蒼空の果てに 目次へ

      保存掲示板〔32〕20-1-1⇔ 20-6-30

本年もどうぞよろしく 投稿者:ならざき 投稿日:2008/01/03(Thu) 20:36 No.480 
お健やかに新しい年をお迎えになられたことと思います。
蒼空様にはくれぐれもお体に気をつけて本年もご活躍の程を
お祈り申しあげます。

蒼空 > ありがとうございます。 本年も宜しくお願いいたします。 (1/4-05:55) No.481
ただただ感涙 投稿者:いぬどう 投稿日:2008/01/08(Tue) 17:35 No.482 
今日、何気なく検索していたのですが、自分の親戚に神風特攻隊の人がいた事を
知りました。父の従兄弟にあたる人です。
突撃前の手紙に涙がこぼれて仕方ありません。
18歳の若い命を散らしたなんて。。。 本当に驚き感激しました。
今日の欧米列強とほぼ対等に日本の繁栄があるのは、特攻隊の方々のお陰だと
常々思っております。
その特攻隊員が自分の親戚であるとは、今の今まで知りませんでした。何とも言い
切れない悲しみと同時に若干の誇らしい思いもあります。素晴らしいHPですね。
今からゆっくり見せて頂きます。

蒼空 > 犬童憲太郎君の兄上忠治氏とは交流していましたが先年お亡くなりになりました。
内部検索でご一読ください。 (1/8-20:58)
No.483
蒼空 > 次をクリックしてください http://www.google.com/search?q=%8C%A2%93%B6&hl=ja&ie=Shift_JIS&as_sitesearch=warbirds.jp&as_oq=AOZORANOHATENI&btnG=%93%E0%95%94%8C%9F%8D%F5+%90%EA%97p  (1/8-21:07) No.484
いぬどう > ありがとうございます。その書き込みを偶然、見つけて、忠治おじさんに
弟さんがいらした事を知りました。 (1/9-13:53)
No.486
こんにちは。 はじめまして。 投稿者: 投稿日:2008/01/12(Sat) 10:30 No.494 

私は韓国人で太平洋戦争に対して大きい関心があります。私のお婆さんもこの前に
名古屋に住んだしB29の爆撃されたりしました。そうだから太平洋戦争は第2次世界
大戦の中でも不慣れではないです。しかし歳月が経ってこれから太平洋戦争を経験
した人々は過去の人々になって行っています。残念な事です。 後世のために戦争は
何やら確かに伝えなければならない事です。 そうした中にこちらを尋ねるようになり
ました。永末千里さんのような戦争を自ら経験した貴重な体験者をこんなにインター
ネットで分かるようになって嬉しいこと言い尽くせないです。
今年にも永末さんが無病長寿なさるように祈って韓日両国の友好がもっと新しくなる
のを祈ります。

蒼空 > 私の友人で韓国を研究されている方がいます。ご一読ください。 http://busan.nekonote.jp/  (1/12-10:36) No.495
> すごい事ですね。 実は私が日本に旅行を行った時若い方々は韓国がたくさん分から
ないようでした。 果して年上の人たちは韓国をご存じですね。 (1/12-10:42)
No.496
もし蒼空様がさんですか。 初めなのでよく分からないです。 まだ日本語が下手でもしか
無礼な表現があったらおっしゃってくださればありがたいです。 (1/12-10:45)
No.497
米艦に救助された特攻機乗組員 投稿者: 投稿日:2008/01/13(Sun) 04:26 No.501 
今日は。私はあるきっかけから特攻隊員(?)で米艦に救助され米国の捕虜収容所
にいたと思われるネモト ヤイジ氏を探しています。昭和20年4月6日午後1時45分
頃に沖縄本島北西部の海上で共助された方です。 この方の英語での階級などは
Leading Seaman, Aviator, Radioman(海軍関係者と思われます)です。
何方か情報をお持ちの方はshino@gci.netまでお知らせ下さい。
もう二つ教えてください:
1。上記4月6日にはかなりの米艦が神風機の体当たりを受けました。 その内どの
部隊に属する誰の操縦機がどの艦を何時に何処(経緯度)で攻撃したのかの詳細な
一覧表などがあるのでしょうか。
。戦時中計何名の日本人パイロット(含む:神風機、偵察機)が機体の故障や撃墜他
の原因で米艦に救助され捕虜になったのでしょうか。また、彼らのいた捕虜収容所の
名前と年月などの一覧表はあるのでしょうか。
以上よろしくお願いします。 ありがとうございます。

