蒼空の果てに 目次へ

保存掲示板〔27〕18-11-1⇔ 18-12-30

[16] 峯山空にも 投稿者:のぶさん 投稿日:2006/11/03(Fri) 14:09
 先日はお世話になりました。
ところで、兵庫県の峯山空にも終戦間際に大井空から白菊隊が展開して
いますが、ご存知でしょうか。


[17] Re[16]: 峯山空にも 投稿者:蒼空 投稿日:2006/11/04(Sat) 06:54
私の資料にはそのような記録はありません。
終戦直後、現地解散した2・3中隊の者が、白菊で峯山まで帰り
飛行機を残して帰郷したものと思います。
こんな例は他部隊でもありました。


[18] 峯山空にも 投稿者:のぶさん 投稿日:2006/11/04(Sat) 22:09
峯山空の資料には、終戦時に大井空所属の搭乗員、基地員など295名が来て
いたとあります。また、私の手持ちの防衛庁資料にも数は不明ですが、
峯山空の在隊部隊として大井空と記されています。


[19] Re[18]: 峯山空にも 投稿者:蒼空 投稿日:2006/11/05(Sun) 06:52
そうすると、石手基地に行ったのは一個中隊だけで、峯山空にも
一個中隊派遣されたということですね。
第三中隊(第三 八洲隊)所属の我々が鈴鹿から大井に帰った時
には、彼らは既に出陣したあとでした。


[20] 拝志基地には 投稿者:のぶさん 投稿日:2006/11/05(Sun) 09:30
愛媛県温泉郡拝志村の竹ノ下基地には、大井空の牧野飛行長以下が責任者
として、攻撃隊の指揮官・松村平四郎大尉以下搭乗員約70名、白菊約30機が
展開していました。これは第二中隊ということです。ですから、峯山に行ったのが
第一中隊ではないでしょうか。


[21] Re[20]: 拝志基地には 投稿者:蒼空 投稿日:2006/11/05(Sun) 11:47
牧野部隊の名簿がありました。
士官搭乗員28名、下士官40名です。大勢の同期生の名前がありました。
これには第1中隊員の名前は見当たりません。やはり第1中隊は峯山空に行った
のですね。士官は伝宗寺、下士官は大安寺(安養寺?)を宿舎にしていたそうです。
整備兵などの宿舎は拝志小学校で、炊事などはここで行っていたとのことです。


[22] ありがとうございます 投稿者:のぶさん 投稿日:2006/11/07(Tue) 12:54
ありがとうございます。ところで、各航空隊では戦後、元隊員の回想を集めて
「隊史」を編纂していますが、大井空はあるのでしょうか?


[23] Re[22]: ありがとうございます 投稿者:蒼空 投稿日:2006/11/08(Wed) 16:11
のぶさんへ
隊史は知りませんが、「同釜会」といって毎年集まっています。
牧野部隊の名簿も彼らが編集したものです。


[24] ありがとうございました 投稿者:のぶさん 投稿日:2006/11/16(Thu) 15:00
 ありがとうございました。


[25] 無題 投稿者:ゆかり 投稿日:2006/11/18(Sat) 20:21
こんばんは。
蒼空様の著書、かえらざる翼を読みだいのですが、
どこで購入できますか?


[26] Re[25]: 無題 投稿者:蒼空 投稿日:2006/11/19(Sun) 11:46
ゆかり様
10年以上前の出版なので書店では無理と思います。
福岡県立図書館その他には寄贈しています。
「海鳥社」に連絡してみてください。
電話092-771-0132


[27] Re[25]: 無題 投稿者:蒼空 投稿日:2006/11/19(Sun) 13:56
ゆかり様
ヤフーの検索で古本なら見つかりました。
下記サイトに連絡してください。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/487415087X/sigil-22/ref=nosim


[29] かえらざる翼 投稿者:ゆかり 投稿日:2006/11/20(Mon) 21:49
サイトにアクセスし購入しようとしましたが、支払いがクレジットカードのみで、
まだ学生なのでクレジットカードを持っていなく、断念しました。。
海鳥社は電話が通じませんでした(;_;)
なので自分で古本屋や図書館を探し回ってみようと思います。

