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艦首にいろはに出沼ひさし2017/09/29 [01時52分39秒]
昭和十七年一月五日
四水戦信令第四號
二十四駆各艦ハ一番艦ヨリ順次いろはにヲ艦首両舷(旧隊号記入位置)ニ記シ煙突ノ数字ヲ消去スルコトニ定ム

って数字は1〜4だったのかな〜。



潜水艦の識別線出沼ひさし2017/09/28 [01時06分17秒]
昭和17年5月21日
6F機密第五七番電
6F軍令第四二号
潜水艦味方識別トシテ現行ノモノニ更ニ前甲板又ハ後甲板ニ白線二條ヲ標示スルノ件
幅一米 二米間隔


明るい灰色出沼ひさし2017/08/24 [23時29分16秒]
機密警戒隊命令第一一號
昭和十七年三月十一日 スターリング湾 旗艦 阿武隈
     警戒隊指揮官 大森 仙太郎
警戒隊命令
一〜三、略
四、出航迄ニ外舷塗粧ヲ實施スベシ
使用塗具 白五〇 鼠五〇 ノ割合
               終

もし、塗具の鼠がいわゆる軍艦色だったら、軍艦色と白を半々にした色を塗れってことになる。
軍艦色は白3:黒1だから、この塗具は白7:黒1になる。
牧野技術大佐の言っている「艦艇色を明るい灰色に…」の灰色はこの色かもしれない。


「満潮」駆逐艦長について出沼ひさし2017/07/20 [11時08分34秒]


開戦時の「満潮」は第2水雷戦隊第8駆逐隊に編入されており、駆逐艦長は小倉正身中佐だった。
「満潮」は昭和17年2月19日のバリ島沖海戦で航行不能となり、さらに空襲を受けて大破した。

5月15日、「満潮」は第8駆逐隊から除かれ特別役務駆逐艦となった。
修理中の8月10日、小倉中佐は異動になり、後任には同日付で戸村清中佐が発令された。

10月20日、修理が完成した「満潮」は再び第8駆逐隊に編入された。
11月30日、「満潮」は空襲により大破、内地に回航され再び修理されることになった。
修理中の昭和18年1月25日、戸村中佐は異動になり、後任には同日付で鈴木保厚中佐が発令された。
2月20日に「大潮」が、3月3日に「朝潮」「荒潮」が沈没したため、4月1日、第8駆逐隊は解隊され「満潮」は横須賀鎮守府部隊に編入された。
10月5日、鈴木中佐は異動になり、後任には同日付で原口昇中佐が発令された。
10月31日、「満潮」は第24駆逐隊(「凉風」「海風」)に編入された。
「満潮」の修理は11月22日に完成し、再び第一線に赴いた。

昭和19年1月25日に「凉風」が、2月1日に「海風」が沈没したため、3月30日付で第24駆逐隊は解隊、「満潮」は第4駆逐隊(「山雲」「野分」)に編入された。
5月2日、原口中佐は異動になり、後任には同日付で平田正明中佐が発令された。
しかし、平田中佐は着任しなかったらしく、5月10日、第4駆逐隊司令の高橋亀四郎大佐が「満潮」駆逐艦長に発令(兼務)された。
第4駆逐隊は4月上旬に内地に帰投、以後5月上旬まで訓練、整備等に従事していたが、5月11日には2航戦、3航戦、「武蔵」を護衛しつつタウイタウイに向け出撃しているから、「満潮」駆逐艦長が欠員では支障をきたす。だからそれに合わせる形での発令であろう。
6月1日、田中知生少佐が「満潮」駆逐艦長に発令され、高橋大佐も同日付で兼務を解かれた。
第四駆逐隊(野分)戦時日誌(昭和19年6月)、令達報告に12日、第4駆逐隊司令より渾部隊指揮官宛の電報に
司令駆逐艦ヲ野分ニ変更
當隊艦船番号順序ヲ野分 山雲 満潮トス
とあるので、この日に田中少佐が着任した可能性が高い。

「満潮」司令駆逐艦として捷号作戦に参加、10月25日、沈没した。
高橋司令は戦死、田中駆逐艦長は意識不明のところを米軍に救助された。

6月1日付の辞令を発見したので一部を変更しました。


ある調査のため出沼ひさし2017/05/29 [01時56分14秒]
史料を複写したがどうもうまくいかない。
写経の道も険しいが写真の道も険しい。

やり方を変えてみるか…。


本当はね…出沼ひさし2017/05/10 [02時12分44秒]



開戦から昭和17年4月までの「陽炎」型で編成された駆逐隊を全部ピックアップし、戦時日誌で序列を調べ、二番艦を特定。

それら駆逐艦の行動調書と「金剛」の行動調書を見比べて、第一、第二、第四水雷戦隊の戦時日誌を読んだのだが洋上給油実施の記載は見つからず。

結局、艦名を特定しただけで終わってしまい不完全な調査になってしまった。


緒戦で撮影された「金剛」から給油中の「不知火」の写真について出沼ひさし2017/05/10 [02時06分59秒]
「学研 陽炎型駆逐艦」に洋上給油中の陽炎型駆逐艦の写真がある。
キャプションには
”洋上給油中の「不知火」。開戦後の昭和17年1月、戦艦「金剛」より…”
とある。今回はこの写真について考察したい。

この駆逐艦は予備魚雷格納筐の位置や艦橋形状から陽炎型であることは間違いない。
一番煙突には「ろ」の文字が記入されているが、他に識別線や記号等は記入されていない。
「ろ」の文字が記入されているということは駆逐隊の二番艦であろう。

「金剛」は開戦時は南方部隊に編入され、昭和17年2月16日から4月までは機動部隊に編入されている。
南方部隊本隊と機動部隊の駆逐艦は昭和17年2月13日の2F機密第九四六番により、2月25日以降は煙突に識別線と識別符字(かな)を記入するよう命令されている。

これらから
「金剛」と行動した陽炎型駆逐艦
駆逐隊内の序列は2番艦
撮影時期は17年2月25日以前となる。

開戦から17年2月25日までの期間で、「金剛」と行動を共にしていた「陽炎」型で編成された駆逐隊は第四駆逐隊である。
第四水雷戦隊戦時日誌によると開戦時からこの時期までの第四駆逐隊内の序列は
「嵐」「野分」「萩風」「舞風」
で変更されていない。

以上からこの写真の駆逐艦は「野分」だと思われる。


ああ、出沼ひさし2017/01/04 [23時19分56秒]
市ヶ谷に行きたいな〜。

って来年度まで無理そう(>_<)


丸スペシャル北方作戦の吹雪型駆逐艦の写真について その2出沼ひさし2016/12/30 [10時41分55秒]
以前、宿題としておいた第一煙突に記入されている逆コの字の記号が判明した。

写真を拡大してみると記号の右側が烹炊所の煙突に隠れているように見える。
ということはこの記号はカタカナの「ロ」の字ではないだろうか。

煙突に「ロ」の字ということはこの駆逐艦はニ番艦であろう。

昭和17年5月8日の第7駆逐隊戦闘詳報によると、消耗兵器欄には「潮」「曙」「漣」の順に記されている。
令達報告にも第7駆逐隊司令から「曙」宛の電文が記されていることから、ニ番艦は「曙」と思われる。

つまりこの写真は昭和17年4月27日から5月1日の間にトラックにて撮影された「曙」の可能性が高いということになる。


それはそれは出沼ひさし2016/10/02 [00時14分29秒]
そうと知っていればいろいろお手伝いできたかもしれませんでしたね。

って戸田さんもいつかご一緒しましょう。


外人さん戸田S.源五郎2016/09/29 [19時31分30秒]
その日私が案内するつもりだったんですが、一時的に連絡がとれず、どうしただろうと思っていたのですが、なんとか門の中に入れてもらえたようで一安心です。あと1週間くらい通うつもりでしょう。www.combinedfleet.com/kaigun.htmというところで輸送船のTROMを書いてる人で、この分野では知る人ぞ知るです。
出沼さんがいらっしゃることがわかっていればご挨拶させたのに、です。


戸田さん出沼ひさし2016/09/29 [00時00分22秒]
はい、いましたよ。
お知り合いですか?