蒼空 > まず防衛研究所の資料を閲覧してください。 (1/13-06:35) No.502
親戚のおじさんが… 投稿者: 投稿日:2008/01/09(Wed) 11:06 No.485 
親戚に真珠湾攻撃で雷撃機に載ってた人がいる話を父親から聞かされてた事が有り
ます。また、修羅の青春。と言う著書を自費出版されてたので 表紙は見た事が 私しも
有ります。表紙は絵ですが、花吹き山が入ってたのでラバウル基地でしょう… 機体は
一式陸攻でした。おじさんの名は、鈴木勲です。 どなたか、御存知の方が居ましたら
お話しをお聞かせ下さい。 因みに、本は現在不明で父も他界し、情報は無に等しい
状況です。

蒼空 > 真珠湾攻撃の編成表に、鈴木勲氏の名前はありませんでした。 (1/9-16:18) No.487
鈴木泰輔 > 報告有難うございます。そうですか…では、目を怪我された 勲さんのお兄さん
の方の話しなのかも知れません。自分が小学生の時に聞かされた記憶なので あやふやで
申し訳ありませんでした。 (1/9-16:43)
No.488
蒼空 > 鈴木勲氏は、美幌航空隊所属でマレー沖海戦に参加しています。第2中隊第3小隊長
機の副操縦員です。以後南方に展開して活躍されています。隊名は705航空隊に変わります。
防衛研究所で資料を閲覧してください。 (1/9-18:22)
No.489
鈴木泰輔 > 蒼空様、ご返答いただき感謝いたします!有難うございます。 今日中に部隊が
分かるとは思っても見ませんでした。 今後とも、このページを拝見させて頂きますので宜しく
お願いします。 …自分は色弱なので、職業としては飛べませんが、ULP機なら許可されると
知り、今年中に空を一人で飛ぶ夢が叶います!… (1/9-18:45)
No.490
蒼空 > 御免なさい。705でなく701航空隊でしだ。 (1/10-07:05) No.491
鈴木泰輔 > 了解しました。 701ですね。 有難うございます。 (1/10-11:27) No.492
> 鈴木様、はじめまして。真珠湾攻撃に、一式陸攻は参加してないので、あれ?と
思いましたが、ハワイとマレー沖海戦を間違えてしまったようですね。一式陸攻の事でしたら、
「中攻の会」に問い合わせてみてはいかがでしょう?アドレスはこれです。http://www.aramant.com/chuukou/index.html (1/11-20:31)
No.493
鈴木泰輔 > 鷲様、アドバイス有難うございます! 是非参考にさせて頂きます。
ありがとうございました。 (1/18-22:05)
No.506
大沼宗五郎海軍中尉 投稿者: 投稿日:2008/01/23(Wed) 21:35 No.508 
私の伯父は戦争中戦闘機のパイロットであり、南方で戦死した、と聞いております。
「大沼少佐」とうことでした。戦死後二階級特進であれば、存命中は中尉であったはず
です。出身地は小樽です。たまたま「大沼宗五郎」の名前をインターネットで見つけまし
たが、この人が私の伯父であるかどうかわかりません。伯父の母親名は大沼光です。
既に亡くなった伯母の話では、ある晩、夢の中で真っ赤に燃えた火の玉が飛んでくる
の見て、弟の名と共に「危ない!」と叫んで目が覚めたそうです。その後送られてきた
弟の死亡通知に記された戦死日はその夢を見た日だったそうです。

