KANON in the AIR
Act.1 第一次世界大戦〜大戦間期



ウチュー人 ささき
crazy17@lanset.com





はじめに


さチキューの諸君ご機嫌よう、地球兵器研究家のささきである。今回は我々が地球侵略のためリサーチした航空兵装の進化について極秘に紹介しようと思う。

彩ウチュー人にこき使われているアシスタントの彩華です。不本意ながら機関銃のデータ解説を担当させて頂きます。

さ何だ彩華、そのぶしつけな態度は。しょっぱなから不機嫌そうだな。

彩だってぇ、私ふつうの女の子なのにぃ。何でキカンジュウの話なんかしなきゃいけないんですか、ぶつぶつ。

さまぁそうブツクサ言うな。お前だけでは頼りないから助っ人を頼んでおいたぞ。

恵はーい!しろさいパパの所から派遣されました恵理子ですー!ふつつか者ですが、よろしくお願いしまーす!

彩ささきさん…見損ないましたよ。一体どんな口八丁使ってたぶらかしたんですか。

さたぶらかす!?人聞きの悪いこと言うもんじゃない、恵理子さんは機銃特集のため進んで参加なさったのだ。しろさいさんも快く承諾してくださったぞ。

恵はい!しろさいパパの為にも、ささきさんの為にもがんばりまーす!

彩(あぁ…またウチューの毒牙にかかった犠牲者が一人…)

ささて、本編に入る前に基本的なことを確認しておくぞ。

彩本文中では原則としてメートル法を使います。また弾薬の表記 13x56R といった表記は口径×薬莢長+薬莢底部形状を意味します。

弾の解説1 弾の解説3 弾の解説2

恵詳しくはささきさんの Aviation☆Planet 「航空機銃研究所」を参照してくださーい。ショートリコイル・API ブローバックなどメカニズムの解説や用語集もありまーす!

彩あと、当たり前ですが文章および画像の著作権はすべて「ささき」に所属しますので無断転載は避けてください。画像の無料使用を拒むものではないので、メールで使用目的などを連絡して許可を貰ってくださいね。

さ兵器研究には色々な見方があるが、本編では主に数値的データからその裏にある設計・運用思想を考察するというスタンスを取る。かなり主観的だが「こういう見方もある」という風にとらえて欲しい。

彩つまりイイカゲンなんですね。

さそれと、付属の図面はあくまで「こんな形でこのくらいの大きさ」を示したもので間違っても寸取りなんかに使ってはいけない。あと引用した数値も一次資料によるものではないので参考程度にして欲しい。

彩つまりテキトーなんですね。

さ仕方ないだろ、機銃の純正マニュアル全機種なんか揃えてられるか。

彩つまり投げやりなんですね。

さ…失礼な奴だな、メイドの分際で。

彩だってホントのことじゃないですか。ねっ、恵理子さん?

恵ねーっ!


第一次世界大戦編


幼い日の自分

さまず、そもそもの発端を見てみよう。地球で飛行機と機関銃が開発されたのはいつの話だ?

彩世界最初の飛行機、ライト兄弟の初飛行が 1903 年 12 月 17 日です。世界最初の機関銃…これはどう定義するかによりますが、外部動力に依らない自己駆動式の連発自動火器であるマキシム(Maxim)の完成は 1888 年頃とされていますね。

さ第一次大戦には数多くの新兵器が投入されたが、多くは大戦以前に発明されていたテクノロジーを洗練発展させたものだったりする。第一次大戦勃発は 1914 年 7 月だが、人類はまるでその日に備えるかのように新兵器をあくせくと発明していた訳だな。

彩嫌味なウチュー人って大キライ。

恵しかし、最初に機関銃を搭載した飛行機は何だったのでしょう?

