好きです!サッポロ…飛行場


内地出身滑走路探索家 BUN
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北海道の陸軍飛行場


 日本の旧軍飛行場と言えば、南方の各航空基地と、九州の特攻基地、関東の防空基地を思い起こすことはあっても、北海道以北の飛行場を思い出すことはありません。実際に展開した部隊が少なく、戦闘もほとんど発生しなかった上に、B29も遠くて飛んで行けなかった北辺の地に果たしてまともな飛行場など、あったのでしょうか。
 実はあります。山ほどあるのです。北東方面の飛行場は、本当は飛行場銀座の九州方面に劣らぬ位の密度で存在します。樺太から千島列島、道東地区を中心に一大航空要塞の建設が進められていたのです。北の大地を舐めてはいけません。


昭和十八年度帝国陸軍航空作戦指導計画大綱


 陸軍参謀本部第一部は対ソ連戦に向けて北東方面の防衛強化の為、昭和十八年度より飛行場の大幅な増設計画を立案します。北海道から千島、樺太にかけてはもともと数ヶ所の飛行場が存在していましたが、この十八年度の航空作戦指導計画大綱では新設飛行場と既存飛行場の陸海軍の共用等について具体的に定める方向にあります。陸海軍の航空兵力の柔軟な展開を企図したもので、かなり実戦的な内容であると言えます。
 しかもこの計画は次年度には更にエスカレートし、十九年度の飛行場新設計画は更に大規模なもとなります。昭和十八年、十九年という時期に、対ソ航空戦準備がこのような急ピッチで進められていたことは少し意外な印象です。陸軍関係のみで30ヶ所以上の飛行場が整備される予定であり、大型の飛行場では60機以上、小型の飛行場でも30機から40機の運用能力(爆撃に備えて飛行機を分散格納できる掩体が用意されているということ。ラバウル並の設備)を持っていますから、最低でも1200機から1500機の航空兵力を展開できることになり、陸軍航空隊の第一線兵力のほぼ全力が北海道以北に布陣することが可能な規模の一大航空基地群の建設が計画されていたということになります。今も昔も空の守りは北海道が中心なのです。くれぐれも北海道を馬鹿にしてはいけません。


陸軍飛行場の造成方法


ここで、前回、海軍飛行場の造成について報告したように、陸軍の飛行場造成方法について報告しておきます。 滑走路の舗装方法が実に多彩なのは海軍飛行場の時に既に述べましたが、どうも、滑走路の急速舗装については陸軍の方がより本格的にとりくんでいたのではないかとの印象を受けています。既に海軍で取り上げた舗装の種類についても、陸軍でも次のような舗装法が採用されていました。
二和土(生石灰、セメント、粘土)

三和土(生石灰、粘土、砂利)

マカダム(粘土)

水締マカダム(マカダムに山土を表層に転圧)

セメントマカダム

アスファルトマカダム

木造工法(文字通り木製の滑走路。基本形は百メートル四方の正方形部分に幅60メートル、長さ900メートルの滑走路部分を取り付けたもので、表面は迷彩の為、アスファルトを塗布するか、塗装を施した。)
 また、滑走路の規模も海軍同様定められており、小型機用では1300×60、大型機用では1400〜2000×200と定められています。
 気になる飛行場設定期間(陸軍は飛行場建設に「設定」という用語を使用します。海軍は「設営」です。)ですが、幸いにも陸軍が実際に南方で実施した飛行場設定のデータが残されており、当時の陸軍の飛行場設定能力がある程度把握できます。ただ、残念なことに具体的な飛行場名は伏せられていますが、詳しく調べればある程度の範囲で特定できるものだと思われます。

飛行場「甲」
対泥濘施設
1. コンクリート舗装 約85900平方メートル
2. 三和土舗装 約7500平方メートル
3. 煉瓦舗装 約50000平方メートル
所要日数 83日
兵力4130(延べ人数)



飛行場「乙」
対泥濘施設
1. 三和土舗装 約68000平方メートル
2. 煉瓦舗装 約53000平方メートル
所要日数 28日
兵力156(延べ人数) 施工は商人に請負わしめ実施せず



飛行場「丙」
対泥濘施設
1. コンクリート舗装 約80000平方メートル
所要日数 36日
下層煉瓦一枚敷、上層コンクリート、基礎作業は実施せず



飛行場「丁」
対泥濘施設
1. コンクリート舗装 約631300平方メートル
所要日数 28日
下層煉瓦一枚敷、上層コンクリート、基礎作業は実施せず
 このように陸軍の飛行場設定能力はかなり優れたものであり、舗装滑走路を備えた飛行場を約一ヶ月で造成していたことが判ります。また、陸軍においても、舗装は滑走路自体の高級化を目指す以外に設定期間を短縮する急速工法としても利用されていたことが飛行場「丙」「丁」の例からも推測できます。
 陸軍飛行場設定隊の活躍も相当なものです。米軍のシービーズだって南方の島嶼にコンクリート舗装の滑走路を造成するには一汗も二汗もかいたことでしょう。そして、こうした工法は北海道の飛行場設定にも応用されているのです。気象条件の厳しい北の飛行場は舗装滑走路が基本でした。