蒼空 > まず本籍地の戸籍抹消の記録を調べて下さい。死亡月日、死亡場所が分かります。 (1/24-06:06) No.510
蒼空 > 大沼宗五郎中尉は横浜市出身となっています。別人かも知れません。 (1/24-15:58) No.512
たく > 大沼少佐という方で、海軍在籍の航空隊関係者は、本籍群馬県の大沼宗五郎少佐
(予学13期・芙蓉部隊)と、本籍山形県の大沼満少佐(予学9期・203空)です。北海道という
事であれば、大沼正雄少尉(352空)という方が特務士官ではいますが・・ (2/3-20:14)
No.517
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無題 投稿者:照香 投稿日:2008/01/24(Thu) 14:41 No.511 
かなしいね
鹿屋に行きます!! 投稿者: 投稿日:2008/02/14(Thu) 22:02 No.521 
 2月22日、念願の鹿屋航空基地慰霊訪問が決まりました。
故酒井昭男氏の、実姉に父親がこのことを報告しました。
私が、昭男氏が、最後に本土の地とした、鹿屋に慰霊することで本当の意味で英霊を
慰めると、思います。

蒼空 > 706空は宇佐を基地にしていました。機会がありましたら、宇佐基地跡も訪問して
ください。 (2/15-11:17)
No.524
はじめまして 投稿者:麻美 投稿日:2008/02/15(Fri) 02:48 No.522 
私は二十歳の大学生です。
特攻隊に以前から興味がありここを拝見させてもらいました。
若くして散った彼らは今の日本を見たら驚かれるでしょう。私もいろいろ考えて
しまいました。もっと知りたいと思い近々知覧に行きます。
このホームページはすばらしいですね。これからも拝見させてもらいます。
余談ですが大和の搭乗員に同じ苗字の人がいて勝手に親近感をもってます笑
(変わった苗字です。)管理人さんも健康には気をつけて。ありがとうございまいた。

蒼空 > ご来訪ありがとうございます。「蒼空の果てに」にもお立ち寄りください。 http://www.warbirds.jp/senri/  (2/15-18:29) No.526
高洲様 投稿者:蒼空 投稿日:2008/02/15(Fri) 20:02 No.528 
706航空隊攻撃704飛行隊戦闘概報。
昭和20年4月27日、5機編成で1600鹿屋基地へ向け宇佐基地発進。
鹿屋基地にて燃料補給、沖縄周辺の敵艦船に対する夜間雷撃の命を受け、
2230鹿屋基地を発進。翌28日2小隊1番機のみ帰還。
他の4機は未帰還。
4小隊1番機の副操縦員に、酒井昭男2飛曹の名前があります。
2小隊2番機の副操縦員は私のクラスの、三木八郎2飛曹でした。
台北文物館 投稿者:tsubamerailstar 投稿日:2008/02/19(Tue) 18:16 No.532  HomePage
随分久しぶりに書き込ませていただきます。
台湾に旅行に行く前にたまたま西日本新聞の記事を目にし、台北文物館を訪れて
まいりました。松山飛行場から散華していった特攻兵が最後の時を過ごした旅館の
大広間も綺麗に保存、修復されており、大変感慨深かったです。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/world/asia/20080204/20080204_003.shtml

蒼空 > ご来訪ありがとうございます。今後ともお元気でお過ごしください。 (2/19-21:53) No.533
明日鹿屋に飛立ちます! 投稿者: 投稿日:2008/02/21(Thu) 14:08 No.537 
いつも、いつもありがとうございます。
明日(22日)、父(故酒井昭男氏の従兄弟)の、名代で、昭男氏が、本土最期の地と
なった鹿屋の地に行き、亡き昭男氏の霊を慰めて参ります。
先程、山口先生にその旨、報告しました。
結果報告、帰りしだい、報告いたします。
尋ね人と生還の本 投稿者: 投稿日:2008/02/23(Sat) 09:44 No.538 
旧海軍航空隊戦闘機のパイロットで米国の捕虜収容所(ハワイ)いおり、昭和21年1月
以後に復員された”菅原やすのり(漢字名不明)”氏を探しています。同時に、氏が発行
した”生還”の本も探しています。何方か心当たりがありましたら教えて下さい。尚、氏は
70歳の時自家用機のYS−11でアフリカや他の外国に自由に行っていたそうです。
氏が日本に帰国した前に帰国していた”茨城県出身の飛行士”が私が探している方と
推測します。ありがとうございます。
篠原。e-mail: shino@gci.net