さ1912 年 6 月 2 日、アメリカでライト B 型機にルイス機銃を積んで発射したのが世界最初の空中機銃発射実験だったとされている。最初に機銃を標準装備として積んだのは 1914 年のヴィッカース FB.5「ガンバス(Gun Bus)」だと思うが、機能的にも性能的にも「戦闘機」には程遠いものだった。

彩そもそも飛行機は観測気球の代わりに導入された偵察観測の道具で、エンジンも低馬力で重武装に耐えられなかったんですよね。第一次大戦も最初の頃は敵味方のパイロットが手を振り合って挨拶する長閑な光景が見られたって話です。

恵撃ち合う必要なんて無かったわけなんですねー。

さしかし、自軍上空に貼りついて着弾報告を送っている飛行機を野放しにはできん。飛行機乗り達はレンガを投げ付け、腰のピストルを抜いて射ち、ライフルや散弾銃を持ち込んで撃ち合うようになった。それがエスカレートして機関銃が持ち出されるのは時間の問題だったのだな。

恵この頃の飛行機は二人乗りで、偵察員が機銃手を兼ねるのが普通だったんですね。

彩でも前方にはプロペラがあって撃てないし、空中戦といっても今とはだいぶ様相の異なる奇妙なものだったんでしょうね。

さ旋回機銃の弾道は自機の速度と標的との相対角に応じたカーブを描くのだ。なにせ曳光弾もまだ実用化されていない頃のこと、タマをばら撒いても当たっているのかどうかぜんぜんわからんというのが実態だったのではないかな。飛行機の主要な任務は相変わらず偵察と観測であり、空中戦は余興に過ぎなかったのだ。

彩真っ直ぐ前方に固定して撃てば相対角のファクターは消すことができますが、まだ機銃を前方に固定装備した「戦闘機」は出現していなかったんですね。

さその事に最初に気づいたのがフランス人だ。彼等は 1914 年に「モラン・ソルニエN(Morane-Saulnier N)」複座偵察機を投入したが、これはプロペラ回転圏内からホチキス(Hotchkiss) M1909 機銃を発射するようになっていた。

寸詰まり
Morane-Saulnier N

彩同調機銃…ではなかったんですね。プロペラの裏側に防弾板を貼り、跳ね返った弾が戻って来ないようパイロットの前方に防弾ガラスを据え付けていたそうです。

恵ひえぇ〜(汗;)

さこの頃のフランス人は勇敢だな。もっとも、MS-N は操縦性が悪くパイロットに不評で少数生産に終わった機体だったのだが、墜落した機体がドイツ側の手に落ちたことで彼等に同調機銃のアイデアを提供した意味は大きい。ドイツ人はマキシム機銃をベースにプロペラ同調装置を取り付け、単葉単座のフォッカー E.I(Fokker Eindecker) に搭載した。

彩それが 1915 年冬のことだとされています。史上初の本格的「戦闘機」の誕生ですね。

イイカゲン
Fokker E.I

さフォッカーはのんびりと飛ぶ連合軍機を次々に襲っては撃墜し「フォッカーの災厄(Fokker Scourge)」と呼ばれて恐れられた。慌てた連合軍側では同調装置の実用化に全力を挙げると同時に、既存のテクノロジーで何とかフォッカーに対抗できる機体を開発することにした。こうしてプッシャー(推進式)戦闘機が登場する。

恵要するに前方にあるプロペラが邪魔なんだから、エンジンを後ろに持ってゆけば良いってわけですねー。

彩逆の発想で銃手をプロペラの前に持って行った SPAD A とか BE.9 なんて例もありますが、これはいくらなんでもアイデア倒れですね。

殺人銃座
SPAD A.2

さ特にイギリスは熱心で、1915〜1916 年にかけて複座の FE.2 や 単座の DH.2 といった機体を投入する。戦闘機の始祖鳥的存在 FB.5 もプッシャーだったが、これらの新世代プッシャーは単葉のフォッカーより高速で運動性に優れていた。なかでも DH.2 はなかなか優れた機体で、一時期はフォッカーを圧倒して制空権奪還に成功した。

手抜き
De Haviland D.H.2

恵そういえば、「制空権」という概念が生まれたのもこの頃の話なんですねー。

彩航空機がなければ正確な戦況偵察や着弾観測が望めず、陸戦の勝敗を左右することになります。空を制する者が戦いを制することが敵味方ともに認識されたんですね。

さ制空権獲得のためドイツでは強力な BMW 水冷エンジンと二連装同調機銃を装備した新鋭機アルバトロス D シリーズを投入してプッシャーを蹴散らし、連合軍はソッピース・キャメルや SPAD VII といった高性能機を投入して対抗。この後、戦闘機の性能は 1919 年の終戦まで鎬を削りながらエスカレートしてゆく事になる。こうして、戦闘機は軍用機のカテゴリーとして明確な地位を確立した訳だ。