北東方面の飛行場


 さて、話は戻って北海道以北の飛行場についてですが、まず、昭和十八年度、十九年度の飛行場計画をまとめます。


幌筵島 柏原
択捉島 幌筵、択捉含めて新設3〜4飛行場
得撫島
樺太  気屯 内路 名寄 落合 小能登呂 豊原 幌内川流域に2〜3飛行場、大泊、落合間の地区に2〜3飛行場

北海道
計根別 第一〜第四飛行場
帯広 稚内 札幌
西春別 上春別付近に2飛行場
更別 上更別付近に2飛行場
北見海岸(渚滑浜頓別間)に1飛行場
石狩川下流地区に1飛行場
天塩地区に1飛行場

 こうした整備計画が存在したのですが、その中で十八年の五月現在の状況が判明しているものについては以下の通りです。


柏原(幌筵島)
各種飛行機の使用に支障なし 舗装なし
整備要領 板敷滑走路(前章を参照!)を設定1000×50(七月完了予定)掩体60

得撫
予定地 整地転圧完了

落合
舗装路(要修理)各種飛行機支障なし 掩体60

内路
戦闘機の使用に応じ得 掩体60

気屯
不時着場 直協機使用可能 拡張す

豊原(大沢)
民間飛行場 拡張

初間
予定地 新たに設定す 掩体30

小能登呂
設定着手 掩体30

名寄
予定地

塔路
掩体30

帯広
重爆の使用可能 舗装不良 舗装改修す 掩体30

計根別
設定中 舗装す 掩体30

札幌(新札幌飛行場)
設定中 九七戦使用可能 掩体25

浅茅野
予定地 新たに設定整備す 掩体30

苫小牧
九七戦一個中隊使用可能 海軍との関係許せば新設す

八雲
予定地

函館
候補地 状況許せば民間の献納を受け設定す

 このような飛行場建設計画があった訳ですが、終戦までに果たしてどれだけの数が完成し、実際に飛行機が発着したのかは詳しくは判明していません。しかも、今回ほんの僅かな範囲で聞き取り調査をしただけでも、防衛庁にも残されていない飛行場の情報を拾うことができました。これについては現在、北海道一面の雪景色ですので、戦時中の滑走路跡の確認など望むべくもありませんので、春になり、雪が消えてから改めて北海道に渡り、現地調査をしたく思います。何しろ海軍の「牧場」のある分類に相当するような飛行場が陸軍管轄の飛行場の中にも存在したようなのです。今のところ口頭での証言があるのみですが、まあ、とにかく春まで待つことにしましょう。
 次に存在または計画が判明している北海道内の陸軍飛行場と陸軍が共用する海軍飛行場のリストを掲示しておきます。


飛行場名 所在地 施設 気象(参考資料中の文言) 交通(当時の交通状況) 其の他
苫小牧飛行場 沸払郡苫小牧町 1100×200舗装
1000×200舗装
冬季は降雪量少なく
雪踏みすることにより使用可能
苫小牧駅より東南東2km 東部に工業学校、日高線、西部に
国民学校在り拡張不能
沼ノ端飛行場 沸払郡苫小牧町沼端 1500(一号滑走路)舗装
1500(二号)舗装
1200(三号)舗装
冬季は積雪平均6センチなり 室蘭本線沼端駅南方350m 各機種発着可能なり
掩体約20
敷生飛行場 白老村 1200×150 冬季においても積雪最大5cm
にして使用に支障なし
室蘭本線萩野より約3km西方
付近に国道を通し自動車の
運行自在なり
臨時兵舎、掩体12個完成しあり
八雲飛行場 八雲村砂蘭部 1200×100舗装 積雪平均二月において1m内外
霧の発生少きも6月頃発生を見る
函館本線八雲駅より約2km半
西南西、自動車道路あり
飛行場南方及び西方に高き山岳
計根別飛行場
(計根別第一)
標津村計根別川上 1000×100
1300×300 第二次工事滑走路
積雪比較的少なく1月においても
約80cm程度なり
道路は計根別駅より約4km
にして自動車道路を有するも
良好ならず
転圧滑走路方向前後に樹林あり
計根別第二 第一の南 不明      
計根別第三 第二の南 1200×80
(金網舗装)
     
計根別第四 第二、第三の西 1600×60舗装
1200×60
(板敷滑走路)
     