閲覧者に戸田S.源五郎2016/09/27 [23時48分13秒]
外人さんいませんでしたか?


本日、いや昨日は出沼ひさし2016/09/27 [01時08分53秒]
久しぶりに冒険へ。

市ヶ谷に移って初の公開日。

なかなか良かった。


とりあえずhush2016/09/09 [00時03分33秒]
 国利公文書館の公式アナウンスはありませんが、現時点では繋がります。
 どうなるか分かりませんが。
 


本当に出沼ひさし2016/09/08 [01時10分23秒]
なんか反捕鯨団体?からDoS攻撃を受けているらしいです。


hushさん出沼ひさし2016/09/08 [01時03分43秒]
ありがとうございます。

もしかしてサイバーテロ??
とか思ってしまいました。


ごめんなさいhush2016/09/07 [22時11分12秒]
 念のため調べたら、
 http://www.archives.go.jp/news/20160905122126.html
 お断りが出ていました。
 


私もhush2016/09/07 [22時08分43秒]
 私も不思議に思っているところです。
 


一昨日から味礫に出沼ひさし2016/09/07 [21時33分32秒]
アクセスできないのはなぜ?

もしかしてメンテ中??


潜水艦隊を出沼ひさし2016/04/09 [22時17分03秒]
2個編成する案は戦前の構想。
遠距離担当の艦隊を巡潜型、近距離担当の艦隊を海大型で編成するって話。

だから昭和17年にもなってこんな構想が生きているはずがないと思うな〜。


???出ぬまひさし2016/04/09 [17時56分01秒]
海軍では出撃時に作戦目的等は乗員には知らせないのが一般的だとおもってたけど…。

違うのかな?


乗組員の異動出沼ひさし2015/09/26 [12時38分14秒]
辞令広報を見れば士官以上の異動は判明します。

「楡」と「樺」の話は有名ですよね?

一般乗組員の異動については、専門家に聞くとよろしいでしょう。
私は編制は好きですが人事は疎いですから。


お気になさらず。楠本2015/09/26 [07時08分55秒]
放置は仕事柄慣れてます(笑) ということは、睦月(8月25日)、弥生(9月25日)の沈没時期と竣工次期からみて涼月(12月29日)ですかね? ところで、一般の乗員が、所属駆逐隊を超えての他駆逐艦への転勤ってあったんですかね?


遅レスだが出沼ひさし2015/09/20 [13時00分45秒]
確か駆逐隊(だけじゃないが)の管轄って内例提要にあったはず。
海軍制度沿革史資料にも載っていた気がする。


こんんちは出沼ひさし2015/09/19 [11時09分07秒]
楠本様
すみません、しばらく放置していました。
艦艇の沈没後、沈没艦の生存者がどの部隊(艦艇)にはケースバイケースですが、基本的には別の艦艇に乗り組むことが多いです。
当時の海軍には訓練済みの艦艇乗組員を不慣れな陸上戦に投入して消耗する余裕はありませんでしたから。

なかには大破航行不能になった駆逐艦の乗組員がそのまま新造の同型艦に乗り換えたなんてこともあります。


自己解決しました楠本2015/09/15 [03時07分07秒]
どうやら日本海軍の沈没艦は特別陸戦隊などの根拠地隊に編入されるんですね。すいません、妙なことを聞いて。しかしこういうのを調べるのは結構楽しいですね。


はじめまして楠本2015/09/15 [02時22分24秒]
はじめまして、編成についてお聞きしたいのですが、睦月、弥生など沈没艦生存者はどこの部隊に編入させたか分かりますでしょうか・・・ちょっと調べていたら気になったのですが、調べても素人の私には分からなくて・・・


ちょっとはしょった出沼ひさし2015/08/02 [20時13分42秒]
えっと、先日の回答はあくまで原則です。
全ての項目に対して当てはまる訳ではありません。
「朝霧」が何故最後なのかは私も疑問に思っていますが答えが見つかりません。

誰かが
「受験勉強の最大の弊害は全ての問題に正解が一つあることだ(世の中には正解のない、或いは正解が複数ある問題の方が多い)」
と言っていました。

ショフト様自身で答えを探す、或いは私の答えがどの程度正しいのか検証されることをお勧めします。


回答へのお礼ショフト2015/08/02 [09時07分17秒]
丁寧な回答ありがとうございます。類別等級表は、計画順であると初めて知りました。ずっと起工順だと思い込んでいました。

内令提要に初めて目を通したときから吹雪型の「朝霧」が一番最後に書かれており、疑問に思ってましたが、なるほど「朝霧」は一番最後に計画されたんですね。


はじめまして出沼ひさし2015/08/01 [16時46分24秒]
戦時日誌、内令提要、海軍制度沿革はそれぞれ別の基準で艦名の順番が記載されています。

まず戦時日誌などの艦名は司令官、艦長の先任順で記載されています。
この場合、戦隊旗艦が1番最初、2番目以降は艦長の先任順です。
逆に言えば序列は人事異動によって変更されるということです。
戦時日誌は1ヶ月単位での作成が基本で序列の変更も戦時日誌に記載されています。

内令提要は海軍部内の資料のある意味一番オフィシャルな資料で類別等級表は計画順、編制の項目の○○隊編制は番号順で記載されています。
ただし、内令提要は内令の発令によって頻繁に改定されますので、版が違うと順番が違うなんてことはザラ、というか改定の内容も記載されています。

海軍制度沿革は内令や達を元に海軍が後年になって作成した資料です。
昭和○年度艦隊編制のなかで戦隊旗艦に変更があった場合、いつの時点の序列で記載するか決めるのは難しいでしょう。

会社で言えば
戦時日誌=営業月次報告
内令提要=就業規則
海軍制度沿革=社史またはその編集資料
ですかね。


艦艇の並び順についてショフト2015/07/31 [23時00分13秒]
はじめまして。編制にお詳しいと伺ったので質問させてください。

現在、太平洋戦争時の戦隊や水雷戦隊などの編制をまとめています。
海軍制度沿革や内令提要の艦隊編制表のようにまとめたいのですが、
艦艇の並び順の規則がよくわかりません。


海軍制度沿革に書かれている第1戦隊を例にあげると、大正6年12月は「山城、扶桑」、大正8年12月は「扶桑、伊勢、日向」、大正13年12月は「陸奥、日向、山城、扶桑」、昭和9年11月は「榛名、扶桑、山城、伊勢」と記述されており、扶桑の後ろにあった日向が前に書かれ、山城の後ろにあった扶桑が前にあるなど一貫性がありません。駆逐隊や潜水隊の艦艇の並び順の規則はある程度わかるのですが・・・・。
(駆逐隊は竣工順の場合が多い。他の隊から編入した場合は、一番下に記載することが多い。第20駆逐隊の「天霧、朝霧、夕霧、狭霧」は・・・。)(潜水隊は番号順。)


戦隊などにに所属している艦艇の並び順には、どのような規則があるのでしょうか?