「701空戦記」について 投稿者: なかつる 投稿日:2008/02/24(Sun) 02:15 No.540 
はじめまして、突然お邪魔いたします。中津留と申します。このようなHP等があることを
今まで全く知りませんでした。実は調べ物をしているうちにヒットいたしました。本来なら
HP特に掲示板の隅々まで調べてから質問する事が筋と思いますがご容赦ください。
教えて欲しいことが有ります。  それは「701空戦記」についてです。最近急に戦争に
ついての興味が芽生えました。 それは、著:吉田紗智サマ「8月15日の特攻隊員」と
同じような事からです。 それは私の血族にも宇垣特攻の一員がいたからです。父より
聞いてはいましたが、実際に特攻隊員の娘さんと話をして、といっても血族なのですが、
それ以来、何か急に調べたくなりました。 学校等の教科書では昭和時代を数ページ、
いや戦争に関しては1ページの内、 数行でしか記載していないような教科書等では、
戦争の記載がほとんど無いと言っても過言ではないと思います。
戦争こそ後生に残さなければ・・。 そこで戦争の事実についての資料がもっと読んで
みたいと思いました。 その中でも「701空戦記」は、是非読んでみたい、いや読むと
言うより、劣化しないように保存しておきたいと思いました。そこで教えて欲しいのです
が、「701空戦記」のデシタルデータ(本をスキャンニング)したようなものは、この世に
存在するのでしょうか?もし存在するなら入手方法等を教えていただきたく書き込ませ
ていただきました。よろしくお願いいたします。

蒼空 > 先ず第十部陣中談義うら話の、「宇垣特攻」の謎をご一読ください。 (2/24-06:24) No.541
なかつる> 早速のご教示ありがとうございまsitaす。今までの出版物には、著作権、版権等々
の権利があるので、1冊全てをデジタル化することは、困難なのでしょうかね・・・・。 出版物の
行数まで明記されており、劣化しなくて後生に残る学術論文以上で本当にすばらしいデジタル
データですね。ヤフーブログも楽しみに拝見させていただいておりますので、今後ともよろしく
お願いいたします。 (2/24-14:28)
No.542
蒼空 > もしかして、中津留大尉の縁者のお方ですか? (2/24-16:56) No.543
なかつる> ご質問ありがとうございます。 はいそうです。 中津留姓は大分県を始め各地に
いらっしゃるみたいですが、中津留達雄の父の中津留家は、 元々女性が多いため、今では
中津留達雄の血族の内で、数少ない中津留姓の末裔の1人です。 (2/24-22:11)
No.544
白菊特攻隊 投稿者:篠原克善 投稿日:2008/02/25(Mon) 11:27 No.545 
10月26日放映の”闇き南瞑の彼方へー練習機”白菊”特攻隊”のビデオまたは
DVDのコピーを探しています。何方か録画をされた方、お知らせ下さい。
私が探している元海軍飛行士のその後の情報に役立つ番組です。。。。。。
高知さんさんテレビ社に連絡をしましたが販売不可能とのことです。
ご協力ありがとうございます。
最後の予科練です 投稿者:や す 投稿日:2008/02/27(Wed) 09:58 No.547 
 初めてお便り致します。 
私は「最後の予科練」・滋賀空・甲飛第16期生です。
滋賀空は、予備学生、予備生徒、甲13,14,15,16期生と最大8千名がいたと、
何かに書かれていました。比叡山中腹から、桜花、秋水特攻要員の甲飛第13期生が、
グライダーによる発射台からの射出訓練をしながら、実機の到着を待っていました。
滋賀空は練習航空隊ですが、冬季、比叡山からの吹き下ろしの風が滑走路の横風で
強く、赤トンボでの飛行訓練には適さないとのことで、850mの滑走路には零戦数機が、
ときどき来ている程度でした。 
予備学生で元社会党代議士楢崎弥之助氏、予備生徒には安倍前総理の御父君・元
大臣安部晋太郎氏、甲15期生に元自民党代議士岩村卯一郎氏などがおられました。
道路を隔て隣接して、水上機実施部隊の大津海軍航空隊があり、多くの水上機が離水、
着水の訓練をしていました。二式大艇も時々来ていました。
8月2日、我々第16期生は陸戦隊編成。舞鶴軍港湾岸防備で終戦を迎えました。
私たちの甲第16期部長兼第44分隊長の柴正文海軍大尉は、戦後自衛隊に入られ、
重要な地位に就任されたと聞いていますが、蒼空さんもご存知かも知れませんね。
蒼空さんの、今後の御健勝と、御健筆、御活躍をお祈り致します。
 

