おお牧場はみどり!


旧式滑走路探索家 BUN
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 みなさん、こんにちは。長いものを見れば滑走路と思う今日この頃、お近くに使い古しの旧軍滑走路などございましたら、どうかお知らせねがいます。つつしんで駄文と交換させて戴きます。さて、本当なのかホラなのか、書いている本人にも今ひとつ区別の曖昧な最近の真実日記にたびたび出てくる「第二横須賀」とか「第三横須賀」といった名称に困惑を覚える方も多いと思い、帝国海軍の戦時の新設飛行場についてほんの少しだけ触れてみることにしました。


飛行場が沢山ある理由


 戦争中期になり、陸上基地間での航空戦が激化する傾向を見せ始めると、一つの基地の一本の滑走路では運用できる機数が不足する傾向が見られるようになります。更に敵の爆撃で滑走路が破壊された場合、その復旧までの間、味方の航空兵力が全く使用できない状況に陥ります。これではせっかく大量の航空兵力を進出させても役に立ちません。そこで、戦争中期以降、海軍の飛行場建設方針は今までと変わり、単一の飛行場の形態としては、滑走路を中心とした蛸足状の長い誘導路それに沿って設けられる耐爆掩体との組み合わせという特徴を持ち始め、その戦区の航空基地としては、いくつかの前述のような構成の飛行場を3キロから20キロの間隔で複数組み合わせた航空基地群、更にその航空基地群を統合した方面航空基地群という考え方が生まれ、新飛行場の造成が急がれるのです。こうした考え方はいざ決戦という時に、大規模な航空兵力を急速展開して、一度に運用する構想から生まれたもので、この考え方とそれによる航空基地の建設は終戦まで続けられます。

 こうした理由で、飛行機の数が不足していた割に飛行場ばかりが、造った海軍自身も忘れてしまうほど存在することになるのですが、この沢山の飛行場はどのようにして造成されたのでしょうか。よく、「日本軍はモッコと鶴嘴で飛行場を造成していたので、着工から完成まで何ヶ月もかかり、それ引き換え米軍は高度に機械化され云々・・・・」とロクに調べもしないうちから書き始める設営隊が化けて出そうな文章を見かけますが、果たして、そうなのでしょうか。

 機械化装備を殆ど欠いた状態で臨んだガダルカナルの飛行場設営は6月中旬の上陸以来6週間程度で周辺施設をも完成し戦闘機の発着を可能にしていますし、土工用機械の若干の充実をみた18年のハルマヘラ島では上陸後15日で密林を切り拓き滑走路が概成、周辺施設も逐次完成し上陸25日目には零戦の発着が始まっています。高度に機械化された米軍の設営部隊が密林を切り拓き飛行場を完成させるのに2週間前後掛かっているのと比較しても、実に頭の下がる実績と言えます。昭和18年頃の海軍設営隊の飛行場造成能力は平地の密林を切り拓く場合、通常20日程度で概成といったペースが標準と見て良いのではないかと思います。陸軍の場合も条件は異なりますが、同一の設営部隊が2ヶ月に3箇所の飛行場を設営した記録などがあります。こうした記録は「日本軍は飛行場造成期間が非常に長く、それが戦局に大きく影響した」といった表現が正しくないことを語っているのですが、それよりも、むしろ装備から見て米軍と比較にならないとされる陸海軍の設営部隊の優秀さと苦労の大きさをこの数字から読むべきであるように思います。


急速設営「Z工法」


 このような急速な基地設営作戦を支えたのが各種の新工法でした。例えば飛行機を爆撃から守る掩体の築造に応用されたZ工法と呼ばれた一連の簡易工法です。その内容は、
「Z1、Z2工法」
 あらかじめ特定の形態に作成した鉄筋コンクリートブロックを用いた掩体築造法。