お聞きしたいことをまとめると、戦時日誌に書かれている艦隊区分での艦艇の順番ではなく、海軍制度沿革や内令提要の編制表の規則で艦艇を記述していきたいということです。
(昭和17年7月14日の第2水雷戦隊の編制は、戦時日誌の艦隊区分で書くと、神通、24dg、15dg、18dg。海軍制度沿革や内令提要の編制表の規則で書くと、神通、15dg、18dg、24dg)


お時間があれば、ご教示ください。


いろいろあって出沼ひさし2015/07/11 [08時36分19秒]
先月から西大井の某企業にて就職。
ってBUNさんとは商売敵に(-_-;)


昨日は出沼ひさし2015/06/15 [10時38分46秒]
塹壕突破のために呑む。

塹壕突破の要点は毒ガス弾主体の砲兵戦術とそれをより有効にする制空権で、浸透戦術に代表される歩兵戦術はあまり重要じゃないってこと。

しかし「BUNさん」が来なかったのはちょっと残念。


史料リストと違うような桜と錨2015/05/13 [00時37分22秒]
出沼さん
ありがとうございます。 改めて史料リストを眺めてみましたが、
当方の探している原本とはちょっと違うような・・・・?
防研へ行って一度リストの全てのものとチェックが必要ですね。


おお、いつの間にか書き込みが出沼ひさし2015/05/12 [23時11分42秒]
BUNさん
一昨日はお疲れ様でした。
「BUNさん」とはまたアイスを食べました。
次は6月14日でお願いします。

桜と錨さん
「戦時編制表」の原本は確か恵比寿にあります。
ただ、恵比寿でも複製の史料がありますので、同一史料名で複数の史料を請求して複製だったら返却という手順が必要になると思います。


原本は今どこに?桜と錨2015/05/11 [17時01分15秒]
編制のことを聞くにはここしかないかと(^_^;

大本営海軍部が作成していた「帝国海軍艦隊戦時編制表」の綴の
原本は今どこにあるのでしょうか、ご存じでしたらご教示下さい。
私はこれの複製しか見たことがありませんが、ちょっと写りが悪いもので、出来れば一度確認したいと思っています。

(メルアドが古くなって届かないようです(^_^; )


おつかれさまでありましたBUN2015/04/30 [05時50分15秒]
だいたいあの店はヨロシクナイ。
私もそう思ったよ〜。
けれど、10日もできましたら、よろしくお願い申し上げます。
「BUNさん」が出沼さんとのお話を楽しそうにしておりました。


先日の日曜日は出沼ひさし2015/04/29 [10時36分46秒]
塹壕戦を突破すべく呑む。

しかし、初っ端位は呼ばなくても来るものじゃないか?
ねぇ、某呑み屋の店員さん。


たしか出沼ひさし2015/02/02 [00時13分19秒]
日露戦争前の徴兵率は20%程度だったはず。
「国民皆兵」という言葉から連想される状態からはほど遠い。
根こそぎ動員しても鉄砲の撃ち方も知らない人ばかりで戦力にならない。

だから前線では兵力不足なのに日比谷で暴れちゃう元気なお兄さんがいるんだよな〜。


でしょ出沼ひさし2015/01/23 [23時14分13秒]
昨日は写真の考察で1日を潰しました。

と言うか有意義に過ごせたと言うべきか。


ほうhush2015/01/22 [23時25分44秒]
 「ろ」でありますか。それは非常に興味深い。
 


ラバウル港内で撮影された睦月型の写真について 本題出沼ひさし2015/01/22 [21時00分07秒]
実は艦名推定の考察は前座である。

この写真の本当に美味しいところは「望月」の舷側に記入された「ろ」の文字である。

昭和18年3月に第八艦隊附属に編入されていた睦月型は「卯月」「望月」の2隻である。
駆逐艦長は「卯月」が竹内仁司少佐、「望月」が生永邦雄大尉である。

ということは第八艦隊附属に編入されている駆逐艦乃至同型の艦艇には艦長の先任順に「い」「ろ」「は」と舷側に記入されていた可能性があるということである。

この方が艦名推定よりよっぽど面白いよね〜。


ラバウル港内で撮影された睦月型の写真について出沼ひさし2015/01/22 [20時51分35秒]
丸スペシャル日本の駆逐艦Uの5頁に睦月型の写真が掲載されている。
キャプションでは「ラバウル港に停泊中の睦月型駆逐艦〜中略〜昭和18年春ごろの撮影〜後略」となっている。この駆逐艦の艦名について考察してみたい。

まず、この睦月型の写真を見ると、艦橋前左舷前方に連装機銃らしきものがあること、二番発射管が撤去されていないことが判る。
艦橋前方に連装機銃を増備し二番発射管を撤去していないということは「四一一四号訓令」に基づく改装工事を受けた可能性が高い。
この工事を受けたのは「皐月」(S18.8.31工事完了)、「水無月」(S18.9.13工事完了)、「望月」(S18.9.18工事完了)の3隻である。これらの駆逐艦が再び南東方面で行動したのは昭和18年9月以降である。
しかし、写真を子細に見ると『「四一一四号訓令」に基づく改装工事を受けた』とするにはいくつかの疑問点がある。

1 四番砲が搭載されていること
「四一一四号訓令」では四番砲を撤去しその跡に機銃台を設置、25mm三連装機銃2基を装備することになっているが、写真では四番砲の砲身がはっきりと写っている。

2 煙突に識別線が記入されていないこと
改装終了後からラバウルから水上艦艇が撤退する、或いは沈没するまで、これら3隻の駆逐艦は第三水雷戦隊に編入されていた。
もちろん、一時的に識別線を消去していた可能性は否定できないが、昭和18年7月28日に撮影された「三日月」沈没時の写真には識別線が記入されていることから、この写真の睦月型が識別線を記入していないのは違和感がある。

3 港内の様子が昭和18年後半のようではないこと
昭和18年9月の第3水雷戦隊戦時日誌に
哨戒待機等ノ発令変更
ラバウル在泊中ハ左ノ通定メ其ノ他ハ其ノ都度定ム
艦内哨戒第三配備 但シ見張機及ビ関対空戦斗関係ノミ
機関待機 昼十二節三十分待機 夜間十二節一時間待機
但シ空襲警報アリタル場合ハ令ナクシテ十二節即時待機」
とあり、この時期のラバウルは空襲が激化し、写真のように多数の商船がのんびり入港している状況ではなかった。

ということは撮影されたのは「四一一四号訓令」前に艦橋左舷前方に機銃を増備している艦の可能性が高いということである。
訓令前に艦橋前方に連装機銃(この時は13mm連装機銃)を増設したのは「睦月」「弥生」「望月」(いずれもS17.1.17工事完了)、「水無月」(S18.2.23)の4隻だが、いずれも艦橋右舷側への増備であり、左舷側から撮影された写真では艦橋の影に隠れてしまうだろう。
しかし、「望月」だけはその後の修理で左舷側にも機銃を増備している。
「望月」は昭和18年1月13日に座礁、佐世保に回航され修理に従事、2月23日に修理完成した。この時、機械室上に装備されていた13mm連装機銃を25mm連装機銃に換装し、余った13mm機銃を艦橋前に移設している。もともと「望月」は艦橋右舷に13mm連装機銃1基を装備していたから、移設されたとしたら左舷側しかないだろう。