蒼空 > ご来訪ありがとうございます。福岡県甲飛会にも、16期の方がたくさんいます。
今後とも宜しくお願い致します。 (2/27-10:55)
No.548
鹿屋に行ってきました! 投稿者:洲 隆一 投稿日:2008/02/29(Fri) 21:06 No.550 
故甲飛12期酒井昭男氏が、本土最期の地として、飛び立った鹿屋に、63年の時節を経て、
初めて訪問いたしました。尊き戦士達のお陰で、今日の平和が築かれていることを、一瞬
も忘れてはいけないと、心に誓いました。日本人として、決して忘れてはいけない、
風化させてはならないことだと、再認識いたしました。

蒼空 > 酒井昭男1飛曹は、攻撃704飛行隊の一式陸攻の副操縦員として夜間雷撃に出撃
して戦死されました。同期生として哀悼の誠を捧げます。 (2/29-21:54)
No.551
はじめまして 投稿者:生駒人 投稿日:2008/03/03(Mon) 14:45 No.554 
やす様、初めまして。生駒人ともうします。
亡き父も以前蒼空様のおかげをもちまして、やす様と同じ頃、大津航空隊に甲14として
訓練していた事が判明いたしました。父は当時のことを聞かれるのがいやだったみたいで、
聞くとなぜか怒りだすのでどういう状況にあったのかまったくわかりません。(母の話では、
上官に殴られ、左耳が軽度の難聴になったからだと言うことです)
私が小学生のころ一度だけ聞いた話では、大きな水上飛行機に乗せてもらったことがある
といっていました。弐式大艇だったのかもしれませんね!
やす様、蒼空様、お体たいせつに、御自愛ください

蒼空 > お元気ですか? 今後とも宜しくお願い致します。 (3/3-15:47) No.555
予科練時代の体験 投稿者: 投稿日:2008/03/04(Tue) 10:54 No.556 
 生駒人さま。お父上が予科練時代の体験を、余りお話しされなかったとのこと。

 軍隊は、陸海軍を問わず苛酷な環境の中での日々でありました。しかし、その中でも千差万別、航空隊、分隊、班などによりかなり差があったようです。

 予科練での体験も千差万別、同期会の中でも、「予科練生活は懐かしい、良い体験だった」

 「二度と体験したくない、非条理で苦しい日々であったが、最も純粋であった頃の、当時の若者として、真剣に祖国の危機に命を賭けようとした。後の人生に大いにプラスとなった」 と言う者が多い反面。

 「私の軍隊経験は、人生最大の汚点である。思い出したくもない」 と出席を拒む大学教授もいます。
無題 投稿者: 投稿日:2008/03/04(Tue) 11:14 No.557 
 生駒人さま。

 甲14期生の方々が、明日、水中特攻「回天」水上特攻「震洋」基地へそれぞれ出発されるというとき、「今夜、衣服、靴などのスペアを取りに来い」ということで、消灯ラッパが鳴り終わってから、暗闇の中を14期兵舎まで、数名で忍んで行ったことが思い出されます。