回答ありがとうございました。


[30] Re[29]: かえらざる翼 投稿者:蒼空 投稿日:2006/11/20(Mon) 22:10
「かえらざる翼」の内容は「 蒼空の果てに」を要約したようなものです。
ホームページをごゆっくりご覧ください。

http://www.warbirds.jp/senri/


[31] 本について 投稿者:のぶさん 投稿日:2006/11/20(Mon) 22:14
「日本の古本屋」というサイトで検索したら、永末様のお名前の検索で
ありましたよ。見てみて下さい。もし、なければ、図書館を探されては
どうでしょうか? 県外の図書館からも取り寄せができるはずですよ。


[33] 質問です 投稿者:のぶさん 投稿日:2006/11/29(Wed) 23:12
 終戦前における、鈴鹿空白菊隊の動向は分かりませんでしょうか?
一個中隊が岩国基地に来ていたようなのですが。


[34] Re[33]: 質問です 投稿者:蒼空 投稿日:2006/11/30(Thu) 13:41
鈴鹿基地で編成した「若菊隊」の一部が岩国基地へ進出しました。
同期生、横田君の航空記録によれば7月13日になっています。
下記を参照ください。

http://www.warbirds.jp/senri/23ura/38/index.html


[36] 硫黄島唐の手紙 投稿者:長崎-武蔵 投稿日:2006/12/05(Tue) 00:54
ご無沙汰してます。なかなか家にいない者ですから。
渡辺謙さんは好きな役者ですし、ハリウッドでも頑張ってますから
たいした役者です。ご指摘のとおり--肩章は間違いと想います。
唯、戦闘シ-ンはCGで見ごたえあります-- 戦った方には不遜な言い方
かもしれませんが--- 記録写真と同じような場面がありますし。
当然ながら、父親たちの星条旗--と同じ場面がありますが 
12/9日からの公開楽しみです。


[37] 白菊隊について 投稿者:のぶさん 投稿日:2006/12/06(Wed) 16:27
 いつもありがとうございます。練習航空隊における特攻隊編成は、
教員と飛練38期生を中心に編成されたと聞きました。残りの39,40,
41期生などは大部分が転属し、残った人たちは陸戦隊要員、防空隊
要員などとなったようですが、大井空ではどうだったのでしょうか。
また、各航空隊における特攻隊編成は、それぞれ違っていたのでしょうか?
中練航空隊は主に四個飛行隊編成でした。大井空は三個中隊編成
(飛行隊とは呼ばなかったのでしょうか)、高知空は二個飛行隊編成だった
ようです。いつもすみませんが、ご教示下さい。


[38] Re[37]: 白菊隊について 投稿者:蒼空 投稿日:2006/12/06(Wed) 20:57
現に大井空の先任搭乗員は偵察教員の上飛曹で、殆どか教員配置から
の編入です。38期と予備学生14期は欠員補充の一部に過ぎません。
飛行隊の編成は、百里空の例で説明すれば、第一飛行隊は艦爆
第二飛行隊は艦攻そして第三飛行隊は偵察員練成で編成されていました。
大井空は同じ偵察員の教育で飛行隊の区分はありませんでした。
中練航空隊や高知空に飛行隊編成があったとは考えられません。


[39] Re[37]: 白菊隊について 投稿者:蒼空 投稿日:2006/12/06(Wed) 21:02
参考資料。

http://www.asahi-net.or.jp/~zq9j-hys/KKH16.htm


[40] Re[38]: Re[37]: 白菊隊について 投稿者:蒼空 投稿日:2006/12/06(Wed) 21:16
徳島空も高知空も同じ白菊での練習航空隊です。
飛行隊を分割する理由はありません。
高知空が二個飛行隊とは何処の資料ですか。確認してください。

http://www.warbirds.jp/senri/10kaiko/08fugioka/siragiku.html


[42] 高知の白菊隊について 投稿者:のぶさん 投稿日:2006/12/07(Thu) 16:21
 すみません。原資料は昭和20年5月の高知海軍航空隊戦時日誌です。
これに第一、第二、第三の三個飛行隊編成(特攻隊錬成)と記されています。
また、7月上旬に飛行隊の再編成が行われたようです。