「Z3工法」
 土中に大型ゴムの型枠をコンプレッサーで膨らませこれを芯とする鉄網コンクリートを打ち、その後空気を抜いてゴム管を取り出す方法。

「Z5工法」
 土で饅頭型に山を築きこれを芯としてコンクリートを打ち、硬化後土を掘り出してコンクリートの上を覆う土饅頭工法。
 耐爆掩体の築造にも簡易工法が編み出されて実施されたのですが、他にも木造アーチ構造を利用した覆土式掩体急速造成法であるW工法各種などがあり、そして当然、飛行場で一番肝心な滑走路についても、様々な工夫が為されています。
 滑走路は、通常その土質に応じた方法で突き固められて完成しますが、無舗装滑走路でもそのまま使用される訳ではなく、土埃の立たない一部の土質を除き、重油やアスファルトの散布が行われ、土埃対策がとられるのが普通でした。そしてまず、無舗装で短期間に実用に供した後、折りを見て舗装作業を行う、というのが南方前線の滑走路造成の考え方でした。

 そうした中で昭和17年から千葉県の茂原飛行場で行われた急速設営実験では滑走路を「鉄網舗装」「鉄板舗装」「表土コンクリート舗装」「アスファルト舗装」の4種類の急速舗装法で舗装する実験が行われています。この実験は引き続き厚木飛行場でも実施されており、半日で鉄網舗装法を用いて滑走路を設営することに成功しています。この種の実験は他に神ノ池、藤沢、沼津で行われていますが、しかし、鉄板、鉄網共に前線に豊富に供給できる状態には無く、実際に多用されることはありませんでした。

 一般には日本軍の飛行場と言えば、無舗装というイメージを抱きがちですが、こうした舗装実験が何の為に行われたのかと言えば、それは滑走路の高級化の為ではなく、舗装を行うことによって今まで大変な手間をかけて実施していた滑走路の転圧処理を出来る限り省略して工期を短縮する事が目的なのです。これは重要なポイントです。戦時の舗装滑走路は工程短縮の為に存在したのです。新設飛行場の滑走路が比較的高い割合で舗装されているのはこうした理由があるのです。
 こうした簡易舗装の種別について若干触れておきます。
「表土コンクリート」
 舗装厚10センチ 機械で掘り返した表土にそのままセメントを混ぜて急速に硬化させる舗装法。耐久力を増す為に更に上塗りとしてセメントまたはセメントモルタルをかける場合がある。工程短縮目的の舗装法の筆頭、機械化が前提であることも重要。

「三和土舗装」
 石灰と砂を用いた日本の伝統的な三和土を応用した舗装法。機械使用が前提だが人力でつき固める場合もある。

「貧配合コンクリート」
 セメントを節約したコンクリート舗装法。配合比はセメント1:砂2:砂利8。資源節約型の舗装法。

「均しコンクリート舗装」
 舗装厚を3センチから5センチの薄いものとしてセメントを節約し、その分、下地を砕石転圧または割栗転圧としたセメント節約舗装法。
 他にもあるようですが、ざっとこんな種類の簡易舗装法があったということです。

 更に滑走路には規格が存在しており、それは幅100m、長さ1500mでした。開戦当初までは1200mでしたが、重装備の偵察機などが離陸する為には1500mの長さが必要とされたようです。また、誘導路にも規格が存在しています。それは単発機用では幅25m、双発機用では幅35m、それぞれ中央部の15m、20mを転圧してつき固め、舗装は滑走路に準じます。また、なるべく直線を避けて、曲率を半径600m程度とすることも定められています。誘導路がくねくね曲がっているのは規則で定められている為なのです。その曲がりくねった誘導路に設置される掩体の間隔は100mでした。誘導路の傾斜は最大50分の1とされています。