 もちろん、見つかれば大変な罰直が待っていたのですが。
無題 投稿者:生駒人 投稿日:2008/03/04(Tue) 14:24 No.560 
やす様、早々のご返事ありがとうございます。
亡父は予科練時代のことをほとんど話すことなく逝ってしまいましたが、終戦記念日等には欠かさず橿原神宮へ参拝、また靖国神社へも数度参拝しておりました。
今となってはどういう心情であったのか伺うすべもありませんが、私なりに思うに、無くなった方への哀悼の気持ちがあったのだと思います。
父は鹿児島の川辺郡の生まれでしたので、近くの知覧へ飛来する戦闘機の爆音に心躍らされ(陸軍と海軍の違いはありますが)御国の御盾にならん!!と欲したのでしょう。
ともあれ、やす様、蒼空様、お二方の本当に貴重なご体験を後世にしっかり伝えていってください。

蒼空 > 生駒人様は奈良にお住まいですか? 私は奈良に5年間いました。毎日生駒山を眺めていました。 (3/5-10:22) No.561
生駒人 > 蒼空様、御推察どうり、生駒山麓に住んでおります。 (3/5-11:28) No.562
滋賀空 投稿者: 投稿日:2008/03/09(Sun) 14:16 No.567 
 生駒人さま、下記の掲示板・Yahoo掲示板ー60代以上ー後世に残す戦前戦後体験記に、
私がaozoraのHNで「遠き十五の春」 のタイトルで、78回にわたり投稿をしています。

あなたのお父様も、同じような体験をされていると思いますので、ご参考になると思います、ご覧下さい。

 

生駒人 > やす様、遠き十五の春、拝読いたしました。これからも貴重なご体験、戦争を知らない世代へ伝えていってください。 (3/13-06:55) No.568
テレビ開示不能 投稿者:蒼空 投稿日:2008/03/23(Sun) 09:03 No.571 
機材更新のため、テレビ録画が開示不能になっています。
修復まで、しばらくお待ちください。
偉大なる大先輩 投稿者: 投稿日:2008/03/25(Tue) 22:59 No.573 
サークル博多空の岸田氏に紹介され末永先生の貴重な体験記を拝見させていただきました。 私自身は実戦経験が皆無の元陸上自衛官【野戦砲兵】です。有事における極限の訓練並びに強い精神力に昔の日本人の強さを感じ自分たちの弱さ 甘えを実感いたしました。

また創生期の自衛隊の話は大変興味深く苦労されて組織を作り上げた先輩諸氏の努力には感服いたしました。


蒼空 > ご来訪ありがとうございました。こんごとも宜しくお願いいたします。 (3/26-06:22) No.574
投稿者:下野国子孫 投稿日:2008/03/28(Fri) 10:56 No.575 
 初めまして。ひょんな事から父の終戦時の回想原稿を見つけましてNetで検索しておりましたらここに出会いました。
 当時父は高知空におりまして子供のころ聞いた話では「九七艦攻」に乗っていたと聞かせれてました。が、どうやら「白菊」だったようですね。終戦日の夜間「索敵」に出たとも聞かせれていました。今回三国雄大さんの「白菊特別攻撃隊」の本のなかに父の名を見、子どもの頃聞いた話が現実に有ったのだと再認識しました。
 これからもお元気で。  

蒼空 > 藤岡君の手記「白菊特攻隊出撃せよ!」をご一読ください。  http://www.warbirds.jp/senri/10kaiko/08fugioka/siragiku.html   (3/28-13:55) No.576
テレヒ再開 投稿者:蒼空 投稿日:2008/03/29(Sat) 06:07 No.577 
テレビ非開示でご迷惑をおかけ致しました。
回復致しましたのでご覧ください。
最初は少し時間がかかるとかと思います。
ありがとうございました。 投稿者:蒼空 投稿日:2008/04/21(Mon) 17:01 No.588 
本日アクセス件数が、400,000件に達しました。
皆様のご協賛に、深く御礼申し上げます。
40万件 すごいですね 投稿者:ならざき 投稿日:2008/04/21(Mon) 22:23 No.589 
驚異的な数字のアクセス数で、すごいですね。
これからも頑張ってください。
私は5月10日に黒島で行われる「三島村特攻平和祈年祭」に初めて参加します。
江名氏が建立された特攻観音にぜひ一度お参りしたいと思います。黒島は知覧の南西50キロに位置する小離島で、鹿児島港から船で5時間以上かかります。頑張って行くつもりです。