「望月」は開戦時には第六水雷戦隊第三〇駆逐隊に編入されていたが、第六水雷戦隊は昭和17年7月10日に解隊され、第三〇駆逐隊は第二2海上護衛隊に編入された。その4日後の7月14日に第三〇駆逐隊は新編された第八艦隊に編入された。この時点の第三〇駆逐隊は「睦月」「弥生」「卯月」「望月」の4隻で編成されていたが、昭和17年8月25日に「睦月」が、昭和17年9月11日に「弥生」が沈没した。このため第三〇駆逐隊は昭和17年12月1日に解隊、残った「望月」と「卯月」は単艦で第八艦隊附属に編入された。
修理なった「望月」の行動は不明だが編制から考えれば南東方面で行動したはずで、おそらく3月中旬にはラバウル方面で行動したであろう。ちなみに第八艦隊戦時日誌には「三−二九(3月29日の意) 天霧 望月 レカタ輸送ヲ実施ス」の記述がある。
昭和18年3月31日、「望月」は再編成された第三〇駆逐隊に編入、第三〇駆逐隊は同日付で第三水雷戦隊に編入された。ということは3月中の「望月」には識別線が記入されていないことになる。

以上からこの写真の駆逐艦は昭和18年3月にラバウルで撮影された「望月」ということになる。


今日も寒い出沼ひさし2015/01/03 [18時27分25秒]
>hush様
明けましておめでとうございます。
例の調査がきっかけで、戦前の戦時編制を調べようかなという気になっています。

>桜と錨様
明けましておめでとうございます。
今年は1回位は呑みましょう。


遅ればせながら桜と錨2015/01/03 [16時39分44秒]
明けましておめでとうございます。

お互いに今年は少し前進があるといいですね。


出沼様hush2015/01/01 [20時28分09秒]
 明けましておめでとうございます。
 旧年中は、たくさんの情報を頂戴しありがたく思っております。
 と同時に、様々な失礼の段、申し訳なく思っております。
 今後とも、よろしく御指導、御鞭撻を戴ければ幸甚に存じます。
 


明けましておめでとうございます。出沼ひさし2015/01/01 [15時21分51秒]



今年も宜しくお願いします。しかし寒いな〜。


で、何が言いたいかというと出沼ひさし2014/12/20 [20時19分16秒]
第53駆逐隊と第6駆逐隊は同じ識別線を記入していたのではないかということ。


モデルアート艦船模型スペシャル「大鳳と信濃」掲載の出沼ひさし2014/12/19 [00時00分00秒]
天1号作戦時の「浜風」の写真の元ネタが判明する。

学研秋月型に掲載されていた写真もより鮮明なモノがあった。

しかし「霞」と「初霜」はボケボケの写真だけ…。

惜しいな〜。


第53駆逐隊出沼ひさし2014/12/18 [01時29分56秒]
第53駆逐隊は昭和20年3月15日に「楢」「桜」「柳」「椿」「欅」「橘」で編成され第11水雷戦隊に編入された。
駆逐艦はいずれも第11水雷戦隊に単艦で編入されていたもので竣工後2〜4ヶ月経っており、当時の状況としては訓練期間は充分であったと言える。


第11水雷戦隊は昭和20年4月6日に「遊撃部隊待機部隊第二部隊」に区分されたが、第53駆逐隊(椿欠)は「遊撃部隊待機部隊第一部隊」に区分された。
「椿」は4月10日に中国方面で触雷し、その後も空襲で損傷する等、完全に修理されることなく終戦を迎えた。
「待機部隊第一部隊」の指揮官は第31戦隊司令官であり、訓練済の水上部隊はここに集められていた。
第11水雷戦隊から「待機部隊第一部隊」に編入された艦艇は第53駆逐隊以外に「楡」「蔦」があったが、4月25日にそれぞれ第52駆逐隊、第43駆逐隊に編入されているので、これら2隻の編入は戦時編制改定の前倒しであったと言える。

待機部隊は5月20日に解消されたが、この時第53駆逐隊は第11水雷戦隊司令官を指揮官とする「訓練部隊」に編入されている。第53駆逐隊5隻の訓練済の駆逐艦は貴重な戦力だと思われるが、戦時編制を改訂して第31戦隊に編入されることはなかった。

訓練部隊に編入された直後の5月25日には「桜」「欅」が阪警部隊に、「楢」「椿」が呉鎮部隊に、「橘」「柳」が大警部隊に編入され、第53駆逐隊は分割されてしまっている。
そして第11水雷戦隊が解隊された7月15日に第53駆逐隊も解隊されてしまった。
第53駆逐隊は編成から解隊までの4ヶ月間、第11水雷戦隊に編入されたままだった。
これは第11水雷戦隊内で編成された他の駆逐隊(下記)と明らかに異なっている。
第32駆逐隊(昭和18年8月20日〜9月30日)
第43駆逐隊(昭和19年7月15日〜8月20日)
第52駆逐隊(昭和19年11月15日〜11月25日)
以上から、かつての第6駆逐隊のように第11水雷戦隊内に訓練済の1個駆逐隊を編入する何らかの意図があったのではないかと思われる。


要するに出沼ひさし2014/11/30 [12時16分16秒]
公開されているが誰も見ていない史料というものが大量にあるんだよな。

例えば恵比寿に海軍関係史料は37000冊もあるけど、全部見た人はいないだろう。

うろ覚えだがNARAは文書が10ケタほどの数字で管理されていて、見たい文書番号を申請すると出してくれるシステム。
私は捷号作戦や多号作戦で米軍が撮影した写真を見たいと思っているが、その文書番号が判らない申請のしようがない。

これらはいずれも公開されているが未発表と言えるだろう。


第3水雷戦隊編制史 その2出沼ひさし2014/11/08 [21時20分37秒]



ともあれ再編成された第3水雷戦隊だが、直後に発動された八十一号作戦において大損害を受けることになる。3月3日、敵攻撃機の攻撃を受け8dgの「朝潮」「荒潮」、11dgの「白雪」が沈没、第3水雷戦隊司令官の木村司令官は重傷を負い、8dgは稼働駆逐艦が皆無となり司令の佐藤大佐が戦死した。
先の損害により第3水雷戦隊は再編成が必要となり、3月31日、新編成された30dg(「卯月」「三日月」「望月」)が編入された。4月1日、8dgが解隊、沈没した「白雪」が11dgから除かれた。
下記は昭和18年4月1日時点の編制である。

旗艦:「川内」
11dg「初雪」「夕霧」「天霧」
22dg「皐月」「水無月」「文月」「長月」
30dg「卯月」「三日月」「望月」

2度目の再編から3ヶ月後の7月6日、「長月」が座礁後、敵機の攻撃を受け沈没した。
7月17日、「初雪」が敵機の攻撃を受け沈没、28日、「三日月」が座礁後、敵機の攻撃を受け沈没した。第3水雷戦隊は1か月間に駆逐艦3隻を失ってしまったのである。
10月15日、沈没艦が戦時編制から除かれ、11dgから「初雪」が、22dgから「長月」がそれぞれ除かれた。
10月24日、30dgの「望月」が敵機の攻撃を受け沈没した。
11月1日、沈没した「長月」が22dgより除かれた。
11月2日、ボーゲンビル島沖海戦にて旗艦の「川内」が敵艦の攻撃を受け航行不能になり、その後敵機の攻撃を受け沈没した。
11月25日、11dgの「夕霧」が敵艦の攻撃を受け沈没した。
この間の補充は11月30日、「夕月」が30dgに、12月1日、「夕張」が第3水雷戦隊に編入されたのみであった。
昭和18年12月1日時点での序列は下記の通りである。