 このように飛行場急速設営の為の様々な工法が開発され応用されてゆくのですが、昭和19年頃には、本土での航空戦も十分に予想されるようになり、飛行場の急速造成が盛んになります。三浦半島の第二横須賀(舗装滑走路1500m)、第三横須賀等、既存の航空基地の近隣に飛行場を増設して航空基地群を構成し、大規模部隊の展開と敵の航空攻撃に対しての耐久力を増す目的で設営される飛行場が増えて行きます。本土決戦準備を目的とした在来の飛行場の急速拡張、秘匿施設、耐弾施設の増備は20年5月15日を目標に行われています。


秘密基地は「牧場」


 更に沖縄が陥落し敵の本土上陸が確実視される20年6月には、敵上陸部隊が上陸するその時に練習機による短距離の特攻作戦を実施することを目的とした簡易飛行場が数多く造られることになります。これらの飛行場の特徴は、上陸のその日まで敵に察知されることなく特攻機を分散待機させて温存でき、滑走路を被爆から守れるよう、敵の写真偵察機に対しての偽装に配慮している点です。これらの簡易飛行場は秘密基地とされ、秘匿名称として「牧場」と呼ばれました。
 こうした性質上、飛行場新設時から特に迷彩に重点を置き、「牧場」内の家屋立ち木等も実際の飛行機進出時まで現位置に留める等の注意が払われていました。
 牧場の規格は以下の通りです。


昭和二十年六月十七日
海軍施設本部「新設秘密航空基地施設要領」

位置の選定
  1. 滑走路急速造成に適する地形地質たること、特に土質及び排水の良好なる箇所たること。(既設道路、焼け跡の適地利用等に着眼すること)
  2. 飛行機の隠蔽に適し且つ其の防備に強靭性ある地形を付近に有すること。(壁多き山、森林その他を近くに有すること)
  3. 隧道掘削に適する地形、地質を付近に有すること。

規模構造
  1. 滑走路 30米×600米 整地転圧のみ(障害物除去幅員各10米以上 整地店圧をなさず)
  2. 誘導路 転圧幅員6米(障害物除去幅員は翼幅に4米を加えたるもの)極力既設道路を利用すること。可及的在来基地との連絡を考慮すること。所要延長の転圧、間に合わざる場合は前後車輪の通路各1米幅(総計幅3米)を要すれば砂利或は栗石を敷き転圧するか又は木材の敷並べを考慮すること。
  3. 飛行機隠匿所 30機分 切り込み式、森林内偽装或は隧道式 極力入り込みたる山裾の利用に努めて機の攻撃を困難ならしむること。偽装隠蔽に格段の方法を講ずること。
  4. 飛行機組立整備場 5棟(5機分) 覆土或は地上式(情況に応じ適宜) 特に偽装隠蔽に留意のこと。夜間作業をなし得る様遮蔽を完全ならしむること。
  5. 指揮所 隧道式
  6. 燃爆格納施設 隧道或は森林内隠蔽 在来基地施設を極力利用することとし、要すれば最小限度を考慮するものとす。
  7. 居住施設 兵力500人分 可及的隧道式によるも、要すれば差当り一部民家の利用を考慮す。
完成期日 7月15日


 これらの基地は通常飛行機30機を場周に偽装して駐機させ、分解状態の機をトンネル又は森林内に100機程度格納することが考えられていました。また、完成期日が7月15日となっていますが、別の資料では西日本は8月15日、東日本は9月末を期日として設営したとの記述もありますので、恐らく作業の遅延による計画変更があったものと考えられます。

 繰り返し重視するよう指示された迷彩、偽装については、一般飛行場よりも徹底して行われ、滑走路そのものに迷彩用の濃淡の模様を施すことも要求されており、色調は周囲の地形や土質に合わせて決定され、季節ごとの対応も考慮されて、そのパターンも住宅地用と農地用等、細かく分類されています。また擬装用の移動家屋等も工夫されています。各施設間を結ぶ通路の形状も工夫され、上空から通路を追うことで施設が発見されるのを防ぐ為に道の取り付け方等を変則的な形状としています。また路肩の排水溝も直線を描かないように意識して曲げられていました。