蒼空 > 慰霊の旅ご苦労さん。頑張ってください。 (4/22-05:52) No.590
おめでとうございます 投稿者:だい 投稿日:2008/04/30(Wed) 11:32 No.597 
40万件おめでとうございます。
先日も靖国神社へお参りいってきました。
私の廻りには戦争にいった方はいません。
以前はいたのですが、すでに他界していまして、お恥ずかしい話ですが健在のころは私自身若くて戦争を他人事みたいに考えていて興味がわかなかったのが事実です。
最近では、自営業をしている為、色々な壁にぶつかります。
そんな時蒼空様のホームページを何度も読み直して、「当時の人々は自分よりもよっぽど辛かったんだ。」って勝手に励まして頂いています。
大東亜戦争を色々勉強させて頂いて、当時の神風特別攻撃隊(特攻)の方々には本当に感謝しています。
私自身、会社経営の悩みは平和だから出来る事であり、特攻をはじめ当時の各諸島で日本国の為に戦って頂いた皆様があるから、私自身平和に暮らせると思っています。
ポツダム宣言の内容を読み直すと日本にとって有利的な内容も多く含まれているように私自身思います。
これは、特攻を初め、各諸島の皆様が命をかけて戦って頂いて米英国にも多大な影響を与えたからこそだと勝手ながら想像しています。
末永く体験者の方が次世代に伝えて頂ければ、日本もいつまでも平和だと思っております。
長くなりましたが、今後もご健勝の程心より祈っております。

蒼空 > ご来訪感謝致します。今後とも宜しくお願い致します。 (4/30-14:16) No.599
初めまして 投稿者:suzuran 投稿日:2008/05/25(Sun) 20:54 No.604 
特攻の方々の思いを知る事で、この国を知りたい。そんな思いから、たまたまこのhpに辿り着きました。さがしていた答えを、みつける事が出来た事に感謝しています。改めて、日本の素晴らしさを感じ、民族の誇りを心に固持し、国の柱になれるよう力を尽くしたい。具体的には真っ白ですが、今、そんな気持ちです。理想と現実はかなりの差がありますが、まずは自分の家庭を明るくしていくこと、隣の人に思いやりを持つ事だったり。そして職場、地域と広がりをつなげていけたら。。。
命よりも大切なものを、教えて頂いた特攻の方々、日本のために戦い戦死された皆様をたよりにさせていただきます。


 

蒼空 > ご来訪ありがとうございました。今後とも宜しくお願いいたします。 (5/26-05:48) No.605
はじめまして(^^) 投稿者:みなみ 投稿日:2008/06/06(Fri) 09:42 No.609 
私が今まで戦争について見てきたもの、読んできたものは戦争を経験していない、話や資料に基づいて書かれたものばかりで真実味に欠けるなぁ…本当かなぁ…と思ってしまうものばかりでした。 何げなく見つけたこのHP、時間も忘れて拝見させていただきました。実際体験された方の生の声、全てがリアルで…何というか…心にどっしりと響く感じがしました。戦争のこと、特攻のこと…お写真と重ねて見ると息が詰まりそうでした。 私は今28歳で3人の子供がいます。ここを拝見させていただき、私は本当に根性がないなぁと反省しました(:_;)当時の方々は何もかもが厳しい状況の中、精一杯生きてこられたんですね。特攻された方々の思いは私なんかがとても想像もつきませんが残された家族の気持ちを考えると……私にはとても耐えられません。私もそれを学び、子供達に戦争の悲惨さを教えていきたいと思います。このHPに出会えてよかったです!作者様が今もお元気でいらっしゃるのが本当に嬉しく有り難いです。これからもどうかお元気でいらしてください。
ここを拝見して、どうしても作者様にお手紙(?今はメール?)したくなり…こんな未熟な書き方で申し訳ありません。

