今日のジェット機では当たり前に採用されている後退翼は、1935年にドイツのブーゼマイン
によって初めて明らかにされた理論に基づくものでした。
この理論が第二次大戦前に発表された時は、まだ飛行機の速度は時速600kmも
いかないような状況であったため、特に注目はされませんでした。
そのため戦前にも後退翼は研究されていましたが、高速性能よりも無尾翼機の縦
安定性やパイロットの緊急脱出を考慮しての機体が主でした。

亜音速飛行時代を迎えると、後退翼理論に基づいた機体が開発されます。
その利点は 高速飛行において特に音速に近づくと、後退翼の効果によって主翼
の周りの気流は音速を越える事が抑えられて、機体が衝撃波を発生する速度=臨界
マッハ数を高める効果が生じます。
また 前下方視界が良い事や、上半角と同じ様な横安定の効果もあります。

反面 低速時も高速時も翼端失速を起こしやすく、横安定が強くなりすぎて垂直
尾翼の効きが低下する、着陸速度がなりより効果の高い高揚力装置を必要とする
などの欠点もあげられます。

終戦により連合軍による技術収集?による成果によって、数々の傑作機が生まれ
ますがその中でも、アメリカが開発中だった戦後初のジェット大型爆撃機となるB-47の
主翼を、捕獲した資料に習いただちに後退翼に設計変更した という有名な逸話
もあります。

  メッサーシュミット  Me262
1938年からジェット推進の航空機の研究が始められ、同社に対し時速800km/hを発揮
できるターボジェット機の開発要求が出され、41年に3機の試作機が完成した。
しかし肝心のエンジンが間に合わず1号機の機首を改造し、液冷エンジンを装着して
同年4月に初飛行を行ない、翌42年にエンジンが完成し試作3号機に装備され、7月に
ジェットエンジンによる初飛行が行なわれた。

しかし空軍はジェット戦闘機の本質を理解しないまま、Bf109の生産低下を避ける
ために本格的な量産を行なわず、そのために実戦に参加したのは44年7月で、
それも最初は迎撃戦闘機ではなく、戦闘爆撃機として運用されました。
戦闘機としての登場が遅かったために、複座の夜戦型も含め約1400機が完成した
のですが、期待ほどの戦果は収められずに終わってしまいました。




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