Get a hit smash

ささて機銃に関しては、実は第一次大戦期間を通じてほとんど何も変わっていない。固定機銃はマキシム系が敵味方に分かれて使用され、旋回銃は陸戦用軽機に手を加えた程度のものが使用されていた。

彩マキシムはイギリスでヴィッカース(Vickers) Mk.I として 1912 年、ドイツでは MG08 として 1908 年に採用されています。航空用 MG08/15 は 1915 年に軽量化されたタイプが原型になっており、生産工場のあった地名にちなんで「シュパンダウ(Spandau)」と呼ばれることも多いようです。

さ初期のマキシム機銃には航空用として不適な点があった。銃身が水冷式なのと、弾薬補給が布ベルトに拠るものだ。前者はもちろん大幅な重量増加になるし、後者は撃ち終えた布が気流に煽られてひどく邪魔になる。

彩これを解決したのはドイツ人ですね。航空用の MG08/15 は銃身を空冷に変更しており、のちに分離式の「メタル・リンク」で弾薬を連結してベルトを形成しています。

弾薬ベルト
分離式メタルリンク

恵同調装置の発明といい、ドイツ人の研究熱心は大したものですねー。

さまぁ、それが必ずしもプラスに働くとは限らないのが彼等の悲しい性だがな。空冷銃身もメタルリンクも同調装置もすぐに連合軍側にコピーされ、彼等の戦力を大幅に強化する結果になってしまったのだから。

彩しかし同調装置はドイツ人が発明した訳ではなく、原理は戦前から知られていたようですね。ただ複雑で精密なメカのため戦場における有効性が疑問視され、またヴィッカースを空中用として不適とした為ルイスを同調させようと試行錯誤していたのが連合側の失敗だったようです。

恵へえぇ…そうだったんですかー。

彩それに、同調機銃が全ての戦闘機の武装を置き換えたわけではないですね。ドラムやマガジン給弾の旋回機銃も固定して補助武装的に使われています。

さ代表的なのはルイス(Lewis)機銃だな、これはフランス・イギリスはもとよりドイツ人も好んで捕獲品を装備したと言われている。ドイツのパラベラム(Parabellum) LMG14 旋回銃もマキシム系だったが、重くかさばるうえ動作不良が多くて不評だったらしい。右側固定のベルト給弾のため連装化が難しい事も問題だったようだ。

恵パラベラム機銃って口径 9mm ですか?!

さ弾は MG08/15 と同じ 7.92x57 ライフル弾だ。「パラベラム」とは MG14 を製造した DWM(Deutsche Waffenfabriken und Munitions) 工廠の通称で、この工場で作られたルガー自動拳銃が「パラベラム」の商品名で呼ばれていた。そこから「9mm パラベラム弾」の通称が生まれたというだけで、MG14 と 9mm 弾の間に直接の関係は何もない。

彩「ルガー(Luger)」は通称で、正式な商品名は「ピストル・パラベラム」だったんですよね。

さもっとも、本当に 9mm 拳銃弾を使った航空機銃という変わり種は実在したぞ。イタリアのヴィラー・ペロサ(Villar Perosa) M1915、もともと山岳歩兵用の火器だったが軽量さと高発射速度を買われて飛行機に搭載されたものだ。

彩制式名は「Pistora Mitragliera RIV Modello 1915」だそうです。遅延ブローバックの反動利用式、重量 6.5Kg、9x19 グリセンティ(Glisenti)弾使用、発射速度 1200 発/分。25 発入りバナナ型弾倉が 1.25 秒でカラになっちゃいます。

さこれは連装で使われることが多かったが、いくら高発射速度でも初速 400m/s の拳銃弾ではしょせん気休めにしかならなかったろう。…それにしてもだいぶ話がルイスから脱線したな。

恵あぁ、ごめんなさい〜。

ささてルイス機銃はガス圧作動、機関部の下にゼンマイ式のスプリングが格納されているユニークな機構を持つ。特徴的な皿型弾倉には弾頭を中央向けにした放射状に弾が格納され、射撃に合わせて弾倉自体が回転しながら給弾を行う。弾倉には薄型の 47 発タイプ(主に陸戦用)と厚型の 97 発タイプがあった。

彩発明者アイザック・N・ルイス(Issac Newton Lewis) は米陸軍の大佐でしたが、皮肉にもルイス機銃はアメリカでは受け入れられず、1912 年からベルギーで生産されていました。のちにイギリス・アメリカでもライセンス生産を行っています。

恵でも、同調できない機銃をどうやって固定装備したんでしょう。当時の複葉機で主翼装備ってできたのかしら?