浅茅野飛行場 (浅茅野第一) 宗谷郡猿払村字浅茅野 1400×100舗装
1200×60(板敷滑走路)
冬季は積雪約1mにして使用不能 浅茅野駅より南方約4km 浅茅部落は個数約30個にして
国民学校、憲兵派出所あり
浅茅野第二 詳細不明        
帯広飛行場 河西郡河西村 1200×100舗装
1200×100舗装 1050×100(補助)
解氷期の使用は舗装滑走路以外
使用不能なり
帯広駅の南方 帯広市よりアスファルト道路ありて
自動車運行自在なり
帯広第二 詳細不明        
音更飛行場 帯広市 600×200 最深積雪1m 五、六月において
高度150m内外の旋風襲来あり
帯広市より西北約3km 啓北国民学校隣接
旭川飛行場 旭川市 1000×200舗装
500×100
降雪は二、三月において最も多く
積雪1m内外にして気温最低
零下30度内外なり
旭川駅北方3km  
札幌新飛行場
(札幌第一)
現在の丘珠飛行場 1200×100舗装     掩体25完成
札幌第二 第一の南        
札幌旧飛行場 札幌市北24条西5 900×100     民間飛行場 泥炭地未舗装
根室 詳細不明        
室蘭 詳細不明        
天塩付近 詳細不明        
釧路第一 現在の釧路空港        
釧路第二 詳細不明        
千歳第一 空自千歳基地 海軍主用陸軍副用      
千歳第二 詳細不明 海軍主用陸軍副用      
千歳第三 詳細不明 海軍主用陸軍副用      
千歳第四 詳細不明 海軍主用陸軍副用      
千歳第五 詳細不明 海軍主用陸軍副用      
美幌第一   海軍主用陸軍副用      
美幌第二   海軍主用陸軍副用      
美幌第三 詳細不明 海軍主用陸軍副用      
美幌第四 詳細不明 海軍主用陸軍副用      
美幌第五 詳細不明 海軍主用陸軍副用      
根室付近(海軍) 詳細不明 海軍主用陸軍副用      
函館 詳細不明 海軍主用陸軍副用      
伊達紋別 詳細不明 海軍主用陸軍副用      
天塩付近 詳細不明 海軍主用陸軍副用      
斜里 詳細不明 海軍主用陸軍副用      
雄武 詳細不明 海軍主用陸軍副用      
紋別 詳細不明 海軍主用陸軍副用      


現地探訪「札幌旧飛行場」


 札幌市内、それも札幌駅のすぐ北、北大の北の端あたりに飛行場があったという話をしても、今の札幌市民には「そんなものある訳ない」と一蹴されてしまいますが、飛行場リストにあるように札幌新飛行場すなわち今の丘珠飛行場が昭和十九年に完成する以前に、既に札幌飛行場は存在していました。

 まず、陸軍の資料を頼りに札幌市北区北24条西5丁目を目指して地下鉄に乗ります。地下鉄の北24条駅はちょうど5丁目付近に出口があり、すぐに北24条西5丁目の交差点に出ることが出来ます。しかし、この通り、ここは既にかなり開けており、市街地に変貌している為、陸軍の文書にあるような泥炭地に雑草が生い茂った原野ではなく、いったい何処に飛行場があったのか、地形的にも一切の痕跡がありません。

 この方角に飛行場があったのはほぼ確実なのですが、このようにビルが立ち並ぶのみで「昔は石ばっかりの土地だった」と言われたところで当時を偲ぶものも無く、ただいたずらに腹が減るのみでしたので、ラーメン屋に入り「とんこつラーメン」を食することとなりました。能書きが派手なのは北の都の特徴ですので割り引いて考えて入りましたが、味はそこそこに良く、年末年始の暴飲暴食で弱った体に優しい「あっさり味」のラーメンでした。ただ残念なことにカニやイクラを乗せたバージョンが無いのが玉にキズでした。「あんなモン、味のわからん内地からの観光客しか食べないベサ(ベサとは英軍戦車等に装備される機銃の名称か)」と言われますが、まさに私は「内地からの観光客」ですので必ず注文しているのです。

 さて、気を取り直して付近を探索し始めてしばらく歩き、北24条西8丁目に差し掛かると、何といきなり飛行場正門に行き当たってしまいました。
 札幌飛行場は既に無く、正門も民家(陶芸教室)の庭先に記念碑(「風雪碑」)と共に保存されているのみで、その背景も札幌医薬専門学校の運動場の雪景色が僅かに昔を偲ぶのみです。

 札幌飛行場はリストにもあるように元は民間の飛行場で、大正十五年に北海タイムズ社が報道用の為に北24条以北を滑走路に使用した(当時、24条以北と札幌市内の各所は全く人気の無い草原だったので飛行場が即日開店しても問題が無かった)のが始まりで、昭和八年に逓信省がこれを拡張し道内唯一の東京への定期航空路を持つ飛行場となっています。

 また、今井百貨店屋上に札幌飛行場進入機の為の航空灯台が設置されていたといいますが、多分現在の「丸井今井百貨店」(札幌地元の老舗デパート。横須賀のサイカ屋に匹敵する規模を持つ)のことだと思われるものの、正月の為、未調査です。丸井今井百貨店の屋上遊園は実は屋上ではなく、屋根があり「上に何かあった」(!!)との証言も得ていますが、まあ、これも次回調査時の楽しみとして取って置く事にしましょう。



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