[43] Re[42]: 高知の白菊隊について 投稿者:蒼空 投稿日:2006/12/07(Thu) 18:41
大井空で、第一、第二、第三、八洲隊を編成したように第一菊水白菊隊、
第二菊水白菊隊、第三菊水白菊隊が編成されたことは理解できます。
これを飛行隊編成と誤解しているのではないでしょうか。
恐らくこの方は飛行隊の編成の意味を理解していないと思います。
下記のサイトで質問してください。回答が得られると思います。   
http://www.warbirds.jp/ansqn/

http://ttp://www.warbirds.jp/ansqn/


[44] Re[42]: 高知の白菊隊について 投稿者:蒼空 投稿日:2006/12/07(Thu) 18:46
URL訂正。

http://www.warbirds.jp/ansqn/


[46] Re[45]: 白菊について 投稿者:蒼空 投稿日:2006/12/08(Fri) 21:01
戦死者名簿を参考にしてください。  

http://www.warbirds.jp/senri/22tokuko/205/kooti.html


[47] 正確には 投稿者:のぶさん 投稿日:2006/12/09(Sat) 09:29
 ありがとうございます。高知空の正確な隊名は「菊水部隊白菊隊」ですね。
突入後の連合艦隊公布は「菊水部隊白菊隊〜第三白菊隊」です。
第一隊には「第一」は付いていないのですね。


はじめまして 投稿者:正統派民主主義者 投稿日:2006/12/15(Fri) 11:18 No.2 
突然書き込みさせて申し訳ありません。

私もいろいろと、戦争を体験された方のお話を聞きましたが、多かった意見としては、
「死んでいった戦友はいい奴ばかりだった。でも、意味もなく自分達をぶん殴り続けた上官の態度は今でも許せないし、戦友をあんな形で死なせたあの戦争は間違っている。」というものです。

特に、平和遺族会に所属している方の意見の中には、そういうものが多かったように思います。

蒼空さんもそういう意見があることも十分ご存知なはずでしょう。

特攻隊員は優秀な人が多かったようですね。
もしそうなら、そのような人たちを、特攻作戦に参加させその将来を奪うよりは、生かしてその優秀な才能を新しい日本社会建設に役立たせるのが道理というものではなかったでしょうか。

私が怒りを感じるのは、そういう本来あるべき道理を認めず、いたずらに若者の命を奪った当時の国家の状況が異常だと言っているのです。

どうかご理解ください。

蒼空 > まず、特攻戦死者名簿をご一読ください。英霊の経歴がご理解できると思います。 (12/15-16:35) No.3
はじめまして 投稿者:杉森 投稿日:2006/12/19(Tue) 22:29 No.4 
初めてお便りいたします。
父は昭和四年の早生まれ。甲14期で岡崎航空隊でした。

蒼空様の著書を拝読しながら、今まで聞くことも無かった
父の若き頃を、問わず語りに聞く事ができ、感謝しております。

このホームページにも、教わること多々あり、そのご労苦に
感謝にたえません。

どうか、これからも、御体を大切に、われわれ後の世代に
大切な事実をお伝えください。

蒼空 > ご来訪ありがとうございます。ごゆっくりご覧ください。 (12/20-05:48) No.6
すみません 投稿者: 投稿日:2006/12/19(Tue) 22:33 No.5 
アドレスがはいりませんでした。
再送信いたします。

蒼空 > れんらく帳の方で試してください。 (12/20-05:53) No.7
なし 投稿者: 投稿日:2006/12/24(Sun) 18:41 No.8 
はじめまして! 父と初めてHP訪問させて頂来ました。誠に恐縮ですが「蒼空の果てに」CD−ROMはどこで購入できますでしょうか?
父が見たいと言いますので何卒よろしくお願い致します。

蒼空 > 内容はHPを要約したものです。紀伊国屋書店に置いていましたが、必要なら送ります。メールアドレスを知らせください。  (12/24-21:19) No.9
名簿に 投稿者:ナイトバード 投稿日:2006/12/25(Mon) 20:50 No.10 
はじめまして!
特攻隊名簿に記載されている、昭和20年5月11日出撃の菊水雷櫻隊・操縦 一飛曹 望月敞一は、私の家から出征した人です。
子供の頃親に教えてもらいましたし、写真も有りましたよ。
最近ふと思い立ったので、駄目元で検索して見たらここが紹介されました。
私が何をしたわけでもありませんが、名前を見付けると嬉しいものです。
敞一さんは私の曾祖父の弟の子供でしたが、早く亡くなった為に曾祖父が引き取って育てたそうです。

蒼空 > これも何かの因縁です。今後とも宜しくお願い致します。 (12/26-10:10) No.11
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