旗艦:「夕張△」
11dg「天霧」「夕霧×」
22dg「皐月」「水無月」「文月」
30dg「卯月」「夕月」「望月×」
附属:「川内×」

「川内」「夕霧」「望月」は既に沈没、「夕張」は修理中で実戦力は僅かに駆逐艦6隻だった。
昭和18年12月15日、11dgは解隊され、「天霧」は単艦で第3水雷戦隊に編入された。この時点の編制は下記の通りである。

旗艦:「夕張△」
22dg「皐月」「水無月」「文月」
30dg「卯月」「夕月」「望月×」
附属:「天霧△」「川内×」

昭和19年1月1日、修理中の「夕張」は附属に変更され「川内」が除かれた。下記はこの時点での編制である。

22dg「皐月」「水無月」「文月」
30dg「卯月」「夕月」「望月×」
附属:「天霧△」「夕張△」

1月5日、沈没した「望月」が30dgより除かれた。
2月18日、「文月」が敵機の攻撃を受け沈没した。
3月1日、「天霧」は第3水雷戦隊から除かれ、第16戦隊19dgに編入された。「天霧」が除かれたことで開戦時から編入されていた吹雪型駆逐艦は全て第3水雷戦隊から姿を消してしまったことになる。2年ちょっとで実に10隻の吹雪型駆逐艦が第3水雷戦隊から失われたことになる。
3月30日、沈没した「文月」が22dgから除かれた。
4月27日、「夕張」が敵潜の雷撃を受け沈没した。この時点で第3水雷戦隊の戦力は僅かに駆逐艦4隻となってしまった。
昭和19年5月1日、第3水雷戦隊は第8艦隊から除かれ、中部太平洋艦隊に編入されると共に戦力増強が図られた。同日付で30dgに「秋風」「松風」が編入、22dgに「夕凪」が編入された。この時点での編制を下記に示す。

30dg「卯月」「夕月」「秋風」「松風」
22dg「皐月」「水無月」「夕凪」
附属:「夕張×」
※「夕張」は沈没していたので附属に区分と推定

既に睦月型は4隻しか残っておらず、神風型、峯風型を編入しており残存駆逐艦を掻き集めた感がある。なお、第3水雷戦隊に編入前の所属は「秋風」は第11航空艦隊、「松風」「夕凪」は第8艦隊だったので共に南東方面で戦った駆逐艦であった。
5月15日、旗艦用の二等巡洋艦として「名取」が編入された。下記は昭和19年5月15日時点の編制である。

旗艦:「名取」
30dg「卯月」「夕月」「秋風」「松風」
22dg「皐月」「水無月」「夕凪」
附属:「夕張×」
※「夕張」は沈没していたので附属に区分と推定

第3水雷戦隊は、その一部兵力(「名取」「夕凪」「卯月」)が補給部隊としてマリアナ沖海戦に参加しているが、その時の編制も前記のようであったと思われる。
6月6日、「水無月」が、3日後の6月9日、「松風」がそれぞれ敵潜の雷撃を受け沈没した。
6月10日、沈没した「夕張」が除かれた。
当時、第3水雷戦隊司令部はサイパン島にあり、6月11日に米軍の上陸を迎えている。7月7日にサイパン守備隊は玉砕、司令官の中川少将も8日に戦死と認定され、以後、第3水雷戦隊司令部は再建されなかった。そのため第3水雷戦隊は6月上旬から8月20日の解隊までの期間は司令部なしの状態であった。司令官が指揮を執れない場合、部隊内の最先任者が指揮を執るので、名取艦長久保田大佐が臨時に第3水雷戦隊の指揮を執ったと思われる。
7月18日、第3水雷戦隊は中部太平洋艦隊の解隊に伴って聯合艦隊に編入された。
8月10日、沈没した「水無月」「松風」が22dgから除かれた。この時点の編制は下記の通りである。

旗艦:「名取」
30dg「卯月」「夕月」「秋風」
22dg「皐月」「夕凪」

昭和19年8月18日、「名取」が敵潜の雷撃を受け沈没した。
昭和19年8月20日、第3水雷戦隊は解隊され第31戦隊に改編された。同日付で22dgは解隊、残った「皐月」と「夕凪」は30dgに編入された。


第3水雷戦隊編制史 その1出沼ひさし2014/11/08 [21時18分34秒]
開戦時の第3水雷戦隊の編制は下記の通りである。



旗艦:「川内」
20dg「朝霧」「夕霧」「天霧」「狭霧」
11dg「吹雪」「白雪」「初雪」
12dg「叢雲」「東雲」「白雲」
19dg「磯波」「浦波」「綾波」「敷波」

昭和16年12月17日、12dgの「東雲」が沈没、更に12月24日、20dgの「狭霧」が敵潜の雷撃を受け沈没した。第3水雷戦隊は開戦した年に早くも2隻の駆逐艦を失ったのであった。
昭和17年3月10日、12dgは解隊され「叢雲」は11dgに、「白雲」は20dgに編入された。
この時点の編制は下記の通りである。

旗艦:「川内」
20dg「夕霧」「天霧」「白雲」「朝霧」
11dg「初雪」「白雪」「吹雪」「叢雲」
19dg「浦波」「磯波」「敷波」「綾波」

上記の戦力でMI作戦に参加した第3水雷戦隊は、B作戦に従事する予定であったが、米軍のガダルカナル上陸により南東方面に投入された。
昭和17年8月28日、第20dgはガダルカナル島沖で敵機の攻撃を受け「朝霧」沈没、「白雲」「夕霧」損傷の被害を受け壊滅状態となり、司令の山田大佐も戦死した。
昭和17年10月1日、20dgは解隊、残った「天霧」は第8艦隊に編入された。
この時点の編制は下記の通りである。

旗艦:「川内」
19dg「磯波」「浦波」「綾波」「敷波」
11dg「吹雪」「白雪」「初雪」「叢雲」

第3水雷戦隊の戦力は早くも2個駆逐隊に減少してしまったのである。
10月11日、11dgの「吹雪」が敵艦の攻撃により、「叢雲」が敵機の攻撃により沈没した。
11月15日、沈没した「吹雪」と「叢雲」は11dgから除かれた。そしてこの日に第3次ソロモン海戦において19dgの「綾波」が敵艦の攻撃を受け沈没した。
12月15日、沈没した「綾波」が19dgから除かれた。

この時点の第3水雷戦隊の編制は下記の通りである。

旗艦:「川内」
11dg「白雪」「初雪」
19dg「磯波」「浦波」「敷波」

ガダルカナルを巡る戦いで消耗した第3水雷戦隊の戦力は巡洋艦1隻、駆逐艦5隻にまで減少してしまった。
ガダルカナル撤退後の昭和18年2月25日、第3水雷戦隊の戦時編制が改定された。8dg(「朝潮」「大潮」「満潮」「荒潮」)と22dg(「皐月」「水無月」「文月」「長月」)が編入され、19dgが除かれたのである。11dgには「天霧」と「夕霧」が編入され再び4隻編成となった。そして第3水雷戦隊も第1艦隊から除かれ第8艦隊に編入された。これらの改定により第3水雷戦隊の編制は下記のようなった。なお、編制表中の艦名の後の△は修理中を、×は沈没した艦を表す。