さある意味できた。「複葉」である事がポイントだ。頭の上にでっかい支柱がそそり立っているのだから、その上に機銃を載せてしまえばプロペラはクリアできる。

下手くそ
Foster gun mount

恵変わった形のレールが付いてますねー。

さこれにも色々なタイプのものがあったが、代表的なのがこのフォスター銃架(Foster mount)だ。こんな仕掛けを用意するのは一つには弾倉交換のため、もう一つは故障や弾詰まりに対処するためだ。

恵当時の機関銃はよく故障したんですねー。

さマキシム機銃にはパイロットの手の届く範囲に再装填レバーが付いていたが、それでも駄目な場合はコクピットに常備してあるハンマーでガンガンぶっ叩いたそうだ。本人達はまさに命懸けだが、傍から無責任に見ると微笑ましいとも言える情景だよな。

彩機銃故障の多くは不完全なベルト構成や薬莢・弾頭の歪みに由来するものだったようですね。当時のパイロットは弾薬ベルトを作る前に一発一発自分で弾を確認するのが習わしだったそうです。

恵アニメ映画「紅の豚」にもそういう描写が出てきますね。

さあの映画に資料性を見出したら某カントクに怒られそうだけどな(笑)。

第一次大戦 主要航空機銃
国籍名称重量使用弾薬弾頭重量初速発射速度作動機構備考
イギリスVickers Mk.I* 11Kg 7.7x56R11.2g745m/s 800rpm S-recoil
イギリスLewis Mk.III 7.7Kg7.7x56R11.2g745m/s 750rpm Gas
ドイツ Spandau MG08/15 15Kg 7.92x5711.5g890m/s 800rpm S-recoil
ドイツ Parabellum LMG14 10Kg 7.92x5711.5g890m/s 700rpm S-recoil
フランスHotchkiss M1909 12.3Kg8x50R 12.8g725m/s 600rpm GasStrip 25rnds
イタリアRevelli M191417Kg6.5x52 10.1g 741m/s450rpm BlowbackBox 50rnds
イタリアVillar Perosa M19156.5Kg9x19 8g 400m/s1200rpm BlowbackSMG

第一次大戦 主要航空機銃


さなお、イタリアもフランスもヴィッカースとルイスを輸入し主力に据え代えたので、6.5mm レベリや 8mm ホチキスは長く使われていない。あえて細かい説明や図は省略した。

彩ささきさん…手を抜きましたね。

さそんなモンまで描いてたら何時まで経っても終わらん。この後第二次大戦編や戦後編まであるんだぞ。


朝には消えたあの歌声

ささて、第一次大戦を戦った航空機は飛行機だけではない。飛行時間が制約されない気球は弾着観測にまだ大きな役割を占めていたし、航続距離の長い飛行船は戦略兵器として都市爆撃を敢行している。

彩特にドイツの飛行船「ツェッペリン(Zeppelin)」は勇名を馳せましたね。悪名を馳せた、と言ったほうが適切かしら。

さ実際の被害は大したこと無かったのだが、こういう兵器は心理効果も大きいからな。ツェッペリンによる高々度…と言っても当時は 3000m くらいだったが…の夜間空襲にイギリス防空隊は手も足も出ず、市民から喧々囂々の非難を浴びる結果となった。

彩最大の要因は誘導迎撃システムの不備だったようです。

恵レーダーはもちろん機上無線もないのに、燈火管制の敷かれた真っ暗な夜空に飛び上がって何処に居るのかわからない飛行船を探せなんて無茶ですよねぇ。

さたとえ運良く接敵しても、有効な攻撃方法がよくわかっていなかった。ただでさえ空中での距離判定は難しいのに、夜空に浮かぶ巨大な飛行船相手に正確な測距など望むべくも無かった。パイロットは遠距離から 7.7mm 弾をばら撒き、当たったかどうかもわからぬまま帰還して機銃の射程・威力不足を訴えたのだ。かくしてイギリスは泥縄式に大口径機載砲の開発を始める事になる。