 滑走路の規模については例外的にこれより短い滑走路もありますが、最初に設営を急いだ西日本の飛行場には規格通りの30m×600mの滑走路が多く見られますが、東日本の飛行場ではそれより規模が大きくなる傾向にあるようです。中には1800mの大滑走路を持つ「牧場」もあり、上記の規格が最低限のものであったことが判ります。

 今回のオマケとして判明している「牧場」のリストを示しますが、施設要領にある通り、どうも、ひとクセもふたクセもある飛行場が混っているようです。そうした変種をまとめてみますと、

1. 巨大型 第二厚木の如く巨大な滑走路を持つ威風堂々の秘密基地。(隠匿不可能)
2. 企業型 航空機会社の疎開工場の隣接飛行場。(秘密基地なのか)
3. 応用型 既存工廠等の敷地を利用したもの。練兵場等の利用。(実に簡易)
4. 基地内型 既存基地内に何故か「牧場」があるというもの。(不思議である)
5. 基地外型 既存基地に隣接接続して存在する「牧場」。(紙一重で天才的発想)

 といったものが見られます。

 巨大型とここで呼んでいる第二厚木のような1800m級滑走路を持つものは、恐らく他の用途が考えられていた基地であるに違いないのですが、今の所それは不明です。連山などが関係してくるのでしょうか。
 企業型としたものは三菱、中島他の航空機製造会社が疎開工場を建設した際、完成機の試験飛行、空輸に使用する目的を中心に建設されたものだと考えて良いでしょう。この二者は秘密基地「牧場」というより、少々別のものという趣があります。確かに疎開工場は覆土式木造アーチ構造のW工法を応用した秘密工場であり、その隣接飛行場が秘密飛行場であるのは当然ではありますが。
 次の応用型と名付けたタイプは「牧場」の本来の使い方をされるものだったようですが、施設要領にもある通り「牧場」はあらゆる適地を利用して設営されたということだと思います。

 次の基地内型は敷地内に秘匿滑走路を設営したということなのだと考えられますが、現地の様子などがわからず、その実体が明らかではありません。
 基地外型として既存の基地に隣接した「牧場」は牧場の施設要領にある通り、既存基地の支援設備を出来る限り利用する方針としては納得できるものです。拡張秘匿滑走路という意味合いでの「牧場」なのでしょう。

 また、中にはただの道路ではないかと思われるものや鉄道敷地のような趣のものもあり、調べれば調べる程に奥が深いのですが、今回は中間報告ということでまとめてみました。なお、今回テキストとして、「佐用泰司 森茂 共著『基地設営戦の全貌』鹿島建設技術研究所出版部」を大いに参考にしております。付録の秘密基地一覧は各種一次資料からの集成であり、極めて不完全ながら記載された基地数では最大のリスト(笑)かもしれません。どうもまだまだ増えるような気がします。


