またお会いしましたね

昔使ったネタ写真に再会する38万おまけ


 国会図書館で調べものをしていた時に見つけた、「少年戦車兵」(大内 秀邦、『文字で見る文化映画叢書』、田中宋栄堂、昭和18年)と云う本に掲載されている写真である。原本の印刷が良くないのと、コピーのため、何が写っているのかわかりづらいが、白波蹴立てて進む九五式軽戦車である。この写真を見た瞬間「おおっ!」と思いここに掲載した次第である。

 何が「おおっ!」なのか? 2001年に紹介した、防諜上の理由で修正の施された兵器写真の一例としてあげた写真と「同じ」ものであったからである。正確に云うと同じ原版を使ったモノ、なのではあるが。

 これが2001年にネタにした、昭和16年の「アサヒグラフ」に掲載された<修正後>の写真である。リンクを開いて元記事を一読する手間を惜しむ多忙な方のため、掲載しておいた。

 これが2007年に発見された写真を少し拡大したもの。戦車の並び具合と云い、手前の車輌側面にある十字のマーク?と云い、後ろの戦車の工具箱への光の当たり方と云い、同じモノであるのは明白である。大きく相違しているのが、砲身の有無であるのは云うまでもあるまい。
 これこそ<修正前>の写真である! と宣言したいところなのだが、写真が粗すぎて何とも判断できない。始めは、「砲身を書き加えた写真」と思いこんでしまい、こうしてネタにしているのだが、あらためて見直してみると、手前は防水カバーを付けたようにも見える。後ろは後ろで、砲身が上を向いているところが<芸が細かすぎる>のだ。

 これは「修正するなら強そうにすれば良いのに」と、5年前に遊んでみたモノ。砲身が水平になっている(ように描いた)。砲身が消された写真に描き加える立場で考えると、わざわざ砲身を上(あるいは下)に向けると云う芸がパッと思い浮かぶとは、とても思えないのである。と云うわけで、「少年戦車兵」に掲載された写真は<修正前>のものである、と一人決めてしまったのである。ここで反論する奇特な人もいないでしょう。

 砲身を描いた戦車をあらためて見直して見ると、砲身の描き方が雑であるし、これだけの大砲が砲塔に収まるとは、ちょっと信じられない(笑)。


 昭和16年では消された砲身が、18年に復活している理由は、今更隠していても無意味になったのか、単なる検閲モレなのか定かではない。

(おまけのおまけ)
 当初の目論見では、「少年戦車兵」に掲載された写真も、砲身を描き加えたものと見なして、「当時も同じ事を考えた人がいたのだなァ」とまとめるつもりだったのだが、本文にもあるように、そうと云いきる自信がなくなってしまったので、オチも無く、ただの「昔使った写真に別なところで出会って勝手に感慨にふけっている」と云う、コンテンツとして成立しないものになってしまったのである。

 こう云うこともある。