蒼空 > ご来訪ありがとうございまます。少しでも皆さんのお役に立てれば幸いです。 (6/6-15:22) No.610
こんにちは(^-^) 投稿者:みなみ 投稿日:2008/06/10(Tue) 01:20 No.614 
永末様(と呼ばせていただいてもよろしいでしょうか…(^^;) 下の掲示板に投稿させていただいた者です。お忙しい中、私のつたない文章を読んでいただきお返事までいただいてありがとうございます!!
このHPを拝見してから毎日いろんな物に感謝することを覚えました。物があることの有り難み、お腹一杯食べられること、生きていることの有り難み…どれだけ自分が平和ボケしていたか。この日本に戦争は確実にあったんだ、勇敢に戦死されていった方たちの思いで生きていられるんだ、と私は感じます。
私は三重、伊勢神宮の近くに住んでいます。永末様も白子から電車に乗り、お伊勢さんに参拝されたのですね(^^)60数年の変化をお伊勢さんはどんな気持ちで見てこられたんでしょうか…8月15日、終戦記念日に私は29歳になります。今までは何も考えず歳ばかり大きくなってきましたが、今年からは戦争で勇敢に戦われた方、惜しくも亡くなられた方々に敬意をもって歳をとっていこうと思います。もちろん、お伊勢さんに参拝します(^^)
そうしたらまたここに報告させていただいていいでしょうか?(勝手に何度も書き込んですみません(;_;))長々と私事ばかり並べてしまいました。永末様、どうかお体お大事にされますよう…伊勢からお祈りしています。

蒼空 > 鈴鹿航空隊時代が搭乗員として一番充実した時期でした。今後ともよろしくお願い致します。 (6/10-06:01) No.615
吉田紗知さんの本 投稿者:スーさん 投稿日:2008/06/19(Thu) 23:39 No.616 
今、吉田紗知さんの「8月15日の特攻隊員」を読ませてもらっています。
隊員の方の心境など部分では、「そうだったんだぁ」と思うことが多々あります。

まだ半分ぐらいしか読んでいないので、残り半分は頑張ってゆっくりと読んでいこうと思います。

*文の構成がゴチャゴチャですが、許してください。

蒼空 > ご購読ありがとうございます。当サイトの「宇垣特攻の謎」もご一読ください。  http://www.warbirds.jp/senri/23ura/39/index.html (6/20-05:35) No.617
8月15日の特攻隊員を読んで 投稿者:suzuran 投稿日:2008/06/24(Tue) 21:51 No.619 
私も戦争知らない世代です(30代女性)。特攻隊員の方々の日記やご家族に宛てた手紙を読ませて頂きますと、ただただあ頭が下がり、感謝の気持ちになります。また、蒼空様の「神風特攻隊員の精神基盤」を読ませて頂きますと、自分の生き方を問われている様に感じます。「8月15日の特攻隊員」も一気に読ませて頂きました。お1人で様々な資料をあつめて、調べられた事、心から尊敬致します。戦争は絶対いけない。しかし、その事とは別の次元で、自分の命をかけて家族を、未来の日本を守られた方々の思いを私達世代は受け継いでいかなくてと、強く強く思いました。思いがあれば、次は行動。私の足りない頭では、答えが出ませんが、まずは自分の日常を素晴らしく生きる事。些細な事ですが、ゴミを拾ったり、笑顔で明るくいること。ありがとう、ごめんなさいが素直にいえること。(私には至難のわざですが。。。)隊員の方々のようにはもちろんできませんが、自分が出来る事で少しでも役に立つ事をしていけたらとおもいます。そう生きる事で特攻の方々と繋がっていけるのではないかと思わせて頂きました。
 迷ったり、悩んだりしたとき、隊員の方々のご文章にはげまされています。そこに自分なりに答えを見い出し、頑張っている自分がいます。隊員の方々の日記を読んで、引きこもりから立ち直った若者もいるとききます。自分は、たった1人のちっちゃい自分ではない。命は理屈抜きでつながっているんだと感じます。
 蒼空様、いつもありがとうございます。また、寄らせて頂きます。

蒼空 > ご感想ありがたく頂戴いたします。今後とも宜しくお願いいたします。 (6/25-05:32) No.620
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