秘密航空基地 「牧場」 一覧表


牧場 滑走路 所在地 完成 備考
四壇原 50×1200
更に延長
宮城県栗原郡藤里村 8月末概成 8月4日中止
馬場平 60×800 福島県安達郡大山村 概成  
御代田 60×800 福島県田村郡森山町 7月末概成  
淺川 70×500
30×600
水郡線(磐城淺川) 概成  
海老が島 60×800 茨城県真壁郡大村 7月末概成  
大畑(藤沢) 60×800 茨城県新治郡藤沢村 概成  
葛城 60×800 茨城県筑波郡葛城村 概成  
岡部 60×800 茨城県稲敷郡岡田村 8月末概成  
根形(第二木更津) 50×600 千葉県君津郡根形村 8月末概成 日立社
大山(第二厚木) 100×1800 神奈川県高座郡綾瀬村 8月末概成 厚木東方3km
岩村田 50×600 長野県南佐久郡岩村田町 8月末概成  
吉岡(第二大井) 60×900 静岡県大井郡和田岡町 概成  
馬頭 50×600 愛知県額田郡美今村 概成  
岩津 不明 愛知県額田郡岩津村 7月末概成 中島社
高野尾(第二鈴鹿) 60×800 三重県河芸郡高野村 7月末概成  
神立 30×600 茨城県新治郡石田村 既存土浦空滑走路  
竹形 60×800 山形県最上郡八向村 7月末概成  
玉野原 60×800 山形県北村山郡玉野原村 7月末概成  
米沢 60×800 山形県四村山郡重松村 7月末概成  
漆山 300×1000 山形県東村山郡出羽村 既設 日立社
升形 30×600 山形県   神町の北西40km
伊達原   新潟県 8月末概成 郡山の西南西145km
笹岡   新潟県 未着工 郡山の北西110km
楽才   新潟県 未着工 郡山の西140km
田鶴 50×700
1200に延長
石川県鹿島郡相馬村 7月末概成 中島社
粟津   石川県 8月末概成  
愛宕(福井) 50×700 福島県丹生郡高野村 7月末概成 愛知社
滋賀 60×1000 滋賀県滋賀郡下坂本村 7月末概成 滋賀空内
彦根 30×600 滋賀県大山郡久徳村 30×600 7月末
60×1200 8月末
三菱社
柏木   滋賀県 未着工 滋賀の東南東27km
綾部 30×600 京都府河滝郡以久田村 概成  
大篠津 30×600 鳥取県西清郡大篠津村 概成  
直江 30×600 島根県藪川郡直江村 概成  
市場(第二徳島) 100×1200 徳島県阿波郡市場村 概成 川西社
第二大和 不明 不明 不明  
国安(可部) 60×1200 広島県高田郡根野村 8月末概成  
下ケ原 30×600 広島県佐伯郡坂上村 8月末概成  
城山(岩国) 30×600 山口県玖珂郡藤沢村 8月末概成  
小鯖 30×600 山口県吉敷郡小鯖村 8月末概成  
赤郷 30×600 山口県美弥郡赤郷村 8月末概成  
田野 30×600 愛媛県周楽郡田野村 8月末概成  
竹之下 30×600 愛媛県温泉郡拝志村 8月末概成  
上村島 30×600 愛媛県嘉多郡菅田村 8月末概成  
仁井田(第二高知) 100×1200 高知県香美郡仁井田村 8月末概成  
窪川(第三高知) 60×1200 高知県高岡郡窪川村 8月末概成  
犀川 30×600 福岡県京都郡犀川村 8月末概成  
中津 30×600 大分県下毛郡鶴居村 8月末概成  
草地 30×600 大分県東国東郡草地村 8月末概成  
臼杵 30×600 大分県北海部郡臼杵村 8月末概成  
戸次 80×1500 大分県大分郡戸次村 8月末概成  
第二岩国 50×520 山口県玖珂郡麻里村 北方飛行場に接続す  
直方 30×600 福岡県遠賀郡願野村 応急滑走路7/15完成 博多の東40km
多々良 28×1000 福岡県筑紫郡春日村 概成 博多の南南西8km
春日原 30×600 福岡県   博多の南南東20km
小城 30×600 佐賀県小城郡小城町 概成  
相ノ浦 30×600 長崎県北松浦郡相浦村 概成 海兵団練兵場
川棚 30×600 長崎県彼杵郡川棚町 概成 工廠内敷地
島原 30×600 長崎県 概成  
雲仙 30×390
50×500
長崎県南高来郡小浜町 概成  
竹村(新大村) 50×1350 長崎県東彼杵郡竹松町 50×950 概成  
牧ノ原 60×900 鹿児島県始良郡敷根村 概成  
永尾(岩川街道) 不明 鹿児島県肝属郡笠野原村 概成  



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