旗艦:「川内」
8dg「朝潮」「荒潮」「満潮△」「大潮×」
11dg「白雪」「初雪」「天霧」「夕霧△」
22dg「皐月」「水無月」「文月」「長月」

一見すると完全編制の3個駆逐隊を擁し戦力充実が図られたようだが、第8艦隊に附属していた駆逐艦や海上護衛隊に編入されていた駆逐艦を寄せ集めたので艦型も区々であった。しかも編入された駆逐艦のうち、「満潮」「夕霧」は修理中、「大潮」は沈没していたので稼働駆逐艦は9隻だった。
第8艦隊に編入されたということは必然的に南東方面の輸送作戦が主任務となる。そのため開戦前に想定されたような戦隊単位での統制魚雷戦などは起こりえず、艦型がまちまちで搭載魚雷が違っていても大きな問題とはならなかったのであろう。
睦月型が再び水雷戦隊に復帰しているのが注目される。昭和18年1月1日の時点で8隻の睦月型が残っていたが、うち6隻が海上護衛隊に編入されていた。残存していた睦月型は最終的には全て第3水雷戦隊に編入されている。これは駆逐艦の消耗によるものであろうが同時に海防艦の就役に伴い、駆逐艦を海上護衛任務から外すことができるようになったこともあるだろう。ちなみに昭和18年1月1日時点の海防艦は4隻だったが、同年12月31日時点では18隻(1隻は沈没していたので実質17隻)が部隊に編入され、うち13隻が海上護衛隊に編入されていた。


軍艦色≠鼠色≒軍艦色出沼ひさし2014/11/01 [06時58分33秒]
色の問題は

実際に塗られている色とそれがどんな色に見えるかは別問題ということが認識されていない。
「どんな色に塗られていましたか?」の質問に対して「こういう色に見えた」でしかない。

戦前の塗料は退色が激しかった、ロットや生産者による色の違いが大きかったという伝説。
現在の塗料より品質が劣っていたのは当然だが、退色するとどんな色になるかの考察や、色の違いがどの程度だったのかの調査が不足。


でも常識的に考えて
軍隊はお役所であり規定等には人一倍うるさいはず。お役所がそんなに退色の激しい塗料を採用するのか?
いくら戦前といえども黒や白と言った無彩色の色味がそんなに違ったのか?
と思うんだけどな〜。

考えられるのは
海が青いから青味がかって見える
白は劣化すると黄変するだろうから黄色がかって見える
「鼠色」(いわゆる軍艦色の正式名称)は「白塗具参 黒塗具壱」の規定だから、白3、黒1に少量の青と黄を入れるとそれらしく見えるだろう。
って模型の「軍艦色」そのままじゃん。


艤装中の「大和」出沼ひさし2014/10/11 [23時33分04秒]
を撮影した有名な写真があるが、あの写真の美味しいトコは遠景に駆逐艦が写っていること。

どんな写真でも子細に眺めると発見があるものだな。


今日はだいぶ良い出沼ひさし2014/09/27 [14時01分26秒]
あと少しだな〜。今日明日は大人しくしています。
>P-kun
齢にはかてないと思い知りました。

>hushさん
2週間ほど発熱と咳に苦しみました。


おお、それはhush2014/09/26 [12時35分28秒]
それは、それは大変でございましたね。
御自愛下さいませ。


まじですか・・・P-kun2014/09/26 [02時34分41秒]
年食いましたね・・・
お大事に・・・


風邪をひいた出沼ひさし2014/09/26 [00時57分31秒]
と思ったら肺炎だった。珍しく2日も会社を休んだ。
あとは年末調整が終わるまで休むわけにはいかない。


駆逐艦「睦月」「弥生」行動調書出沼ひさし2014/09/08 [00時45分39秒]
駆逐艦「睦月」戦時編制

S16.12.8、6Sd30dgに編入
S17.7.10 30dgは4F2Kegに編入
S17.7.14 30dgは8Fに編入
S17.8.25沈没
S17.10.1除籍

戦時日誌の有無
S16.12.1〜S17.7.14 6Sd戦時日誌あり
S17.7.10〜S17.7.14 2Keg戦時日誌あり(適当だけど…)
S17.7.14〜S17.8.25 8F戦時日誌あり(これまた適当だけど…)



駆逐艦「弥生」戦時編制

S16.12.8、6Sd30dgに編入
S17.7.10 30dgは4F2Kegに編入
S17.7.14 30dgは8Fに編入
S17.9.11沈没
S17.10.20除籍

戦時日誌の有無
S16.12.1〜S17.7.14 6Sd戦時日誌あり
S17.7.10〜S17.7.14 2Keg戦時日誌あり(適当だけど…)
S17.7.14〜S17.9.11 8F戦時日誌あり(これまた適当だけど…)、ただしS17.9月分には「麾下艦船部隊の行動」なし
S17.9.1〜9.2不明
S17.9.3 タウポタ方面行動中
S17.9.4 ミルン湾着
S17.9.5 ミルン湾発
S17.9.6 ラボール着(推定)
S17.9.7〜9 ラボール(推定)
S17.9.10 ラボール発
S17.9.11 沈没


行動調書補完は出沼ひさし2014/09/06 [21時44分57秒]
やっぱり残っている分も読まなきゃな〜。
「若月」だったら、S18.8.23〜S18.11.30の期間の「涼月」「初月」の行動調書(いずれも第61駆逐隊)を参考にしたいし、「摩耶」「長鯨」の行動調書を読めばトラックから内地回航までの「若月」の行動が判明するかも…。

ということで家で調べても叩き台にしかならないな。


さすが出沼ひさし2014/09/02 [23時24分31秒]
餅は餅屋ですね。
ありがとうございます。早速、薦めてみます。

ってか一緒に呑んだ方が早い?


にっぽんの客船 タイムトリップ (INAX BOOKLET)戸田S.源五郎2014/09/01 [19時32分46秒]
↑という小冊子があり、中村順平についても4頁にわたって紹介されています。客船名も載っていますので妙齢?のご婦人にお勧めしては如何でしょうか?Amazonでまだ売ってます。改めてこの本を見て私としては村野東吾の名前がでてきたのに驚いている次第。最近、ちょっと関わりがあり。。。


駆逐艦「若月」行動調書出沼ひさし2014/08/31 [00時15分51秒]



駆逐艦「若月」戦時編制
S18.5.31 竣工、11Sdに編入
S18.8.15 10S61dgに編入
S19.11.11 沈没
S19.11.152Sd41dgに編入
S20.1.10除籍

戦時日誌の有無
S18.5.31〜S18.8.14 11Sd戦時日誌あり
S18.8.15〜S18.11.30 戦時日誌なし
S18.12.1〜S19.11.11 10S戦時日誌あり

