PART7 三日月翼機編


戦前の段階ですでに後退翼や超音速翼形の研究が行われていたドイツでは、戦後
登場した三日月翼(スーパークリティカル翼)の研究で特許を取っています。
すなわち主翼の限界マッハ数を高めるために、後退翼の考え方をさらに改善したもの
で、通常の後退翼は翼弦の25%位置の後退角が翼端まで同じ角度になっています。
この後退角を主翼の付け根から翼端にいくに従って、段階的に浅くして さらに
翼厚比を小さくしていく、三日月翼をAr234V16に採用する予定でした。

補助翼の後縁がフラップ後縁とはつながっていない独特の平面形をしており、また
昇降舵と方向舵はバランス部が弓のような形に飛び出したものになっている。
取り付けの段階で終戦になり実現はしませんでしたが、この理論は戦後のイギリスの
爆撃機ハンドレページ・ビクターMk2に採用され、その特徴的な半月翼、前縁フラップ、後退
翼をもった水平尾翼など、ドイツの研究の成果がみごとに開花しました。

 アラド Ar234  ブリッツ  1944
1941年から開発された英本土を無着陸で偵察できる双発ジェット偵察機で、搭載予定
のエンジンの開発が遅れ43年に初飛行した。機体の重量を減らす目的と燃料搭載量を
増やすために、通常の引き込み脚は採用せず離陸には切り離し式のドリーを用い
着陸には橇を使用するという特異な方式を採用しています。

降着装置を除けば すばらしい飛行性能を示した本機は、ただちに量産に移され
前輪式降着装置を新たに採用した偵察機型B-1、爆撃機型のB-2、与圧キャビンを備え
たCシリーズは世界初の4発ジェットとして完成しました。

世界初のジェット爆撃機のタイトルホルダーである本機の総生産数は、わずか二百数十機と
いわれるが、その戦後に与えた影響は大きいといわれています。





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