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カーチス P-36 ホーク(Hawk:鷹) 輸出で大成功した傑作機

P-36A(11K)P-36A
主翼機銃のない初期量産型。国籍マークが両翼上面にあり、胴体側面に記入されていないのは 1941 年 2 月以前の標準塗装。米陸軍がオリーブドラブの迷彩色を採用するのが 1940 年だから撮影はそれ以前の 1938 年頃だろうか。ピカピカの無塗装胴体に派手な矢印マーク(ブルーのように思える)を描き、主翼はおそらく真っ黄色に塗り潰している。


 P-36 はもともとカーチス・ホーク 75 と呼ばれ、1935 年〜1936 年にかけて リパブリック P-35 と競作になった機体です。カーチス社がこの新戦闘機にかけた期待は並々ならぬものがあり、全金属機の老舗ノースロップ社からドノヴァン・A・バーリン(Donovan A. Berlin) を招いて主任設計者に据えました。当初はライト XR-1670(900hp) 14 気筒星型空冷エンジンを装備していましたが、不調によりプラット&ホィットニー XR-1820(950hp) 9 気筒に換装されホーク 75B と改称しました。しかしこのエンジンも不調だったため、米軍はより堅実な性能を出せる P-35 を制式採用したのですが、手堅すぎる P-35 の将来性に疑問を抱いたのか 1937 年には再びカーチスに打診をかけます。プラット&ホィットニー R-1830「ツィン・ワスプ」14 気筒(1050hp)を搭載し、75E の社内呼称で呼ばれた新型ホークは目覚しい性能向上ぶりを見せ、P-36A の名称で220機の発注が行われます。P-36A 177号機以降は両翼に 7.62mm 機銃各一挺を増設し P-36C の名称が与えられました。
 P-36 は輸出型・試作型も含めると矢鱈にサブタイプが多く、XP-37XP-42 などの発展型も製作されています。また、有名な P-40 は事実上 P-36 の発展型と言えます。
 P-36A は太平洋戦争勃発時すでに時代遅れとなりかけていましたが、真珠湾では来襲した日本海軍攻撃隊に対し唯一の反撃を行い、97式艦攻二機の撃墜を記録しています。また、輸出された Model75A の多くは戦乱の中で連合側・枢軸側に接収され、それぞれ敵味方に別れて使用されるという数奇な運命を辿っています。

 本機の日本における評価はせいぜい「零戦・隼には全く歯が立たなかった駄作機」といったところですが、「隼」の原形機キ43の初飛行ですら昭和13(1938)年末なのですから三年も早く飛んだ P-36 をこれらと比較するのはアンフェアです。P-36 はむしろ海軍96艦戦/陸軍97戦と比較すべき機体であり、これらに比べると完全引き込み脚・複列エンジン・可変ピッチプロペラなど多くの先進的機構を備え、速度・航続距離・武装などの性能面でも優ります。そして何より、輸出機のセールス実績が本機の傑作機ぶりを如実に証明しています。
(文・ささき)


緒元(P-36A)
製作1937年
生産数227機(米国内向け)+753機(輸出型)
乗員1
全幅37ft 4in(11.38m)
全長28ft 6in(8.69m)
全高12ft 2in(3.71m)
主翼面積235ft2(21.8m2)
乾燥重量4567LBs(2072Kg)
全備重量5470LBs(2481Kg)
武装12.7mm 機銃×1+7.62mm 機銃×1(機首)
発動機プラット&ホイットニー R-1830-13 空冷14気筒 1050hp
最高速度311mph(500Km/h) 高度 10000ft(3048m)
実用上昇限度32000ft(9753m)
航続距離820ml(1319Km)

P-36 サブタイプ一覧
サブタイプ生産数特徴
P-36A177初期量産型
P-36B1R-1830-25 のテストベッド
P-36C30主翼に 7.62mm×2を増設
XP-36D1機首 12.7mm×2、主翼 7.62mm×4の武装強化試作
XP-36E1主翼 7.62mm×8の武装強化試作
XP-36F1主翼にマドセン 23mm 機関砲×2を試験装備
P-36G36ノルウェー輸出用 Model75A-8 を米軍が接収

Hawk75N(14K)固定脚の Model75
タイ・バンコクの王立航空博物館に保存されている機体。脚カバーの形状などからタイ輸出仕様の Model75N と判断される。Elevon U.S Military Aircraft によれば Model75N の武装は機首 12.7mm+7.62mm/主翼 7.62mm×2という説と主翼ポッドにマドセン 23mm を搭載していたという説があり、あるいは2つの仕様があったのかも知れない。この機体の機首には銃口もブリスターも見当たらず、しかも主翼のポッドは 7.62mm 用にしては大袈裟過ぎるので 23mm とも思えるので、この機体こそ 23mm 説の出所なのかも知れない。これは現存する唯一の 75N であり、貴重な歴史の証人である。

写真提供:P-Kun 氏


Model75 サブタイプ一覧
サブタイプ生産数エンジン/武装特徴
Model751R-1670 7.62mm+12.7mm(?)試作型
Model75A1R-1820 (武装不明)エンジンテストベッド
Model75A-1100R-1830 7.5mm×4フランス向け輸出型
英国供与名モホーク I
Model75A-2100R-1830 7.5mm×6フランス向け輸出型
英国供与名モホーク II
Model75A-3135R-1830 7.5mm×6フランス向け輸出型
英国供与名モホーク III
Model75A-4284R-1820 7.5mm×6フランス向け輸出型
英国供与名モホーク IV
Model75A-59?R-1820 (武装不明)中国ライセンス生産型
(のちインド生産後英国に供与, モホーク IV)
Model75A-624R-1830 7.62mm+12.7mm(?)ノルウェー向け輸出型
(ドイツ接収後フィンランドへ供与)
Model75A-720R-1820 7.62mm+12.7mm(?)オランダ向け輸出型
(東インド空軍に配備され日本軍と交戦)
Model75A-836R-1820 7.62mm×4+12.7mm×2ノルウェー向け輸出型
(輸出前に接収され P-36G に改称)
Model75A-910R-1820 7.62mm+12.7mm(?)イラン向け輸出型
(輸出前に接収され英国に供与, モホーク IV)
Model75B1R-1820 7.62mm+12.7mm(?)Model75のエンジン換装型
Model75D1R-1670 (武装不明)エンジンテストベッド
Model75E3R-1830 7.62mm+12.7mm量産先行試作(Y1P-36)
Model75H2R-1820 7.62mm+12.7mm(?)固定脚の廉価版
Model75J1R-1830 (武装不明)二段二速過給器(?)搭載試験(75A改造)
Model75M112R-1820 7.62mm×4中国向け固定脚廉価版
Model75N12〜25?R-1820 7.62mm×3+12.7mm
(23mm×2説もあり)
タイ(当時はシャム)向け固定脚廉価版
1941年1月にインドシナ進攻に使用され M.S.406 と交戦
のち1941年12月には日本軍と交戦し多くは撃破され、
残存機は日本軍に接収されたという
Model75O29R-1820 7.62mm×4アルゼンチン向け固定脚廉価版
Model75Q2R-1820中国向け廉価版「蒋介石スペシャル」仕様
Model75R1R-1830-SC2-G排気タービン搭載試験(75A改造)
Mohawk----英国に回されたModel75の総称
正確な数は不明、特にモホーク IV は各種混在

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