行動調書補完
S18.8.15在横須賀
S18.8.17横須賀発
S18.8.22トラック着
S18.8.23〜S18.9.17トラック付近にて行動(推定)
S18.9.18トラック出撃、ブラウンに向かう
S18.9.20ブラウン着
S18.9.23ブラウン発
S18.9.25トラック着
S18.9.26〜S18.10.16トラック付近にて行動(推定)
S18.10.17トラック出撃(以後、S18.10.26まで推定)
S18.10.19ブラウン着
S18.10.23.ブラウン出撃
S18.10.26トラック着
S18.10.27〜S18.10.29ラボール行の準備(推定)
S18.10.30トラック発
S18.11.1ラボール着
S18.11.1ラボール出撃、ブーゲンビル島沖海戦に参加
S18.11.2ラボール着
S18.11.3〜S18.11.4ラボールにて輸送作戦の準備(推定)
S18.11.5ラボールにて空襲を受け損傷
S18.11.6〜S18.11.10ラボールにて応急修理、トラック回航準備(推定)
S18.11.11「摩耶」「長鯨」を「風雲」と共に護衛しつつラボール発
S18.11.14トラック着
S18.11.15〜S18.11.25トラックにて内地回航準備、内地回航(推定)
S18.11.26横須賀着(根拠未確認)
S18.11.27〜S18.11.30横須賀にて修理(推定)


駆逐艦行動調書補完出沼ひさし2014/08/30 [23時57分43秒]
恵比寿にある行動調書は便利な史料だが、駆逐艦行動調書は「ま行」以降の駆逐艦は1隻を除き(確か「峯雲」)抜けている。
抜けている分は戦時日誌等を用いて行動を確認するしかないのだが、戦時日誌とて全てが残っているわけではない。
そこで行動調書の補完を試みたい。

対象となる駆逐艦は「峯風」「夕風」「松風」「夕凪」「睦月」「弥生」「水無月」「三日月」「望月」「夕月」「叢雲」「夕霧」「若葉」「夕暮」「村雨」「夕立」「山風」「満潮」「山雲」「雪風」「舞風」「夕雲」「巻雲」「巻波」「若月」「宵月」「松」「桃」「槇」「樅」「柳」「若竹」の32隻である。

「矢風」は実質的に標的艦だったので対象外とした。

また、行動には推定も多くなるが、推定の個所には「推定」と記し、事実と推定とがはっきり区別できるようにした。
全艦を調べる気力があるかどうか自信がないので、調べたい駆逐艦から調べることにする。


昨日は出沼ひさし2014/08/30 [23時38分55秒]
同年齢の女性と呑み。就職祝いにお酒を貰う。

で、話題は建築家中村順平について。
彼女の父親がインテリア関係の仕事をしていて氏に興味を持ったらしく、氏の手がけた船についての情報提供依頼があった。
彼女の姓も中村だが氏と血縁関係ではないとのこと。

商船は専門ではないので、戸田さんのHPを紹介しておく。


だからさ出沼ひさし2014/08/30 [14時44分44秒]
バカ相手にまともなことを話しても疲れるだけだよ。


部隊名の変更出沼ひさし2014/08/23 [12時58分00秒]
昭和18年8月15日
GF機密一五〇〇一〇番電
八月一五日附GF第三段作戦命令発令セラレリ
軍隊区分中主ナル改変次ノ通
一、部隊名変更(括弧内ハ旧隊名)
(イ)戦艦部隊BB (主力部隊)
(ロ)遊撃部隊YB (前進部隊)
(ハ)内南洋方面部隊UNB (内南洋部隊)
(ニ)南西方面部隊NSB (南西部隊)
(ホ)西方部隊SHB (馬来部隊)
二、新設部隊(部隊名、指揮官、兵力ノ順)
訓練部隊KRB 1F長官 1F中内地所在兵力

戦艦:主力部隊→単なる戦艦部隊
巡洋艦:主力の前衛なので前進部隊→戦艦が主力でないから遊撃部隊

ということで戦争後半に頻出する「遊撃部隊」はここで制定されたことがわかる。


ちょっと弱いのは出沼ひさし2014/08/19 [01時08分16秒]
この写真が撮影された時期。
「最後の帝國海軍」にも「航跡の果てに 新鋭巡洋艦大淀の生涯」にも写真撮影のことには触れられてない。
ただ背景が瀬戸内海らしくない(島が見えない)ことも東京湾である可能性を高くしていると思う。


「大淀」の写真遠景に写っている秋月型について出沼ひさし2014/08/16 [18時13分57秒]



「大淀」の対空射撃訓練を見学する豊田副武聯合艦隊司令長官の有名な写真がある。
「丸スペシャル マリアナ沖海戦」のキャプションには「前略〜マリアナ沖海戦後のスナップで〜中略〜背景の駆逐艦は冬月で〜中略〜場所は木更津沖である」
とある。
「丸スペシャル 軽巡阿賀野型・大淀」にも同じ写真が掲載されているが、こちらの英語キャプションは「25mm M.Gs mounted on the hunger of the Oyodo, May 1944, off Kisarazu.」とある。

今回はこの秋月型について考察したい。


「大淀」の行動調書は昭和18年の極く一部しか残っておらず、その行動は判然としないが豊田大将が連合艦隊司令長官に親補されたのが昭和19年5月3日、「大淀」が聯合艦隊旗艦になったのが昭和19年5月4日とされている。
当時、「大淀」は大本営との連絡を密にする必要から東京湾にあった。
5月22日、あ号作戦の指揮を執るため完全な電話施設を持った浮標のある柱島へ向けて出港、柱島に到着したのは5月23日であった。
マリアナ海戦後の6月28日に柱島を出港、29日に横須賀着、以後、聯合艦隊司令部が日吉に移る9月29日まで東京湾にて行動していたようである。
第10戦隊戦時日誌によると6月28〜29日の「大淀」横須賀回航には「霜月」「若月」が護衛に当たっている。

豊田長官が写っていることから、この写真は「大淀」が連合艦隊旗艦だった昭和19年5月4日〜9月29日の間に撮影されたもので、他の一連の写真とも考え合わせれば豊田長官の着任間もない頃に記念の意味で撮影されたものであろう。
豊田長官他幕僚の服装が第一種軍装であることからも夏季の撮影でないと判断出来る。
以上からこの写真は昭和19年5月上旬〜中旬に木更津沖で撮影された可能性が高い。

昭和19年5月に行動可能だった秋月型は「秋月」「若月」「初月」「霜月」の4隻だった。
もう一隻「涼月」があったが、昭和19年1月16日に敵潜水艦の雷撃を受け大破、修理中だった。

第10戦隊戦時日誌によると5月中の「秋月」「初月」「若月」の3隻は、リンガ泊地またはタウイタウイにて機動部隊と共に行動しており「大淀」と合同することはなかった。

「霜月」の行動についてだが、「霜月」は昭和19年3月31日に竣工した。
第11水雷戦隊戦時日誌によると、その後は内海西部で訓練に従事していたが横須賀に回航され5月9日〜22日までは「GF特別任務」とある。
駆逐艦行動調書によると「霜月」は5月9日〜22日まで横須賀、木更津等、東京湾で行動している。
また、「木更津沖ニ回航、GFニ合同」とも記されており「大淀」と合同したことが判る。
「霜月」は22日に出撃、「主隊ノ対潜掃討」を行なっているからGF特別任務とは「大淀」の護衛を言うのであろう。

一方、丸スペシャルマリアナ沖海戦に記載の「冬月」だが、「冬月」は昭和19年5月25日に竣工、その後は内海西部にて訓練に従事していた。
ただし、「柱島」に停泊したことはないようである。
「冬月」は伊号輸送作戦のために6月22日に呉を出港、横須賀には24日に入港、輸送作戦の準備を終えた「冬月」は6月28日に横須賀を出撃している。
少なくとも木更津沖で「大淀」と合同することはなかったことが判る。