彩30 年後にアジアの某国が B-17 や B-29 相手に似たようなことをやっていますが…(^_^;)。

さだが、イギリス人は切羽詰まると凄いアイデアを出すぞ。C.O.W(Conventory Ordnance Works) 1.5 ポンド 37mm 自動装填砲、ヴィッカース 1 ポンド 37mm 機関砲、ヴィッカース・クレイフォード(Vickers-Crayford) 40mm ロケット砲、デイビス(Davis) 無反動砲など、いずれも時代に先行した革新的兵器だったのだ。

恵どれも殆ど聞いたことがないです…。

さそれもその筈、開発が終わった頃には戦争も殆ど終わっていたのだ。もう一つ、7.7mm 機銃はポメロイ(POMEROY)炸裂弾バッキンガム(BUCKINGUM)焼夷弾などの特殊弾頭が使用可能となり、水素ガスを充填した気球や飛行船を比較的容易に撃墜できるようになっていたのだ。英軍はこれによって 7.7mm 機銃の威力を過信するが、それによって 30 年後に深刻な悩みを抱える破目になる。

7.7m 特殊弾頭
7.7mm 特殊弾頭

さ第一次大戦でもう一つ、忘れてならないのがドイツ軍の小火器だ。一つは 1917 年から使われだしたベッカー(Becker) 20mm 機銃。ドイツ風に「ベッケル」と発音すべきかも知れん。これは重爆や飛行船の被害増大への対策として、大口径炸裂弾を連射して連合軍戦闘機をアウトレンジする為の防御火器として開発された。

彩でも、連合軍側にも 20mm〜30mm クラスの自動火器はありましたよ。ベッカーの何がそんなに優れていたんですか?

さ軽いことだ。イタリアのフィアット 25mm が 45Kg、イギリスのヴィッカース 1 インチが 50Kg の重量を持っていたのに対しベッカーは 30Kg と圧倒的に軽い。この軽さは API(Advanced Primer Impact) ブローバックというメカニズムによって実現されていた。

彩API はのちのエリコン機銃に採用されるメカニズムですね。

恵私の御先祖様ですーっ!API は弾薬が薬室に装填されつつある最中に発火させ、尾栓の前進エネルギーで反動を打ち消す作動方式なんですよ!

さもう一つは対戦車ライフルの M1918 タンク・ゲベール(Tank-Gewehr) だ。M1918 自体は歩兵銃を拡大した怪物的ライフルに過ぎなかったが、問題はその使用弾薬だ。ドイツ人はこの銃のためだけに全く新しい 13x92SR 弾を開発した。

恵また新開発ですか…。

さ13mm 弾は戦車を撃ち抜く為の中口径高速弾だったが、航空用としての素質にも注目されシュパンダウ機銃を大型化した新型機銃 MG18 TuF が開発された。TuF とは Tank und Flieger、対戦車・対空機銃を意味する。

彩記録によると 1918 年末から終戦までに約 4000 挺が生産されたものの、遂に実戦に出ることなく終わったようです。

恵ドイツの秘密兵器ってそんなのばっかりですー。

さ虎は死して皮を残し、ドイツは負けても技術を残す。TuF の発想と弾薬は世界に影響を与えイギリスのヴィッカース 12.7x81SR 弾、アメリカのブローニング 12.7x99 弾、フランスのオチキス 13.2x99 弾、ロシアの 12.7x108 弾を生み出すことになる。

恵…第一次大戦終結後、しかもドイツ国外での話なんですね。

さベッカー機銃もタンクゲベールも TuF 機銃も登場が遅すぎて戦局には殆ど何の寄与もせず、その技術は殆ど国外に流出してしまった。ドイツ人の発明好きが自国のメリットにならないジンクスの好例だな。

