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フィッシャー P-75 イーグル(Eagle:鷲) 寄せ集め戦闘機

P-75A(19.4K)P-75A
「寄せ集め」をやめて主翼・尾翼を再設計した XP-75A。この角度で見ると妙に格好いいが、平面形で見ると主翼も尾翼も三角定規で引いたように味気ない直線的。主脚の間隔は 6m に達するが(日本海軍の「紫電」ですら 4.5m)、ここまで広いと僅かなブレーキの差動で容易にグラウンドループに入ってしまいそうだ。自動車メーカーだからトレッドを広くしたという訳ではなく、XP-75 において P-40 の主翼を流用した副作用だろう。


 フィッシャーとは聞きなれないメーカー名ですが、この会社はオハイオ州クリーブランド(Cleveland)にあったゼネラルモータース(GM)グループの車体製造部門です。P-75 は 1942 年 2 月に米軍が発令した「高性能迎撃機」の要求に答えたものですが、この要求というのが「最高速度 706Km/h (6000m)、上昇力 1700m/分、航続距離 4000Km」という無茶苦茶とゆうか虫の良すぎる内容でした。

 この無理難題に対しフィッシャーの出した回答がまた変わっていました。3000hp 級アリソン V-3420 24 気筒液冷エンジン(V-1710 を二基結合した双子エンジン)を胴体中央に埋め込んで延長軸により機首先端の二重反転プロペラを駆動、機体は P-51 の外翼を利用した逆ガル主翼、A-24(ダグラス SBD の陸軍型) の尾部、F4U の主脚を応用して仕上げるというのです。エンジンが重心付近にあるため運動性が良く、細く絞り込まれた機首前方の操縦席は視界が良く、プロペラ軸周囲に同調機銃(12.7mm×4)を配することで弾道集中火力を高め、これに主翼の機銃(12.7mm×6)を加えた重武装、しかも既存の機体パーツを流用するため開発期間が短縮でき製造が安上がりという、それだけ聞けば実に虫の良い提案ではありました。
 逆ガル翼のアイデアはやがて放棄され P-40 の外翼を使った中折れ上半角式に変更されましたが、それでも何処か基本コンセプトが根本的に狂っているような気がします。いかにも飛行機のことを知らない自動車メーカーの素人考えのように思えますが、この時フィッシャーの航空部門を率いていたのは、かつてノースロップやカーチスで全金属機の設計者として名を上げたドノヴァン・バーリン(Donovan A. Berlin)だったのです。P-36, P-40 を作った名設計者の何が何処で狂ってしまったのでしょうか?!

 フィッシャー社はこの迎撃戦闘機計画に異常な期待をかけていたらしく、わざわざ「75」を指名して取得したため P-73, P-74 が空き番になったと言われています。75 という数字は第一次大戦で大活躍したフランス製 75mm 野砲「フレンチ 75」にちなんだもので、「イーグル」という勇ましい愛称とあわせてこの機体にかけられていた意気込みが伺えます。
 しかしヨーロッパの戦争はフィッシャー社の意図とは無関係に進行し、1943 年にはドイツ領内への長距離侵攻爆撃が米軍最大の悩みと化していました。1943 年 7 月、まだ試作機も完成していない P-75 は長距離援護戦闘機として改造することが命じられ、P-75A の型番が与えられます。軍は姿も形もない P-75A を 2500 機も発注しているのでよほど焦っていたのでしょうが、契約条件にちゃっかり「要求どおりの性能を発揮した場合のみ」と規定してありましたから、これもまた虫のいい話です。

 さて P-40, A-24, F4U からの寄せ集め部品で作られた試作機 XP-75 は 1943 年 11 月に初飛行しましたが、結果は惨憺たるものでした。そもそも設計重心が狂っていたため根本的に安定性がおかしく、双子のアリソンエンジンは冷却不良のうえトラブル頻発でカタログ通りの馬力が出せず、舵はどうしようもないくらい重く、スピン特性は危険であり、およそ戦闘機らしい機動は何一つできませんでした。
 それでもめげずに「改良型」P-75A の開発は続けられます。P-75A では流用品の主翼・尾翼を根本的に再設計し(三角定規のように味気ない直線的デザインですが)、枠だらけの奇怪な風防はクリアな水滴風防に変更、もちろん重心位置も正しくなるように改良されていました。しかしこれだけ手間暇をかけていては、一体何のために「部品を流用して開発コストを削減」したのやらわかりません。P-75A 試作一号機のロールアウトは 1944 年 9 月 15 日でしたが、ヨーロッパの空では P-51 や P-47 が充分な活躍を見せており、もはや新規の長距離戦闘機は必要とされていませんでした。

 P-75A は増加試作6機が製作されフロリダでテストが行われましたが、確かに寄せ集めの初代 P-75 より改善されていたものの、性能が要求値に及ばないことは明白でした。しかもテスト中に3機が墜落する事故まで発生し、当たり前ですが量産発注分 2494 機はキャンセルされ、残った機体も博物館用の1機を残して全てスクラップにされました。
(文・ささき)

緒元(XP-75A メーカー公表性能)
製作1944
生産数8 機(XP-75×2 + XP-75A×6)
乗員1
全幅49ft 4in(15.04m)
全長40ft 5in(12.32m)
全高15ft 6in(4.72m)
主翼面積347ft2(32.2m2)
乾燥重量11495LBs(5214Kg)
全備重量13807LBs(6263Kg)
武装12.7mm 機銃×4(機首)+12.7mm 機銃×6(主翼)
発動機アリソン V-3420-23 液冷24気筒 2885hp+二重反転プロペラ
最高速度433mph(697Km/h) 高度 20000ft(6096m)
実用上昇限度36400ft(11095m)
航続距離3500ml(5633Km) 増槽使用時


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