次に撮影されている駆逐艦の煙突を見ると、その煙突には比較的幅広の白線が巻かれているようである。
以前、“被雷している「大鷹」型の写真について”で考察したように第11水雷戦隊の識別線は白線1本の下に太白線1本と思われるので、それがボケて幅広の白線に見えるとすれば辻褄が合うことも、この駆逐艦が「霜月」であることを裏付けていると思われる。

以上からこの写真遠景の秋月型は「霜月」である可能性が極大である。
この推論が正しければ、これは唯一の「霜月」の写真ということになろう。


昨日は出沼ひさし2014/08/11 [22時19分59秒]
講演会&呑み会。

アメ公の艦上機は混乱した要求&駄作揃い。
たまたま上手く行ったのがSBD、F6F、F4U、TBF。
ってツボだよな〜。

偵察機はTBFの後継機ができなかったのでヘタをすると1950年頃までTBFだったかも…。

2次会ではお金を徴収しすぎました。
って酔っぱだと計算が出来ん(-_-;)

次のオフ会で還元します。


艦これは出沼ひさし2014/08/09 [18時12分58秒]
俺には関係ないと思っていたが、最近、艦名+艦種で検索すると艦これ関連の画像や記事が一杯ヒットするように…。
「-艦これ」で検索すれば大丈夫だけどひと手間かかる。


丸スペシャル北方作戦の吹雪型駆逐艦の写真について出沼ひさし2014/08/09 [12時12分59秒]
丸スペシャル北方作戦の10頁に吹雪型駆逐艦の写真が掲載されており、「昭和17年4月下旬、大湊における駆逐艦潮」とキャプションがついている。
今回はこの写真を考察してみたい。

この写真の駆逐艦は砲塔、煙突、艦橋の形状から吹雪型U型であることは間違いない。17年4月の吹雪型U型は9隻あったが、その編制は下記の通りである。

第三水雷戦隊に5隻(第十九駆逐隊「敷波」「綾波」、第二十駆逐隊「天霧」「夕霧」「朝霧」)
第十戦隊に3隻(第七駆逐隊「曙」「潮」「漣」)
横須賀鎮守府に1隻(「朧」)

写真では第二煙突に白線1本の上に細い白線3本の識別線が記入されているが、この識別線は第三水雷戦隊とは異なっている。横須賀鎮守府所属の朧には識別線は記入されていないだろうから、この識別線は第十戦隊のものである可能性が高い。細線3本だからこの駆逐艦の所属する駆逐隊の序列は三番隊だろう。

昭和17年5月27日に撮影されたMI作戦に出撃する「利根」の遠景に陽炎型と思しき駆逐艦が写っている。
この駆逐艦は機動部隊警戒隊(4dg、10dg、17dg)所属と思われるが、第二煙突のみに識別線が記入されているように見える。
これは第四水雷戦隊(第四駆逐隊)の識別線とは異なっているので、第十戦隊(第十駆逐隊か第十七駆逐隊)の可能性が高いことからもこの説が裏付けられる。

以上より、この写真は第七駆逐隊が第十戦隊三番隊だった時期に撮影されたものということになる。

次に第七駆逐隊が第十戦隊三番隊だった時期だが、第十戦隊は昭和17年4月10日に編成された。
編成当初の編制は下記の通りである。

「長良」
第十駆逐隊「夕雲」「風雲」「巻雲」「秋雲」
第十七駆逐隊「磯風」「浦風」「谷風」「浜風」
第七駆逐隊「曙」「潮」「漣」

駆逐隊司令を先任順に記すと
第十駆逐隊司令阿部俊雄大佐
第十七駆逐隊司令杉浦嘉十大佐
第七駆逐隊司令小西要人大佐
となる。
昭和17年4月の第十戦隊戦時日誌は残っていないので序列は不明だが、他の水雷戦隊の例から駆逐隊司令の先任順と考えて間違いないだろう。
編成直後の4月25日、第十七駆逐隊司令杉浦嘉十大佐は異動になり、後任には同日付で北村昌幸中佐が発令された。北村中佐は最後任の駆逐隊司令なので序列が変更されたと思われる。北村中佐は開戦時には第二十一掃海隊司令だったが、昭和17年3月10日、同隊の解隊により同日付で佐鎮附となっている。ゆえに第十七駆逐隊司令が発令された時点では内地にいたと考えられる。第十七駆逐隊の駆逐艦は4月後半には内地に帰投していたので、北村中佐は発令後数日で着任しただろう。
北村中佐は最後任の司令だったので5月1日には序列変更が発令されたであろう。
下記に5月1日の序列(推定)を記す。

〇番隊:「長良」
一番隊:第十駆逐隊「夕雲」「風雲」「巻雲」「秋雲」
二番隊:第七駆逐隊「曙」「潮」「漣」
三番隊:第十七駆逐隊「磯風」「浦風」「谷風」「浜風」


この序列は17年6月の第10戦隊戦時日誌に記載されている序列と同一である。
北村中佐の着任以後、7月14日に第七駆逐隊が第十戦隊より除かれるまでは司令の異動はないから、第七駆逐隊が三隊隊だったのは17年4月中のみだったことになる。

以上より先の写真は4月中旬〜下旬にかけて撮影されたものと考えて間違いないだろう。

次に撮影場所についてだが、昭和17年4月10日〜4月30日の第7駆逐隊の行動は駆逐艦行動調書によると

潮:4/10〜4/23横須賀、4/27〜5/1トラック
曙:4/10〜4/23横須賀、27〜5/1トラック
漣:4/10〜4/24横須賀、4/29〜4/30トラック

であり、大湊には停泊していない。
背景には撮影場所のヒントとなるような景色は写っていないが、水平線が見えることからトラックで撮影された可能性が高いのではないだろうか。

ということでこの写真は昭和17年4月末にトラックで撮影された第七駆逐隊所属の駆逐艦ということになる。

第一煙突に記入されている逆コの字の記号は宿題ということで。


えっと〜出沼ひさし2014/07/26 [19時57分57秒]
一試作機の中止を示す文章がドクトリンのソースとは恐れ入った。
逆にドクトリンに関する資料を全く読んでいないことの証明になってるじゃん。

何故中止にしたのか?
中止による代替手段をどう考えていたのか?

これを問われているんだよね…。


行動調書が見たい出沼ひさし2014/07/21 [11時02分50秒]
ということで、恵比寿にいくかぁ。
お題は大淀、秋月型、第七駆逐隊。


会社の近くのブックオフで出沼ひさし2014/07/19 [10時08分29秒]
何気なく見た「写真太平洋戦争 第4巻 北方作戦 第1次第2次ソロモン海戦/サボ島沖夜戦」例の丸スペの合本。


第7駆逐隊「潮」の写真に識別線が記入されている。
この写真と「利根」と共に写っている陽炎型の写真で第10戦隊の識別線が納得いく形で説明できる。

古い写真集もなかなか侮れないなぁ。


まあ、出沼ひさし2014/07/12 [12時04分02秒]
編制と制度だけが取り柄ですからw

来月も呑みましょう。


返事が遅れてすみません。無限2014/07/11 [08時26分21秒]
先日はどうもです!
沖縄作戦時の第二艦隊の軍隊区分と戦時編制ありがとう
ございました。わざわざ書き込みまでして頂き恐縮です。
やはり地道に調べられているだけあって流石です!
二次や三次資料だけでは分からない事が多いですね。
まあそれらの斜め読みで堂々とアンスクで回答している人も
見受けられますが・・・。
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