第一次大戦 大口径航空火砲
国籍名称重量使用弾薬弾頭重量初速発射速度作動機構備考
イギリス C.O.W 1.5pdr 356Kg 37x190 680g 610m/s 60rpm L-recoil
イギリス Vickers MkIII/V 62Kg 37x69R 450g 365m/s 300rpm S-recoilPom-pom 1pdr
イギリス Vickers 1.59in 21.3Kg 40x79R 540g 320m/s (Manual)Manual Rocket projectile
イギリス Davis 6pdr 75Kg 57mmRCL 2700g 366m/s (Manual)Manual RCL gun
ドイツ Becker 30Kg 20x70RB 128g 550m/s 300rpm API
ドイツ M1918 TankGewehr 17.3Kg 13x92SR 52g 770m/s (Manual)Manual AT rifle
ドイツ MG18 TuF 38Kg 13x92SR 52g 800m/s 400rpm S-recoil
イタリア Fiat M1917 45Kg 25x87 200g 440m/s 150rpm S-recoil
C.O.W 1.5 ポンド砲
1m
Becker 20mm 機銃

彩…ロケット砲や無反動砲の図は無しですか。

さんな事言うならお前が描いてみろ、一挺に一時間くらいは優にかかるぞ。この後ますます図版は貧弱になるから覚悟しておけ。

彩居直りましたね、まったくタチの悪いウチュー人だこと。



大戦間期編


世界中にはどんな想いも

ささて第一次世界大戦は「最後の戦争」とも呼ばれていた。正義が邪悪を倒し、世界には恒久の平和が訪れると思われていたのだ。チキュー人は浅はかだな。

彩どうしてそうネチネチと嫌味を…。

恵少なくとも 1919 年から 1938 年までの約 20 年間、大きな戦争はなかったんですよぉ!

さそれは見せかけの平和に過ぎん。フランスではこの期間を「狂った時代(les annees folles)」と呼んだが無理もあるまい。フランスは酒と芸術に耽溺し、イギリスは植民地を締め上げ、アメリカは禁酒法と大恐慌で揺れ、ロシアには革命が起きていた。イタリアはインフレに喘ぎ、ドイツにはナチスが台頭し、アジアでは日本帝国が列強の植民地を脅かしていた。いずれ戦争が起きないと考える方がどうかしているな。

恵ひどい言い方ですー。

彩ったく、ウチュー人の分際で偉そうに…。

さしかしこの 20 年間、兵器はほとんど進歩しなかった。そういう意味では確かに平和な時代だったと言えるかも知れんな。特に陸戦兵器は軍縮ムードの影響をモロに受け、戦車も重砲も歩兵銃も第一次大戦の骨董品がそのまま一線に留まっていた。例外は軍艦だ、これは大戦間期におそるべき進化を遂げている。軍艦には政治の道具として強大な存在価値があったからだろう。

彩飛行機に関して言えば…特に 1920 年以降、全金属・片持ち式単葉・引き込み脚・多気筒大馬力エンジンなどの技術革新が起きています。

さだが飛行機の進歩はむしろ民間主導で、民間機で確立されたテクノロジーをあとから軍用機が追いかけている形になっていた。この時期、軍用機は買い手市場だったのだ。そして戦闘機は最も進歩が遅れた機種でもあり、相変わらず連装の 7.7mm 同調機銃が戦闘機武装の基本だった。

恵戦闘機より軽爆のほうが速かったり、その軽爆より郵便機の方が速かったりの珍現象が起きたのもこの時期ですね。

さ軍縮ムードで慢性的な予算不足だし、軍人とは本来保守的なものだ。戦争が起こってもいないのに得体の知れぬ新技術を採用する物好きはいない。アメリカ陸軍などカーチス複葉機のエンジンを換えながら 10 年近く使い続けたぞ。

彩しかし、アメリカは早くから 12.7mm 機銃を採用していますね。1925 年のカーチス P-1 ですら 7.62mm + 12.7mm 一挺づつを搭載しています。他にはイタリアが 1932 年のフィアット CR.32 で 12.7mm 連装機銃を採用していますね。

さだが、世界的には 7.7mm 連装ないし四連装が圧倒的多数を占めていた。何も旧弊主義ばかりが影響したわけではない。機関部の軽さ、装備弾数の多さ、発射速度の高さなどのファクターを総合すれば 7.7mm には利点が多いと考えられていたのだ。木製羽布張りの機体の撃たれ弱さを考えれば、それはむしろ合理的とも言えるだろう。

