私論 旧陸海軍の軍用機

少しばかりの疑問点があるので、みなさんの意見を聞かせてください。
それは太平洋戦争時の陸軍と海軍が、おのおの違う軍用機を試作、製作する必要 があったのか?という疑問です。 性格のおなじような軍用機だったら、共有すべきではなかったのでしょうか?

平和時における、お互いを意識しながらの切磋琢磨であれば、よりよい成果が 得られたことは、過去の航空機の歴史を見ても明白です。 が、戦争に突入し なおかつ戦局が不利になっていく過程においても、変化は ありませんでした。

技術も資源も人材も限られていた こんな小さな国の中で、何故個別の軍用機を 所有すべきだったのでしょうか? 特に開戦後に開発に着手した飛行機は、ほとんど実用化できませんでした。 そのころの試作機を見てみると、数量は多いが粗悪品ばかり という感じです。 唯一 海軍の艦上偵察機「彩雲」だけは、高い評価を受けていますが・・・

先細りしていく国力を察知して、もっと方針を絞って指示すべきだったでは? 製造メーカー側からみても、陸海個別の指示、試作機の開発、従来機の製造と改修、 と能力以上の要求に答えざるおえなくなってしまい、結果的には加速度的に品質 低下を招いてしまいます。まぁ 空襲による被害等の誘因はありますが・・・ 軍当局の無策ぶりが 残念でたまりません。

そもそも 先の軍当局の無策ぶりを感じたのは、「幻の試作機シリース」の資料を 集計、整理していく段階でした。

戦闘機で例えれば、九六艦戦VS九七戦、零戦VS隼、雷電VS鍾馗、疾風VS五式戦と いずれも似たような性格であるし、多少の仕様を変更すれば共有できたのでは? 叉は同じ水冷発動機で苦労した飛燕VS彗星、双発戦闘機のキー102 VS月光etc いずれも軍または製造会社が協力すれば、短期間で開発できたであろうに。 一部終戦間近に、協同開発されたものもありましたが・・・

当然 用兵術の違いはあるでしょう。 おのおの独自(伝統)の仕様も、面子もあるでしょう。 やっぱり無理な話なんでしょうか? 物資も人材も乏しい 日本の選択すべき道ではなかったのでしょうか?

戦闘機は艦載機仕様が困難であろうから、海軍側で 爆撃機は陸上基地で運用するので、雷撃仕様(攻撃機)を除いて陸軍側で 偵察機の場合は陸海それぞれ、目的が異なるので独自に 練習機や輸送機は水上機を除いて共有 と考えられますが・・・

どのくらい開発に着手された軍用機があるのかを、次回のリストにて参照ください。 共に長文となりましたが、分割すると見辛くなりそうですので御了承願います。 またデータ等は私個人の所有している数値です。誤記があればお許し下さい。



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