彩しかし、1930 年も半ばをすぎると軍用機はどんどん全金属化してゆきましたよ。

さその通りだ、そして連装 7.7mm に対する威力不信が持ち上がった。金属機に対する射撃実験を行ったところ明らかに威力不足なうえ、入射角によっては外板で弾かれる事さえあると判明したからな。

恵ジュラルミン板って意外に強靭なんですね。

さこれを打ち破るためにどうすれば良いか、基本的には三つの流れがあった。一つは 7.7mm の多銃装備、もう一つは 12.7〜20mm の中口径、最後に 37mm 以上の大口径。ここで注目すべきは 12.7mm 多銃装備という考えはまだ登場していなかった事だ。1935 年当時の戦闘機を見れば明らかだろう、12.7mm x 6 挺なんて積んだら重くて飛ぶのがやっとになってしまう。

彩一挺あたりの重量は 7.7mm + 500 発で約 25Kg、12.7mm + 250 発で約 60Kg です。

恵重量から見ると 12.7mm x 1 挺は 7.7mm x 2 挺以上に相当するんですねー!

さあと中口径がイマイチ流行らなかったのは、頑丈な全金属機を破壊する為に炸裂弾が必要だと考えられたことも理由だろう。炸裂弾の効果は口径の三乗以上で向上するからな。

彩あくまで目安ですが 12.7mm 弾の弾頭重量 50g に対して炸薬量は約 2g、20mm 弾だと弾頭重量 120g に対し炸薬量は約 10g です。

恵5倍もの違いがあるんですね!しかし銃本体も長く大きくなりますが、当時の非力な戦闘機で問題にならなかったんですか?

さそれはフランス人が巧妙なアイデアを考え出した。V型液冷エンジンのシリンダ間に機銃を設置し、減速ギヤを介した中空プロペラハブに銃身を通して撃つわけだ。いわゆるモーターカノンだな。同調装置が要らず、重量物を重心近くに置け、反動をエンジンの質量で受け止めることができるなど良いことづくめで当時は理想的な機銃配置だと考えられた。フランスの発明に敬意を表し moteur canon とフランス語綴りで記されていることも多い。

モーターカノン
Motor Canon

さもう一つはセミモノコック構造の登場だ。応力外皮構造とも言われるが、骨組みの外側に張った外板の引っ張り強度で過重を受け止める方式だ。木製や鋼管羽布張り機の内部は骨組みのジャングルジムだが、セミモノコック構造では文字通りガランドウになる。特に主翼には大きな容積の空洞が出現するわけで、ここに燃料タンクや機銃を格納する事が可能になったのだ。

彩飛行機の進歩に対応して、新世代の航空火器がぼつぼつ登場し始めるわけですね。

さ第一次大戦のベッカー機銃の血統を引くスイスのエリコン(Oerlikon) 20mm 機銃はその代表だろうな。

恵はーい、ここは私が解説しますーっ!エリコン 20mm には主翼装備用の FFFFL、モーターカノン用の FFS の三種類がありました。それぞれ銃身の長さだけじゃなくって使う弾も違うんです。FF って FugelFest の略で「航空用」または「主翼装備」を意味するんですよ。

1m
Oerikon FF
Oerikon FFL
Oerikon FFS
Oerlikon 20mm series

さ一方モーターカノンの発祥地フランスはエリコン FFS を購入したが、その性能に不満でイスパノスイザ(Hispano-Suiza) HS404 を開発した。また、デンマークではマドセン(Madsen)が主翼装備または旋回銃として 20mm および 23mm を開発し盛んに売り込んでいた。大戦前の航空ショーなどでは、これらの機関砲を搭載した新鋭戦闘機が一種神秘的な輝きをもって展示されていたのだ。

彩ソ連もこの頃には 20mm ShVAK を開発して I-16 に搭載したりしています。しかし当時技術後進国と思われていたソ連は世界的にほとんど注目されなかったようですね。

1m
HS404
Madsen
ShVAK
大戦前の大口径機銃

国籍名称重量使用弾薬弾頭重量初速発射速度作動機構備考
スイス Oerlikon FF 25Kg 20x72RB 128g600m/s 500rpm API
スイス Oerlikon FFL 35Kg 20x101RB128g750m/s 450rpm API
スイス Oerlikon FFS 35Kg 20x110RB128g830m/s 400rpm API
フランス Hispano HS404 51Kg 20x110 130g880m/s 600rpm Gas/Recoil
デンマーク Madsen 23mm 53Kg 23x106 175g730m/s 400rpm S-Recoil
ソ連 ShVAK 42Kg 20x99R 97g860m/s 800rpm Gas


届かない場所がまだ遠くに

さ1936 年にスペイン内乱が起こり、世界の目はそちらに向けられていた。この紛争にはソ連機も投入されていたのだが、巧妙なプロパガンダによってドイツ・コンドル軍団の活躍ばかりが強調されていた。ゲルニカを始めとする一連の都市爆撃は実態以上の惨劇として報道され、イタリア空軍中将ドゥーエ将軍(Guilio Douhet)が予言した「戦略爆撃理論」が現実になったと思わせたようだな。

彩戦争開始と同時に重爆撃機の大編隊が敵国に殺到し、政治・経済の中枢部を焼き払ってしまうことで一気に勝利を得るという理論ですね。

さそして、戦闘機にはそれら重爆撃機を撃破する役割が期待されたのだ。すると 20mm でも心細くなる。一方、侵入する爆撃機側には戦闘機を蹴散らすだけの火力が期待された。既に 13mm や 20mm 銃座を持つ爆撃機は存在していたが、戦闘機側が大口径化するならそれに対抗しなければならない。

恵まるで空の大艦巨砲主義ですね…。

さ既に 20mm を持っていた国はともかく、7.7mm や 12.7mm を信奉していた米英は一足飛びにこの話に乗ってしまった。イギリスではヴィッカースが 40mm 機関砲を、アメリカでは自動車メーカーのオールズモビルがブローニング設計の 37mm 機関砲を開発している。これらは大型機に搭載して炸裂弾を撃ち、戦闘機をアウトレンジで撃破するという構想だった。

彩戦闘機無用論なんてのが台頭したのもこの頃ですね。大口径火砲が空の戦いを支配するなら、小火器しか積めない単座の小型戦闘機なんて役に立たなくなると考えられたんですね。

さ実際イギリスではウェリントン重爆の背中に旋回 40mm 砲座を乗せてみたり、アメリカでは XB-19 重爆に 37mm 砲を積んでみたり、多発多座戦闘機 XFM-1 なんてゲテモノを作ったりしたのだ。

お絵描き掲示板の廃品利用
Bell XFM-1 Multi-seat Heavy Fighter

さだがこれら「空の戦艦」は「戦闘機無用論」同様に一時の熱病みたいなものですぐに醒めて廃れてしまったな。というより、その熱病に冷や水をぶっかける大事件がヨーロッパで起きてしまったのだ。

彩1939 年 9 月 1 日、ナチス・ドイツによるポーランドの侵略が開始されました。

恵第二次世界大戦の勃発です…。

さ地球人にとっては歴史始まって以来の大悲劇だが、航空機銃は第二次大戦で進化のピークを迎えることになる。次回は各国ごとに航空機銃の開発と武装コンセプトの変遷を追ってゆくことにしよう。


編集後記


恵これで第一部は終わりですー。ささきさん、彩華さん、そして読者の皆さんお疲れ様でしたー。

さ恵理子さん、良かったよ。バッチリだ。決まってたねー。

彩…ヌード写真撮ったあとのカメラマンみたいな台詞ですね。

恵あははー、照れちゃいますー。でも彩華さんも良かったですよー、アシスタント役バッチリじゃないですか。

さうむ、これも私が連日調教…もとい教育した成果であるな。

彩うぅ、好き好んで機関銃の話なんか詳しくなった訳じゃないのに…(涙)

恵ところでサブタイトルがいちいち怪しかったんですけど、なんかモトネタあるんですか?!

彩それ以前に「KANON in the AIR」ってメインタイトルが底無しに怪しいです…。

さ気にしてはいけない。気にした時点で魂的に負けなのである。

彩その言い方からして怪しいです。

さ大丈夫だ、魚雷の人とは話を付けて承諾を貰ってある。ゼンゼン問題ない。

彩そーゆー問題ですか?

恵あのー、何の話してるんですかー?


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